丹下左膳 百万両の壷

 

2004年日本公開 監督/津田豊滋

出演/豊川悦司、和久井映見、野村宏伸

 

1900年に生まれた長谷川海太郎は函館中学校で起きたストライキで首謀者と間違われて受けた処分への反発として中途退学、上京しつつ単身渡米。オベリン大学やオハイオノーザン大学に籍を置いてバイトに励みながら勉学に没頭する18歳だった。そうして24歳の時に文学者たちと出会い、自身も小説や翻訳したものを寄稿、作家としての活動が始まる。彼の筆名は三つあった。谷譲次、牧逸馬、そして林不忘。この林不忘の名で著し、世間には後々忘れられぬ伝説のヒーローとして名を馳せることになる登場人物、丹下左膳。1927(昭和2)年のことである。その作品名は「新版大岡政談・鈴川源十郎」、新聞での公表であった。のちに発表されるその続編は「新講談・丹下左膳」、更に追ってこの二つが合冊して「丹下左膳」というタイトルとなったという。前者がのちの「乾雲坤竜の巻・続乾雲坤竜の巻」に、後者がのちの「こけ猿の巻・日光の巻」に其々があたり、さらにこの「こけ猿の巻」が幾度か映画化もされてきた「百万両の壷」にあたる。

 

林不忘がアメリカを渡ってきただけあって、そのアメリカナイズな感覚がどうやらこのヒーロー、丹下左膳に反映されているという説が濃厚であるという。長い間そのように看做されてきたが、それはいまだ結論を見ないままなのかどうかもわからないし、そんな昔のことは分からんとでも言うかのように、素材が何しろ古すぎて確認できる機会や確信的な資料が寧ろ皆無である。方法は他に幾らもあるかもしれないし、いまだ決行していない事項もなくはないが、ここではある程度絞り込む。

 

ここで取り上げるフィルムはまず『丹下左膳餘話/百万両の壷』、山中貞雄監督、昭和10年(1935年)、大河内伝次郎主演のものである。山中貞雄の最後の監督作は『人情紙風船』(38)となるが戦地で病死したその時僅か29歳であった。その彼がまだ26歳位の時にこの映画が作られ、いまや名作として後世まで語り継がれている。脚本は三村伸太郎、山中とよくコンビを組んでシナリオを書き上げていった。また山中を中心とした脚本執筆集団も有名で、名を鳴滝組とよんだ。東宝でも三船敏郎ともよく組む稲垣浩も名を連ねていた。

 

大河内伝次郎。大河内が丹下左膳を演じるのはこの時が初めてではなく、昭和3年のサイレント映画三部作『新版大岡政談』、昭和8年から9年にかけて製作されたトーキー二部作『丹下左膳』にも相次ぎ出演、いずれも監督は伊藤大輔である。丹下左膳のシリーズは毎度作られる度に続編続編と正直ややこしいものの、最後の丹下を演じる昭和29年までに実に17本もの映画でメインロールを務めてきた。また、その間丹下を月形龍之介や、田村正和らの父親である阪東妻三郎も一度ずつ丹下を演じている。それだけに大河内伝次郎の務めてきた役割は相当に大きいものだった。

 

