ラブ・バッグ

1969年日本公開 監督/ロバート・スティーブンソン

出演/ディーン・ジョーンズ、ミシェル・リー

 

ナチス総統アドルフ・ヒトラーはカーマニアとしても有名で、当時における景気面ではあまり芳しくなかった自動車業界を立ち直らせるために国民車計画なるものを提唱していた。それがいわゆるフォルクスワーゲン計画というものだった。フォルクスワーゲン(VolksWagen)とはそもそも「国民の車」という意味である。こうしてクルマ業界にも花が返り咲きを見せるようになった。しかし第二次世界大戦が勃発すると、このフォルクスワーゲン工場も軍需産業にシフトしていき、同時に車自体も歓喜力行団というヒトラー思想を広めるための娯楽車の役割をもいっそう強くするものとなり、一方の民間への車輌納入は次第に減少傾向を呈していった。そして終戦に至っては、この工場もソ連の支配下に置かれ、行く行くは撤去されかねないところをイギリス軍が止め、自国の管理下に置いた。その後西ドイツに移管、紆余曲折あって現状に至っている。ヒトラーがこの時のクルマをデザインさせたのがフェルディナンド・ポルシェという人であり、彼の後々の家系がポルシェを設立している。

 

国内ドラマ『TRICK』(テレビ朝日系列)で登場する物理学教授上田次郎(阿部寛)の所有する愛車、次郎号はトヨタのパブリカという車種だ。この車種あたりが登場する当時には国内の省庁による構想が公表されており、それを国民車構想といった。通商産業省が指定した条件を満たした企業に対して国が支援するという計画であり、これらの条件はそもそも当時では寧ろ難問といえたものばかりだった。最高時速が百キロメートル以上であること。安価であること。低燃費で長距離を走ること。などなど、こうした条件が1955年に発表されたものの、当時の各自動車メーカーは実現の希望すら望めないこの条件に発揮できる力を持っていなかった。しかし少なくとも、およそこれに近い形で実現できるクルマを開発するきっかけにはなったようだ。

 

この計画は車体フォルムも互いに類似するせいか、日本版フォルクスワーゲン計画ともいわれていた。このパブリカは1961年に販売開始、1978年で生産を終了している。名前はPublic Carの略称だった。

 

このドラマと堤幸彦監督らのクルマへの思い入れとの間での接点はそう簡単に見つかるものではないが、なんとこの『TRICK』の中で上田の愛車、次郎号はスペシャル特番で初めてひとりでに歩き出したのだ。『新作スペシャル』という副題だったが、このエンドクレジットが流れている最中に上田の後をソローリソローリとついていくのである。勿論、運転している人間は中に入っていないという設定だ。

 

そのパブリカの前身なるものがこのワーゲンであり、かつこのワーゲンの活躍を見事に披露してくれたのはやはりこの『ラブ・バッグ』シリーズしか思いつかないだろう。勿論、この映像化を提案したのはウォルト・ディズニーだった。

 

彼は1966年12月に死去したが、その直前に社内に一冊の本を脚本にしてみるように持ち込んできた。ゴードン・ビュフォード著の「Car, Boy, Girl」。筆者は残念ながら内容までは確認できていない現状だから、このクルマがそのままビートルのままなのか否かはさておくとして、これが映画として完成、ロスで試写をかけたところ98%が気に入ったとのアンケートの結果が出され、好評のうちに1969年に封切られる。そして同年の全米興行収入トップ1となった。2位は『ファニー・ガール』、3位は『ブリット』、4位は『明日に向って撃て!』、5位はフランコ・ゼフィレッリの『ロミオとジュリエット』、これらの名作を難なく押しのけたのだ。邦題タイトルは副題もない普通に『ラブ・バッグ』だ。

 

以後、続編『続ラブ・バッグ』(75)、第3作『ラブ・バッグ/モンテカルロ大爆走』(80)と日本国内でも封切られ、その後には未公開作やテレビ版も作られてきた。ここに出てくるワーゲンは一般的に「虫」という意味の言葉があだ名され、ドイツ語で「Kafer」、英語でも「Beetle」や「Bug」という愛称が一般的となり、少なくともマニアの間では「Beetle」がメインとなっているようである。そして直近のリメイクにアンジェラ・ロビンソン監督、リンジー・ローハン主演の『ハービー/機械じかけのキューピッド』(05)がある。

 

