大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン

 

1966年日本公開 監督/田中重雄

出演/本郷功次郎、江波杏子、藤岡琢也

 

このバルゴンのことを本編の中ではなぜか「特異体質の奇形児」と呼んでいる。「土人」などを含め、こうした差別的表現が堂々と出てきているので、少なくとも地上波放送では例え深夜枠でも放送される可能性は案外低いらしい。筆者はこれをたまたま有料ケーブルテレビで深夜に拝見した。少なくともこのガメラシリーズの中では、かような配慮が必要とされるのがこの一本だけと思っていいかも分からない。それだけでも自分には存外な驚きだったことに相違ない。

 

粗筋をまず書いておこう。主人公・平田圭介(本郷功次郎)の兄・一郎(夏木章)が戦地から帰る前、彼はニューギニアの洞窟の中に大きな宝石オパールを地中に埋めてきた。戦争も終わると一郎はその戦争で脚を怪我していてその宝石を取りに行けないため、一郎の仲間二人と圭介の三人でニューギニアへ行くことになった。そのオパールはダチョウの卵ぐらいの大きさで、時価数億円と彼らは勝手に見込んでいた。変装して海外船に潜り込み、やがて数十日かけて辿り着いた三人。地元の原住民に洞窟への案内を頼もうとするが、迷信からそこは危険だといって断られる。仕方なく自分達だけでジャングルを横断し、ようやく洞窟を見つける。そしていとも簡単にオパールを見つけ、三人は後で換金して山分けしようと狂喜乱舞。ところが一人は毒サソリにやられて死んでしまう。そしてもう一人の小野寺(藤山浩二)は予め用意してあった洞窟爆破のための手榴弾(ダイナマイト?)を爆破させ、圭介を洞窟の生き埋めにし、先に帰ってしまったのだった。

 

地元民族に救出された圭介は日本語の話せる女性カレン(江波杏子)から本当の事実を聞く。彼らが探し当てたのは宝石オパールではなく、怪獣の卵だったのだ。

 

先に船に乗って日本に向っていた小野寺は強烈な水虫に襲われ、船内で赤外線治療を受けていたが、誤ってその卵を赤外線にさらしてしまう。そして突如船内で爆発が起こる。

 

日本沿岸に到着しつつあった船外の海上で、何やら大きな泡が紫色を帯びて吹いてくる。そして未確認物体なる巨大怪獣が上陸して暴れ回りだしたのである。

 

避難警報が発令されているにも拘らず、一郎と小野寺は沿岸の浅瀬に沈んでいる(とばかりに思っている)宝石を捜さねばと口論して喧嘩になり、小野寺は夫婦共々殺してしまう。

 

ガメラは前作で何某のロケットに閉じ込められ、地球外へ追放さるも偶然隕石にぶつかって(見事?)脱出し、電気エネルギーを求めて再び地球に戻っていた。そこで例の怪獣と鉢合わせ、大阪城の前で格闘するも謎の怪獣の吐く氷結ガスにやられてしまい、やがて動かなくなる。

 

辛うじてカレンと共に日本に戻った圭介は官庁本部に訪問し、事情を話す。そこで初めて迷信上の根拠から、その怪獣はバルゴンと名付けられた。そこに医師(藤岡琢也)がニュースを聞いて本部にやってくる。小野寺に赤外線治療を施していた医師だ。その時の経緯を話し、その卵は本来とは異なる形、すなわち赤外線を浴びて孵化してしまったために「特異体質の奇形児」となったと考えられるとここで初めてそう表現された。通常ならあの大きさまで成長するのに十年はかかるのを、その理由のためにわずか数時間で成長したとも医師は推測する。

 

カレンは地元ニューギニアからえらくでかいダイヤモンドを持ち出していた。これに当てられた光をバルゴンは好んでついてくるという。物理学者教授の協力を得て、触れたら皮膚が溶けるという苦手な湖水のところまで、このダイヤを使って導いていく作戦が練られたのであった。そして計画実行に移った矢先で小野寺が乱入してくるも、あえなくバルゴンの餌食になってしまうのである。

 

粗筋はこんな感じだが、これでもちゃんとガメラとの格闘シーンはあるのでガメラ・ファンには安心だが、こうして観ていくと話の筋立てがややこしい印象がある割には寧ろしっかりしているようだ。でも「特異体質の奇形児」と聞いて、そりゃあんたおかしいやろと筆者は失笑するのであった。見たこともない種類の怪獣に対して、何と比較して奇形児というのか甚だ疑問であったが、そうした齟齬とは裏腹に、小野寺という人物の宝石に対する執拗なまでの貪欲さに人間の醜さを感じずにはおれない、ガメラシリーズ本来のテーマとは完全にかけ離れたような印象にかられる、不思議と貴重な作品なのだろうと思う。

 

テレビ・ラジオ業界ではそれぞれ独自のルールを持っている。というより正確には、その番組の中に不適切、即ち差別的・侮蔑的表現があった場合にはその放送局が自主規制(規制の基準を決めるのはあくまでも自主的に任された人間たちであり、従って彼らも自主的な立場にある。そこに自主的でありながら永続的統一性が要求されていく)をもって編集処理することになっており、これでもってあくまで健全かつ中立的立場における放送を維持するものとして、放送法ないし電波法への遵守に努めているのが現状という。或いは国が定めた法律の中に用語一覧が設定されてあるというものではなく、各局自主規制に基づく判断によって左右されていくのである。この作品の場合においても前述の通り地上波では当然取り扱えない台詞が含まれており、配慮するに十分に値するところである。この作品が作られた時期あたり、不思議と差別用語の混じった作品が案外多く横行していたような印象が筆者にはあるが、一方で1990年代に入って初めて世間的にこの蔑称群に対して敏感になっていったという話がある。その理由は今のところ不明だが、健常者よりは明らかに劣る欠点を自分で自覚してしまっている為に被害妄想も避けられない身障者の立場を考慮すると、今現在ある現代社会の冷淡さ、或いはもう少し柔らかく言えば無神経さが次第に露骨に表れてくるようになった裏づけとも取れない気がしないではない。お金を払わなくては観られない放送網でなら問題はないという判断も決して間違いではないが、最終的にはお金を払っている映画ファンの考え方次第でもある。

 

勿論、該当する人達の受け取り方にも依拠されることになる。曖昧ながらそこが基準となって周りが慮って呼称が変わっていかざるを得ないから、結局は共通認識がいかに広まるかということになる。従ってこの記事群で呼称を統一させるのも無理な話であり、ひとりひとりの判断がやっと集約されて初めて、多数派と判断された表現が呼称となっていくのだろう。全ては共通認識に依り、最後は思いやりに基づくもの。

 

『昭和ガメラ』シリーズ第二作、子役が珍しく登場しない、湯浅憲明特技監督による作品。