キャノンボール

 

1981年日本公開 監督/ハル・ニーダム

出演/バート・レイノルズ、ロジャー・ムーア

 

観ていくほどに理解が及ばぬ映画といえばそう、それは例えば何度観てもそれなりにドタバタ喜劇のレース映画だと割り切れるようになり、また或いはそれはある種の時代性をタイムリーに遡って感じずにもいられなくもない。この封切当時の1981年、確かにこの映画は単純に楽しめたかも知れないが、この執筆当時の2009年秋以来、さらに今となってはこれの何がいったい面白かったのか、その当時のアメリカを知らなければ分からないかも知れぬという危惧に襲われる。否、寧ろその流行的時代は既に終焉を迎え、この映画はそれとなく最後を飾っているようにも見える。これも実はアメリカン・ニュー・シネマだったのではないか、しかもそれがぶち壊そうとしていた狙い目はハリウッド映画に留まらずイギリス映画やアジア映画をも実は巻き込んでいたのではないかとさえ思えてくる。そのように考えさせてしまう要素の片鱗が全編のあちこちで筆者に訴えかけるように垣間見せてくる。何しろパロディというのは例え崇高的なヒーロー像でもそれをおちょくることも目的の一つでその理由は何だっていいのだ。

 

最終的にこのシリーズは3部作に終わったが『キャノンボール 2』(83)を再見してもオトボケなドン・コルレオーネなのかいつも猫を抱くブロフェルドなのか分からない男も出てくる。ちなみにシリーズ『キャノンボール』も『ゴッドファーザー』(72)もプロデューサーはアルバート・S・ラディである。これも一種のオマージュ&パロディだろう。

 

しかしながらジェームズ・ボンドのパロディは第1作を境に厳しく制限されるばかりか禁止までされたという話もある。2003年に英国からSirの称号を授かったロジャー・ムーアはこの『キャノンボール』でシーモア・ゴールドファーブ・ジュニアという役名で登場、その男がジェームズ・ボンドになりきってレースに参加する役柄なのだが、役名そのものがあまり強調されていないせいかどう転んでもロジャー・ムーア本人がジェームズ・ボンドになりきろうとしているとしか見られなかったような印象しかなかった。以来、この役柄を俳優当人が他の映画でやらせることに対して制限が非常に厳しくなったという。例えばピアース・ブロスナンの場合の契約条項のひとつには、彼がジェームズ・ボンドである間は他の映画ではタキシードを着てはならないとしているものもあるとかないとか。そういうわけでリチャード・キールの番が来たということになる(?)。一方ではスティーヴ・カレルもやってたことだし他の俳優によるパロディならいまだに幾らでも存在するので問題はなさそう。ボンドが殴られているのはしかし果たして単にパロディで済むのか、かつての栄華が放ってきた夢の数多を散り散りにした過ぎ行くアメリカン・ニュー・シネマの残渣として認識できる要素なのか、かように扱うキャラクターによっては両方へと解釈してしまう筆者。アジアン・トップ・アクション・スターのジャッキー・チェンも何か見ながら(!)よそ見運転しているし、これもファンは困るだろうし、まあでもコメディだし。どの映画だったか(『キャノンボール』よりはずっと後だったと思うが)、ジャッキーのキスシーンで大勢のファンが怒り出し、反発が大きく顕著になったがそれを彼はシナリオ通りにやっているだけだと声明を出してファンを納得させて暴動(?)を鎮圧させたという。その車ではアジアン・トップ・コメディアンのマイケル・ホイが嗜めるわけだが、ところがこれが二人とも中国語しか喋らない日本代表ときたもんだ。

 

これがなんと第2作に入ってもジャッキーがどう聴いても中国語にしか聴こえない日本人の設定で時折リチャード・キールが英語で差し挟み、いちおうその時だけ"Roger(了解)" と応える。バート・レイノルズの役名がJ・J・マクルーアと前作から続いている以上、ジャッキーも同様に中国語を喋る日本人役で続投しなければならないが、筆者がたまさか所有する北米版(輸入盤)DVD『キャノンボール2』の英語字幕では会話が中国語なのに"SPEAKING JAPANESE"と書いてある(同調した)アメリカ人が設定した注釈の粗末な扱いに筆者もさすがにこれには参って大笑いであった。後の祭りとはこのことなのか、完成されてからでは設定も変えようがない。あくまでもいまだ何も知らぬ筆者の憶測に過ぎないながらそうせざるを得ない事情があったのかしらとも思う。つまり筆者の思うところはこうだ。