アクロバティックなカーレースのベテラン・ドライバー、ジム・ダグラス(ディーン・ジョーンズ)は思うように戦績を上げられず、戦意も喪失していた。落胆したまま散歩をしているとカーショップでワーゲンと出会う。金に糸目をつけない客しか相手にしないショップ・オーナー、ソーンダイク(デビッド・トムリンソン)の車の乱雑な扱いに目を剥いたジムを見て、ワーゲンはひとりでに彼の後をついて行く。車を盗まれたと勘違いされたジムは無理矢理買わされる。フリーウェイに合流しようとすると、何故かジムの思いとは違った方向へ行ってしまう。訳が分からず不調を訴えるジムにカーショップの店員であるキャロル(ミシェル・リー)も同乗する羽目になる。走行中にヒッピーに煽られてウィリー走行、ハイスピードなランを見せる。そして同時に二人は徐々にお近づきになるのであった。

 

ドライバーのジムの家屋にはもう一人、メカニックが住んでおり、名をテネシー(バディ・ハケット)といった。彼はメカニックであると同時に東洋哲学を学んでおり、ひとつひとつの物体にはそれぞれの魂があることを狂信しており、チベットにまで出向くほどの入れ込みようだった。そんな彼はこのクルマにも魂があるのを全く疑問にも思わず、人一倍ワーゲンを丁重に扱う。そしてこのクルマに名前をつけた。おじの名前からとって、ハービー。

 

類稀なる馬力の強さを発見した二人はレースに出場することを決意。赤、青、白のストライプ(アメリカ合衆国の国旗と同じ配色で愛国心を表している)を車体に施し、ゼッケンナンバーを53とした。プロデューサーのビル・ウォルシュがメジャーリーガー、ドン・ドリスデイルの背番号と同じものにしたという。

 

数々のレースで戦績を重ねていき、瞬く間に世界でも有名なクルマとなっていったハービー。この不思議なほどに才能溢れたクルマに興味を持ったソーンダイクは、ジムに勝負を挑み、ハービーを貰い受けるか否かを賭けにした。こうしてソーンダイクの嫌がらせは始まる。ひとたびやられ、故障になりかけたハービーは車を買い替えられてしまい、自分から車体をぶつけて新車をぶち壊しては(クラクションで)ビービー泣きながら出て行った。心配になったジムはハービーを追いかけた。ハービーは自殺の名所、金門橋から飛び降りようとしていた。他の人間同様、同じ橋から飛び降りようとするところに人間とクルマとの共通感覚を促してくれるのが可笑しい。ジムは彼を止めた。そうしてのちにジムたちはひょんなことから知り合った中国人経営者にスポンサーになってもらうことになる。2日間にわたるオープン・レース。縦横無尽に仕掛けられた罠を切り抜けなければならないハービーたち。さて、このレース、どうなる?

 

この作品での運転技術を指導していたのもこれまたケイリー・ロフティンなのだそうで、その後にスピルバーグの『激突!』(73)で顔を見せず足しか見せないトレーラーのドライバーを演じたこともあったあの男だ。

 

 

続ラブ・バッグ

 

1975年日本公開 監督/ロバート・スティーブンスン

出演/ヘレン・ヘイズ、ケン・ペリー

 

このまま続編に行ってしまおう。新たな建造物を建てるために古き建物が次々と崩壊されていく。ダイナマイト。浅間山荘事件でも使われた(?)あのでかい鉄球が古きビルをぶち壊す。それが崩れていくのを爽快な気分で眺める彼は大富豪アロンゾ(キーナン・ウィン)。世界最高峰の高さを持つビルを建てることを夢見るこの男が頭に悩み抱えていたのは、その建築予定地にただひとつ、かつては消防署、おばあちゃんのスタインメッツ未亡人(ヘレン・ヘイズ)がそこからてこでも動こうとしないことだった。

 

そこでアロンゾは新米の弁護士、甥でもあるウィルビー(ケン・ベリー)を雇い、彼女に出て行くよう交渉を持ちかけさせようとした。伯父アロンゾに否応なく指示され消防署の目の前にやってきたウィルビーは、既に立ち退かされていた強気なスチュワーデス、ニコル(ステファニー・パワーズ)に突然殴られる。ニコルとドライブに出かけることになったウィルビーは、自分がそのアロンゾの甥だと告白するとまた殴られる。てこでも動かない未亡人と既にアロンゾに追いやられたニコルは一緒に同居しており、二人であの家を守っていた。いや、もう一人いた。ハービーだった。そのうちウィルビーは味方に回ることになった。ある意味無理矢理ではあったが。