しかしさすがに筆者は昭和46年生まれと、時代をはるかに飛び越した年代であるためにこの映画の当時を知るにも限界があり、そもそもその世代を跨ぎに跨いで各人が引き継いでリメイクは完成されていくものである。今作もしかりで、リメイクされたのが2004年であった。先に挙げた山中貞雄監督作品は昭和10年作品のものだがさらに遡って昭和3年にこの小説は初めて映画化されている。年数の区切りが計算上記念につながりかねるのでこの1935年のものでいいと思うのだが、この作品が完成されて70年目にあたる。一方で確認したところ東京は渋谷区の恵比寿ガーデンシネマ・オープン10周年記念企画とされている。映画では津田豊滋監督の『丹下左膳 百万両の壷』として豊川悦司が、テレビスペシャル・ドラマでも日本テレビ系列で中村獅童が同じく左膳を演じており、いずれも2004年に披露された。原作によれば左膳の容姿は、まず箒のように赤茶けた毛髪を大髻(おおたぶさ)にとりあげ、右眼はうつろにくぼみ、残りの左眼はほそく皮肉に笑っており、右の眉から右口尻にかけて溝のような一線の刀痕が走っているとしている。大髻とは髷と同義と思うが、原作に最も忠実に再現したのが恐らくこの彼らのものではないかと思われた。しかしそれでもカラー作品は昭和30年代にすでに数本輩出されており、必ずしも彼らのものがそうであるという根拠も弱くなる。初のカラー左膳は恐らく昭和34年の大友柳太郎、果たして髪が赤茶けているかどうか、ちなみにかつての丹波哲郎もこの左膳を演じたが、テレビ版(昭和33年)では右腕右目のない左膳、映画(昭和38年)では逆の左腕左目のない左膳(左揃い?)として演じている。後者の右利きの方が丹波哲郎ゆえの迫力や凄みが増してくるという理由からという。こうして何十年にもわたる日本映画名編にまつわるトリビアは数あれど、ここでは最終的に豊川悦司主演の作品で本文を進めてみるとしたい。

 

江戸は日光東照宮の改修奉行が柳生家に決まり、その費用が全額負担とされることに難渋を示す柳生対馬守(金田明夫)が聞くは、柳生家重代の宝というこけ猿の壷には備えに貯えた黄金の隠し場所が描かれているとか。ところがこれを弟の源三郎(野村宏伸)に結婚祝いに贈ってしまった。これを取り戻して改修奉行費用に充てねば今後ますます資金繰りに悩まされると踏んだ柳生は、すぐさま返してもらうよう家臣を使いに遣るのだが、百両と引き換えに交換を申し出された源三郎はこの使いを怪しいと思って、兄の目論見を無理矢理でも聞きだすことを考える。ところがこの壷を安物と思って回収屋に質入れしてこいと妻の萩乃(麻生久美子)に言いつけたばかりで、しかも擦れ違いにもそれは既に済んでしまっていた。江戸は広く、探し出すのに大変だと言っては何年かかるか分からないのをまるで敵討ちだとぼやく源三郎。

 

その回収屋が帰った先の長屋では蕎麦屋の老人の弥平と幼い子供が金魚を持ち帰ってくるがこれを入れる器がない。回収屋から壷を貰って金魚を飼う幼い安(武井証)。安には親もなく、ただひとり祖父代わりとして弥平が面倒を見ていた。そこに通りすがるのは白生地の長襦袢を羽織った刀使いの浪人、丹下左膳(豊川悦司)。かつて裏切った侍たちに右腕と右眼を奪われてしまい、武士をただの駒のように簡単に切り捨てる侍社会を軽蔑する男である。

 

左膳は矢場、いわゆる的屋に居候する身である。そこには夫人同然の女将のお藤(和久井映見)がいるが、ことあるごとに二人は喧嘩ばかりする。しかしその矢場でひとたび喧嘩や女絡みなどひと騒動起こると左膳は用心棒としての働きを見せる。今日は七兵衛(渡辺裕之)が素行の悪い旗本に絡まれ、またひと暴れする左膳。落ち着いてからというもの物騒ゆえに七兵衛を送るとそこにまた旗本が襲いかかってくる。そこで蕎麦屋の屋台を営む弥平が巻き込まれ、息を引き取ってしまう。弥平は左膳に言い残していく。孫の安を頼むと。しかしその子供は左膳も会ったばかりだった。

 

翌日、長屋の安を訪れた左膳とお藤は彼を矢場へ連れ込み、飯を食わしてやる。子供嫌いだから安を引き取るのは御免だと言い張るお藤に咄嗟に引き受けてしまった左膳は言葉を返せない。しかしイヤイヤ言いながらお藤もいつの間にか子供の面倒を見るようになる。しかも左膳の持ってきた竹馬で転び、壷はひっくり返って金魚は飛び出して死んでしまう。

 