 

先に挙げた『激走!5000キロ』でも述べた通り、オイルショックの影響によって1974年に制限速度が大幅に下がったためにこれに対する反発的主張の勢いが濃厚となった。燃費効率のいい日本車が売れるようになり、アメ車はマーケット市場を占有されるという影響があまりにも大きく、中古車市場にもその余波を受ける。その恨みつらみ(?)は『ハービー/機械じかけのキューピッド』や『ガン・ホー』(86年、日本未公開、日産を「圧散」と称している)で露わにされるほど。

 

このシリーズ『キャノンボール』の冒頭に黒のランボルギーニが大平原を滑走する。『2』では白のランボルギーニも滑走する。途中で止まったと思いきや、速度制限標識にカラー・スプレーで「55」を×したり、上から「155」を貼り付けたりする。ほぼ同時期に腕時計を始めとする精密機械生産技術にも秀でていた日本産業。コンピュータ関係も然りでその機械関連をジャッキー車に搭載していることで日本の全てをクルマ一台に集約しているところを、中国語ひとつで全てをおちょくっているのではないか(コミュニケーション不通)。同時にスター性を下げちゃっているのではないか(そこはニュー・シネマだから別問題だし、案外影響されていないらしいのでいちおう安心である)。しかもその最上級系の技術表現として『1』ではロケット・エンジン、『2』ではアフターバーナーで疾走するだけでなく空飛ぶデロリアンの先達として空中浮遊技術をも披露するのだ。ちなみにミツビシ車(以来ジャッキーはミツビシ車を中心に映画で採用することが多くなる。三菱車のCMにも出ていた記憶がある)。

 

ニュー・シネマに関して凄く勘違いされやすいのは恐らくこのクルマで警察に対抗する映画ならなんでもそうだという単純な誤解であって、筆者自身もその解釈のズレに危険性を案じていた。まず自由を求めた結果『イージー★ライダー』(70)のように違法性が出たので最後は警察に撃たれてバッド・エンドになったかな。そう言えばピーター・フォンダもこの『キャノンボール』で殴られ役として出演しているが、敢えてカッコよさをパロった扱いになったということか。そもそもこれがいちばんいい例で社会に出ても本音と建前で生きていくなんて御免被るってワケで、片や同様に銀行強盗を働いたカップルも警察に待ち伏せされてしまい、片や教育制度や人種差別の垣根を越えて二人でおててつないで走って滑車やバスや行ってみたらこの先どうしようって話になるし、とにかく最後の最後まで夢を微塵も与えてくれやしない。建前も所詮はお飾りなワケで、ハリウッドもお飾りだからこそバッド・エンドにしてやるべきだ、現実を見せつけてやれということで、お飾りに酔いしれて自惚れに浸る人間どもの無知の無知を戒めようとする、おおかたそんなところだろう。

 

これは所詮ほんの一例にしか過ぎない。従ってこれほど曖昧な定義を説明するのに難渋するものもそうはないとは思うが、最もその怒りの矛先として向けられ易いのがネズミ捕りを行う警察組織であって何しろ身近な存在である。これがゲリラ的レース映画であればなおも警察の仕事は増えるところだが、基本根本的に変わらないのは自由への謳歌なのである。自由を求めた結果撃たれる→自由に走ることを求めた結果警察を困らせる、というようにいつしか進路変更が成されただけなのである。

 

 

キャノンボール

 

1983年日本公開 監督/ハル・ニーダム

出演/バート・レイノルズ、フランク・シナトラ

 