 

この続編映画での特色は意外にもレースの色が一切施されておらず、あくまでハービーのキャラクター描写に重きを置いていることである。いきなり音楽を鳴らし出すジュークボックスみたいな中古オルガン、声をかければチンチンと鳴らすチンチン電車などのサブキャラの登場とあいまって、アクションを描くよりドタバタなコメディ色を濃厚にしている。足の爪先をさり気なく踏む。悪口を言われるとウィリー走行。海岸で海カモメとじゃれて戯れる。中古車屋に売られてしまうのがイヤ。勿論追っ手に気づくとスピードを上げる。しまいには金門橋のケーブルの上を綱渡り。水中にもダイビング。水中に潜った車といえば、『スパイキッズ』(01)とか、『007/私を愛したスパイ』(77)もあった。そしてなんと周りの同じ車種のビートルに声(クラクション)をかけては命を吹き込まれたかのように、同じビートルがみな彼の後をついてくる。スクラップ工場にいたオンボロビートルまでもがやってくる。ああなんとも痛々しい。どんなにガタガタでもどんなに遅れても彼らの後を一所懸命ついてくる。ああ、カワイイ…。頑固一徹、頑な一刻の筆者でもこれには参る。

 

訳あって(この辺、なんとなくドリフの大爆笑)泡だらけにさせられたアロンゾは、ハービーがいつしか苦手になって、なんと夢にまで現れる。羊の数を数えなさいと言われ、その通りに頭に羊を思い浮かべていった。1、2、3、4、5…、羊の胴体には数字。そして53、53、53…? …ハービー! ハービーが牙を剥いてこちらに向ってやってくる! アロンゾは捕まって縛られている。後輪で立って槍をタイヤ(手)にダンスするインディアンたち。…ハービー! アロンゾはエンパイアステートビルの頂上に立っている。周りにはセスナがウヨウヨと彼を取り囲む。…ハービー! こいつら全部ハービーだ! 無論、キングコングのパロディ。アロンゾはこの悪夢にうなされる。これはもう笑うしかない。

 

ここでのハービーは既にレースから引退したことになっている。前作のレースシーンの数々を回想シーンとして取り入れられている。あの頃いちばん活躍していた時期に戻りたい、走ることが楽しくて仕方がない、奮って競うことが楽しくて仕方がなかったあの頃に。ハービーは走ることがとにかく大好きなキャラであることを物語る描写ではないかと思う。

 

もうひとつ大事なキャラがいる。スタインメッツ未亡人のことだが、ハービーに命が吹き込まれていることを快く理解し、そしてどこかオトボケで憎めないキャラクターである。彼女はヘレン・ヘイズという女優で、他に有名な出演作品を一本だけ挙げるなら、世界規模的人間交差点『大空港』(70)がある。この作品で彼女は言い訳がましくも憎めない女泥棒を演じ、アカデミー最優秀助演女優賞を受賞した。

 

先に挙げたスティーブン・スピルバーグ監督のその続編、『続・激突! カージャック』(74)では冒頭で夫婦が収容所から脱出、身柄を偽って老夫婦の車に同乗する。運転しているその夫が後ろを向いたまま後部座席の脱出夫婦に延々と話しかけ続けるのはなんとも可笑しい。老人というのは、普通に考えたら車の運転には危険性が更に高くなると言えば、人によってそれは無理もない話だが、撮り方次第ではこうも危険であるにもかかわらず愛着が湧くようなキャラを作り上げてくる映画もかようにしてしばしばあるもの。或いは老練の成せる業とも。

 

スピルバーグは『トワイライトゾーン/超次元の体験』(84)でジョー・ダンテ、ジョン・ランディス、ジョージ・ミラーと共にオムニバス・ドラマのうち一本を監督したが、彼のパートのストーリーは老人ホームの居住者たちが子供の時代に戻ってしまうというファンタジーもので、観る者に勇気づけることを目的としたものだったようだ。スピルバーグによれば、勇気を奮い立たせるという面で高齢者と子供たちには心が似ているところがあるという。ここから察するにスピルバーグはこの高齢化社会に対しても既に意識が高かったのかもわからない。いずれにせよそれは別の話になる。また、彼のプロデュース作品である『ニューヨーク東8番街の奇跡』(87)では新たな高層ビルを建てんがために更地になっていく敷地の真ん中にポツンと残っているオンボロな料理店ビルが立ち退きを迫られている老夫婦(ヒューム・クローニンとジェシカ・タンディ)が主人公となっている設定であり、ほぼ間違いなくこのシリーズ2作目の評判の高さが窺える。