いつの折か、その矢場の女中をひと目見て気に入った源三郎は日を改めてその矢場をまた訪れる。何日かかっても壷の手掛かりすらなかなか見つからない源三郎には我慢の限度が来たのか、その気に入った女中と共に時の刻を矢場で秘かに過ごす源三郎であった。そこに居合わせた左膳も源三郎が何をしに城下町へ下りて来たのかそのくだりを話す。その際に左膳は彼の知っている回収屋の住む長屋の場所を教える。死んだ金魚の代わりを買いに行きたいと言うちょび安を連れて行く左膳と、気に入った女中と外へ遊びに出かける源三郎。出店の金魚すくいで興じているのを萩乃は目撃、源三郎は帰りついでに長屋へ立ち寄って回収屋から萩乃が売りつけた壷がようやく聞きだすことが出来た。

 

かねてから柳生家からの告知が下町のあちこちの壁に貼り続けられている。壷を一両で買い取るという策に出たのだ。一方、安はひょんなことから大金六十両が要り用となってしまう。返金を迫られた親代わりの左膳たちはさあ困った。左膳はここで久々に道場破りを決行することにした。たとえ久し振りでも左膳には腕に覚えがあった。この道場破りいったいどうなるのか、壷はいったい誰の手に渡るのか?

 

と、いったところだが、幾らなんでも真似ているという指摘をするものではないし、というのもアルフレッド・ヒッチコックが造語したとされるマクガフィンがここで使われていることが明らかに見えてくる。それが元で物語が展開されていくキーアイテムみたいなものを指すが、ここではやはり題名通りのこけ猿の壷なのだ。これが元でみな動き回って、そこから喜劇が生まれてくるのだから、話作りの基本は恐らく世界共通と言ってよい。話の構成が実に巧妙に仕上がっており、擦れ違いの連続が話を面白くさせている。この流れの仕組みはオリジナルと後述するリメイク双方において何ら変わるところがない。

 

そもそもこれは山中貞雄監督作そのものをリメイクしたもの。このオリジナルでは、これ以前に作られた伊藤大輔監督作品やまたは幾度も作られた数々の『新版大岡政談』などで描かれた左膳像とは大幅に変更がなされたことで原作者の林不忘は怒りに怒り、原作者名のクレジットの削除を申し出たことでも有名だ。ところがこの映画は瞬く間に大ヒットをしたという。

 

その理由としていくつも挙げられようとも思うが、少なくとも筆者が感じた限りでは左膳とお藤との言い合いが観客の気持ちを摑んだのではないかとの推測がある。金魚だけで遊ばすのもなんだから大工に作って貰ってきた竹馬を持って帰って来るのをお藤は怪我するからやめんしゃいと言うし、と言いつつも竹馬を教えるお藤。はたまた道場に行かせるか、寺小屋に行かせるかでてんやわんやと大喧嘩。いざ字を書かせてみたら二人して喜び、数を数えることが出来る安に驚きを見せもする。そうした親代わりの反応の数々は恐らくも現実に存在する夫婦の姿としても捉え、昔からある姿と国民的共感を体現させる。その部分こそが名作たる所以と思うし、オリジナル作品の柳生源三郎を演じるは沢村国太郎、彼は長門裕之や津川雅彦の父親にあたるし、また終盤の殺陣シーンを収めたフィルムだけが戦火に焼かれてしまったという逸話もある。個人的に確認した限りではその部分の多くが欠けた形での今回のチェックとなった。またリメイクに登場する名もなき用心棒を豊原功輔が務めるが、このクライマックスのチャンバラもオリジナルで既に味わえなくなった為に新鮮な思いが伴われる。シナリオは当時の三村伸太郎のものに現代バージョンを付け加えて仕上げられたが、ラストのラストでいかにもお涙頂戴になるようなドラマを盛り込んでいるのが何より現代日本映画らしい傾向だ。

 

今回のリメイクは山中貞雄監督のオリジナルそのものをオマージュとして捧げたようなものとなり、その中身には多少の遊び心も窺える。勝新太郎が生涯務めたパートの座頭市に対するオマージュをもコミコミ、居合いをトヨエツに再現、中村獅童も同様にサイコロを真っ二つにする居合い、この剣捌きも見所のひとつである。かくしてかように隻眼隻手の浪剣士はどうやら昭和10年の丹下左膳が多くの人の記憶に強烈に斬新な英雄像として埋め込まれたと思っていいようだ。