そうしてこれがゆくゆくは、例えばコメディに行き着くことになり、かの日本車のドライバーが中国語しか喋れないのもご愛嬌と受け取らざるを得なくなる。しかしながら世界の多くは日本をそこまで知るはずがない。だからそこそこの娯楽として充分に満足されるのがオチで、もしそこまでの日本を知っていたら世界は全てのところでもっと飛躍的に進化している筈だ。また或いは、当時の日本を知らない世代はこれを面白いと思うかどうか自分たちで勉強してもらうしかないのである。

 

次にこの映画を作るきっかけ。他書でも方々で触れられており、どこから調べようと同じ結果だからどこで重複しようとさほど問題ではないが、「Car and Driver」という雑誌の編集記者ブロック・イェーツという男一人のアメリカ大陸横断物語みたいなものからこの映画は始まっている。英語表記でのこのレース名は恐らく数多く出てきていると思うが、「the Cannonball Sea-To-Shining-Sea Memorial Trophy Dash」と呼称され、全部で4回だけしか開催されなかったようだ。1971年、72年、75年、79年と、そして第1回目はイェーツ親族のみのわずか1チームのみのクルマで、運転手はなんだかんだ家族で交替の交替、そうして全米大陸横断を敢行し、そして完走した。ブロックがその経験を記事にしてみたら翌年には応募者がドカドカと殺到してきたという。そしてその後のオイル・ショックによる速度制限厳格化に際しても再び大陸横断レースは開催、これはその規制に対する抗議の意を表すに格好の場となったのだった。

 

この時既に監督ハル・ニーダムは西部劇を始めとする数々の映画でのスターのボディ・ダブルをこなし続け、陰ながら映画を支えてきたスタントマンの第一人者になっていた。その一方で彼はロケット・カーの地上最速記録に挑戦する機会を設け、ブロック・イェーツはこの取材に来てその際に二人は知り合って親しくなった。そしてこの大陸横断レースの話も聞いて、結果的に最終回となる開催をハルに頼み込まれたという説もあるようだ。この時に使った車輌はバンではあるが、なんと救急車の格好をさせた。そして知り合いの医者を呼びつけ同乗させ、and 患者としてブロックの妻も乗り込ませた。周囲の参加者も中には二人乗りでウィリー走行をずっと続けるバイカー、神父姿のドライバーとよく観たら映画と同じ姿がチラホラ見かけられたという。キャノンボールは実話に基づいていたことでも有名な話だったのだ。

 

ハル・ニーダムはこの時期既に『ゲイター』(76)などでバート・レイノルズのスタントないしそのインストラクターとしても活躍、バートはプロデューサーのアルバートと『ロンゲスト・ヤード』(75)で初めて仕事を組み、その後にCB無線が大流行した『コンボイ』とほぼ同時期の『トランザム7000』(77)で監督デビューを飾るハル・ニーダムをアルバートに紹介、そしてブロックとの体験を軽く綴ったシナリオをアルバートに見せたのが『キャノンボール』だった。

 

こうしてハルとバートは『グレート・スタントマン』(78)でもコンビを組み、バートはドル箱スターにまで登り詰めていく一方で、ハルは若干カルトな映画『メガフォース』(82)を創り出す(この製作開始時にはシュワルツェネッガーの『コナン・ザ・グレート』(82)の監督依頼を断っているらしい)。このプロデューサーにはやはりアルバートやアンドレ・モーガンらが名を連ね、あまりにも保守的なカルト映画として今も根強いファンが数多く存在している。その中には『サウスパーク 無修正映画版』(00)のトレイ・パーカーとマット・ストーンも入っている。その二人がアルバートのところへリメイクを申し込んできたという話もあるほどの入れ込みようだったという。これが結実したか否か現時点で不明だが、一説では『チーム★アメリカ/ワールド・ポリス』(05)のベースにしたという話もあるとかないとか。

 