 

脱線したが、いよいよ3作目である。ジムが映画に帰ってき、相棒はアップルゲート(ドン・ノッツ)に交替している。今回もハービーと共に、今度はパリへ向う。モンテカルロ・ラリーに参加するためだった。ハービーにとっては12年ぶりの復帰となる。予選レースにはやはりライバルも登場、ところがハービーは何故か車種の違うクルマに恋をするので益々レースにならなくなる。

 

相手のクルマはランチア。名をジゼルといい、ドライバーは女性ダイアン(ジュリー・ソマーズ)。レース後にも街中でそのランチアを見かけ、ハービーは公園から花を摘み取り、ランチアにあげる。何が起こったのか、なんとランチアもそれに反応しているのだ。そしてフタリはでかける。なんとフタリは遊覧船にも乗ってランデブーなのだ。

 

予選レースが終わるまでの間、近くの博物館では特大ダイヤモンドが盗まれるという事件が起きていた。二人組の泥棒はそこに偶然居合わせたハービーの給油口の中にダイヤを隠して所有物検査から逃れるが、その後に催されたスタート前のレースカー展示会場にある(いる?)ハービーから取り戻そうと企む。ところがさすがはハービー、またぞろ危険を察知して彼らから逃げ出してしまうのだ。

 

 

ラブ・バッグ モンテカルロ大爆走

 

1980年日本公開 監督/ビンセント・マックビーティ

出演/ディーン・ジョーンズ、ドン・ノッツ

 

夜には車上荒らしに遭いそうになったジムたちは、ハービーを保管できる場所が欲しいと警察に相談を持ちかける。しかし、そこには本当の黒幕が存在していた。そして翌日のメイン・レース。ここからダイヤの争奪戦も同時に始まることになるのだ。

 

3作目でもやはりハービーは頭にくると前輪タイヤでモノは踏むわ、オイルはひっかけるわ、興奮してウィリー走行するわ、新たな技として今回は初めて走行中に踊り出す。その同時に、ランチアの眼前で、タイヤは四輪とも同方向に向いているのが一瞬だけだが確認できるのだ。この作品ではここまで凝りに凝った演技を新たに開発していたのだった。

 

恋をしているハービーの心の動きも丁寧である。恋はレースの妨げになると考えてアップルゲートはハービーに、ジゼルはハービーを嫌っていることにして嘘をついた。そうしていったんはハービーに、レースに集中させることに成功はしていたのだが…、といったくだりになるが、ゆくゆくはここでハービーの男気が伝わるようになっているのだ。

 

(ところでランチアという車種が気になって仕方がない。子供の時に流行ったラジコンカーだ。これはどこの車だ。気になって仕方がない。そこでこのモヤモヤを解消するために調べてみたら、これはいまやイタリアのほぼ全ての自動車メーカーを傘下に置いているというフィアットの系列、イタリア・トリノにある自動車会社であった。

 

モータースポーツが大好きなヴィンチェンツォ・ランチアが1906年に設立、その後息子のジャンニが跡を継ぐ。この時期に生産されたアウレリアというブランドはGT(Gran Turismo)のパイオニアとまでいわれたという。しかしながらこの息子は採算度外視、コストをとにかく莫大に使って生産開発を続けていったため、ゆくゆく倒産に追い込まれていった。これが1955年のことで、その後、建築業界とやらで成功していたカルロ・ペセンティが跡目を継ぎ、かつてのランチア一家は経営から退く結果となった。それなりの好景気を呈した時期はあっても経営は行き詰まり、倒産したところへフィアットが引き継いで現状に至った模様。

 

無論、同社は国際ラリーにも参戦している。ジャンニが代表であった時期が最も盛んだったとも言えるが、この時最も活躍していたドライバーのひとりがアルベルト・アスカリだった。彼らの活躍により、ランチア社の経営も幾許かは向上していった。

 