この米20世紀FOXとの合作を組んだ、ジミー・ウォングらと共に設立したゴールデン・ハーベストの代表格レイモンド・チョウはアンドレ・モーガンとも盟友であり、アンドレはブルース・リー主演の映画製作を中心に担当を任されていたようだ。ジェット・リー、アンディ・ラウ、金城武の『ウォーロード/男たちの誓い』(09)をも製作、マネーメイキングな話題を呈した。アンドレはかつてのブルース・リー映画、『死亡遊戯』(78)、『死亡の塔』(81)、香港と米国(ワーナー)合作『燃えよドラゴン』(73)等に携わっており、一方でジャッキー・チェンを引き抜いて香港・アメリカ合作『バトル・クリーク・ブロー』(80)や香港映画『ヤング・マスター/師弟出馬』(81)の主演を務めさせた。そしてその次が再び米・香港合作『キャノンボール』となった。以来このシリーズを見初めたジャッキーは『プロジェクトA』(84)など自身の監督作のエンド・クレジットにもNG集を取り込むことで映画娯楽の魅力の提供方法を更に学んだものと囁かれている。

 

結果、この『キャノンボール』は映画批評家にはあまり相手にされなかったが全世界で1億ドル以上を稼ぎ出した本作について、筆者が考えるところではまずジャッキー・チェンにとってこのひとつの学習によって人生が大きく変わる転機となる作品であったこと。ニュー・シネマの流行性は既に過去のものとなっていたがその名残があるように見えて実はパロディであり、偶然か必然か映画、スター、それらが全て与えてきた夢や憧れが脆くも崩れさせたことに案外無頓着な、ある種豪快かつ勇敢な映画であること。

 

ニュー・シネマの終焉を飾るきっかけは一説ではレザーフェイスの強烈なホラー『悪魔のいけにえ』(74)の登場といわれる。こうしてやがてニュー・シネマを介する社会へのおちょくりはいよいよ意図的なものでは徐々になくなり、コメディとして笑える程度のリリーフ的立場にいつしか置かれる組織社会として映像に映っていく。それは恐らく『激走!5000キロ』あたりで落ち着き、ゲリラ的レース映画はこのシリーズが最後かも。結果そうなったことにこの映画人たちはもしや誰も気づいていない気がする。自身たちが及ぼした影響力に気づいていないだけの映画になったのではないか。

 

ついでに言うと、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85)の続編を期待させるラストはジョークだったという。ところが人気と期待が高騰し過ぎで結局続編を作った。ボンドのパロディ(DVD化されにくい理由は主にここかも)も結局は後の祭りだが、それはボンドに対するジョークとも換言できる。しかしこれをどう解釈するかは観客次第で、ストレートな表現は元から避けている。気づかれない場合もある。パロディとは所詮そんなものだ。否、単にイメージの問題かも。

 

では観客に対してこの類のジョークが通じるならば、そもそもジョークで済む映画とは一体どんなものか? 冗談も本気もなく、冗談を言える相手は登場人物だけ。観客に対する冗談はそもそも存在せず、観客の眼前にあるのは映画の物語だけ。今だから言える話だからまだ良かったけど、冗談でも話しちゃいけない、思いついても口にしない。その意味では充分に教科書たりえた、あまり良くない例だ。

 

最後に第3作目にあたる『キャノンボール/新しき挑戦者たち』だがDVD化されていないらしく、前2作とは異なって内容がどうやら充実できずに終わりがちであった。原題名は"The Cannonball Run III ᛬ SPEED ZONE" と銘打ち、然しシリーズからはあたかも外されたように"SPEED ZONE"のみとなった。この5年後に急死したコメディアン俳優、ジョン・キャンディがメインロールを務める中、スペシャル・ゲストが沢山。出たてのアリッサ・ミラノ(『コマンド―』(86)アーノルド・シュワルツェネッガーの娘役(知らない位に記憶がない)、歌手もやっていた(これはわかる))、1984年はロサンゼルス・オリンピックの陸上競技金メダリスト選手カール・ルイス(かなりの凄い選手の登場だった)、当時24歳のブルック・シールズ(メディチ家出身)も登場、スチュワーデス役だかなんだか知らないが石油王の出る映画みたいな空気に変えた存在としてあたかも登場したかのようである。それでも所詮は群集劇(?)なのでお互いにちょっとしか出ていない。アクション・スター殆ど不在へと変貌をきたした、ただいまお取り寄せ中(?)の作品である。

 

 

キャノンボール/新しき挑戦者たち

 

1989年日本公開 監督/ジム・ドレイク

出演/ブルック・シールズ、カール・ルイス