またF1にも参戦していた。この時に使われていた車種はおよそ革新的ともいわれていたD50。これをアスカリは運転していたが、どっこいレース中にスリップを起こしてなんと海へドボン。それでもアスカリは奇跡的に怪我もなく助かったという。それでも彼の不運は続いた。1954年5月26日のレースでのクラッシュ衝突で事故死したのだ。あまつさえ同時に前述のランチア社の経営も行き詰まり、泣く泣くF1撤退を決めたのだった。その後、チームはフェラーリに引き継がれ、活躍の場は国際ラリーや耐久レースに移り、D50はそのまま活用されたそうで、このお陰で多くの優勝実績が積み上げられていった。これを見て経営陣もあたかも事態を悟ったかのように関心を抱くようになり、次第に国際ラリー参戦への意思を固め、結果、数々の実績を残していったのである。このあたりは70年代、80年代でのことであり、新たに開発された車種、フルビア、ストラトス等の歴史的登場でもあった。そしていつの間にか活躍しなくなった。

 

ちなみにGTについてだが、クルマ好きの方はご存知のようにこれはGran Turismoの略で、直訳して「大旅行」、英語にするともちろんGrand Tourとなる。かつてイギリスでは貴族の子弟が教育の仕上げとして、2~3年間にわたるヨーロッパ巡遊を行うという習慣があったことから、明確な定義はないがこのように大きな旅行を気楽に高速で走って実現させうる、出力が大きめの車のことを指したようである。例えばアストン・マーチンもGTと呼称する対象となっていたように、寧ろスポーツカーを意識した呼び名であったが、いっぽう日本国内ではスピード超過による事故の急増や暴走族等の意識に対して昂揚させる語弊から、元来の意味である「大旅行」を踏まえてスポーツカーにではなく大衆車向けの車に対してGTと呼称することを優先したという。この流行は80年代が主流であったが、これまたいつしか流行らなくなるのだった。こんなところでどうでしょうか。)

 

最後にリメイク作品。これもディズニー作品であり、さすがに初期の作品と比べてもより現代的テイスト、コメディ、テンポ、スピード感もやはり目新しくなってきた感がある。監督はあまり聞いたことがないが女性監督である。

 

 

ハービー/機械じかけのキューピッド

 

2005年日本公開 監督/アンジェラ・ロビンソン

出演/リンジー・ローハン、マット・ディロン

 

冒頭。ビーチ・ボーイズの「GETCHA BACK」で幕が開けられ、これまでのオリジナル・シリーズの名シーン(テレビ版のシーンと思しきものもある)の数々、ハービーの活躍を報じた新聞記事がクローズアップされていく。そして復活劇も終わり、またしてもスランプに陥って引退を余儀なくされ、なんとタクシーにまで転職していたりするが、ついに苦手な廃車スクラップ工場に運ばれていってしまうハービーの散々なオープニングで始まる。

 

大学を卒業したばかりのマギー(リンジー・ローハン)。父親(マイケル・キートン)からの卒業祝いにガレージで中古車を買ってもらうのだが、そこでハービーと出会う。彼女が名前を知ったのはダッシュボードの中に手紙が残されていたから。その手紙には「ハービーをよろしく 彼は願いを叶えてくれます」としたためられてあった。こらあんたクジやろと手紙をくしゃくしゃにされた。これにムカついて自動車修理工場へと勝手に走り出すハービー。工場を営む昔の友達ケビン(ジャスティン・ロング)と再会、買ってもらった車を見てもらうためにハービーに同乗して行く。煙幕をあげながらガックンガックン前進する道中、ひょんなことからモーターショーの会場へ。そこでは人気のプロ・レーサー、トリップ(マット・ディロン)のプレス会見も催されていた。いまだボロボロな状態の「カブト虫」の悪口をまた言われ、彼の乗ってきた最先端の技術を搭載した車(スカイラインっぽいけどそこまでわからないんだな)の表面に傷をつける。オーマイガ。怒ったトリップは、ここ会場で路上レースを申し出ることになる。ところが悪戦苦闘の末、プロが素人に負けてしまうのだ。屈辱を覚えたトリップはこれで済まされる筈がなく、多額の賞金を懸けたレースを企画する。ストーリーはこんなところで。後は観てのお楽しみ。

 

NASCARの車輌にはフロントライトをつけてはいけない。映画ではフロントライトが見えるが、あれはただのワッペン。夜でもナイター照明で充分間に合うものらしい。

 

マギーもかつてはレースに参加していたが、レース事故のために父親に出場を止められていた。彼女の祖父もかつては名レース・ドライバーだった。父親はチーム・リーダー、マギーの兄も現役レーサーというNASCARレース一家という生活環境にある。しかし父親はチーム経営に逼迫し、兄は妙なところで下手な運転をしてはスピン&クラッシュ。家族それぞれに悩みを抱えているのだった。この映画は一種の家族ドラマでもあり、女の子が頑張るスポ根映画だ。

 

ところでNASCARレースはアメリカでも大人気のカーレースで約50台が参戦、左周回コースで何十周回るか知らないが、間違いなく50周は下らない。カーブはオーバル、そこに入る直前に高い位置に入り、カーブに入ってインを攻める。そしてストレートに入ればもちろん加速。速度はおよそ270㎞/hぐらいだ。

 

聞き分けがなく向こう見ずで、売られた喧嘩は必ず買う自信家だが、たまにヒョレレレとクラクションを鳴らして見捨てられるのがイヤだと主張し、とにかく傷つきやすいハービーとの出会いで、就職が決まったばかりのマギーの人生は変わりつつあった。

 

今度のハービーはかなり表情豊かだ。フロントライトをパチクリさせ、フロントバンパーを曲げてはにんまり。又はムカムカ。くすぐったがるとガタガタ。ドライブ・イン・シアターでホラー映画にビビッてガタガタ。相変わらず怒るとウィリー走行、見よう見まねで覚えたスケボーの要領でガードレールを走る。デモリション・ダービーで横転はしなくても縦転(?)してサンルーフからマギーを入れる。ムチャクチャ。もちろん恋もする。黄色に輝くニュー・モデルのワーゲンに恋をする(バックに流れるライオネル・リッチーの曲がピッタリだったのには笑える)。こうして観ていくとこれまでのハービーのキャラクターをちょいとかいつまんで踏襲しつつ、遠隔操作やCG技術などでより一層表情豊かにすることにいかに力を注いでいるかがよくわかる。然しハービーに魂(?)があると分かっていて、マギーやケビンは本当に分かっているのか、まだ分かってないのか観ていて分からない場合がたまにあるのがちょっとした微妙な印象もあったのだが、まあいいさ。

 

ちょいと耳を傾けてもらうと(またはDVDで英語字幕にしてもらっても良い)、マギーが冒頭で「Nissan !」と指差して買いたい車を選ぶシーンがある。ところがその上からクレーン車で吊り下げられたハービーが誤ってその車の上に落ち、砂埃を被ってはいてもいまだ原形をとどめていたそれは廃車も同然になってしまう。それはいったいなんだろう。幾らなんでもそこまでは、にしても20年以上経過した今でもこうしたパフォーマンスが未だに海の向こうでくすぶっていたとは。いや、いやたまたま日本車だったかもしれない。でも、前例がある以上はこうした形で詮索するのも無理も無いことだ。ああ、そうか。日本車は燃費がそんなに良かったのか。というわけで調べることがまた多くなった。

 

ついでに日本未公開版になったのが1980年の作品で「Herbie Goes Bananas」という原題。これは国内でも放送されたことがあることがわかったが、情報がいかんせん少ないものの、それでもわかったのはTBS系列で放送されたこと。タイトルは『ビバ! ラブ・バッグ』であった。新しくなったオーナーがメキシコまで出向いて贋物指輪の出処を暴く話らしい。テレビ版に至っては原題「THE LOVE BUG」そのままで、アメリカでは1997年11月30日に放送され、日本では時期は不明だがスター・チャンネルで放送されたようである。タイトルは『新ラブ・バッグ/ハービー絶体絶命!』だ。

 

第1作から使われてきたワーゲンは1963年型で、このカブト虫(Beetle)という愛称で親しまれた。前述したように、この生みの親は前述の通りウォルト・ディズニー。この作品が公開される前年には『チキ・チキ・バン・バン』が公開されていたが、この時期のミュージカル映画はほぼ斜陽化になっていたそうであり、ミュージカルはなくてもキャラクターでいけば大丈夫だろうと踏んで脚本家たちを動かしたのかも分からない。

 

従ってクルマが勝手に(?)動き出す映画としてはこれが初めてではないということになるが、それよりも前に勝手に動き出す無人のクルマが登場するファンタジーが更に存在していたかどうかをこれまでちょいちょいと軽く調べてきた限りでは、多分筆者は『My Mother The Car』ではないかなと思うのだった。うーむ。