すぎやま こういち氏を紹介。
2020年東京オリンピック開会式の各国入場行進曲で
ドラゴンクエスト「序曲:ロトのテーマ」

まだ新しい記憶の中、あの頃から約3年が経ちますね。


二周忌三回忌となる今日、改めてご冥福をお祈りします。

沢山の思い出に残る楽曲ありがとうございました。

 

 

生い立ち・経歴(Wiki参照)

1931年4月11日に東京台東区で生まれ、
両親が音楽・ゲームが好きだったことから、
幼少から音楽に親しみ、ゲームも好きだった。
中学~高校時代では、戦後の食糧不足から物々交換で得た
ベートーヴェンのレコードやオーケストラの楽譜より、
独学でクラシック音楽の勉強を重ねた。
ピアノが弾けなったことから音大を断念し東京大学へ進学。
卒業後の1956年に文化放送に入社。

1958年には開局1年前のフジテレビに移籍し、
音楽番組「ザ・ヒットパレード」等の演出を手掛けた。
退社後は作曲活動に専念。
作曲家としてザ・ピーナッツの「恋のフーガ」、
ヴィレッジ・シンガーズの「亜麻色の髪の乙女」
(後カバー曲:島谷ひとみ)などを手掛け、
ポップス作曲家の草分け的存在として活躍。
自ら命名したザ・タイガースの「花の首飾り」も作曲するなど、
当時のグループサウンズブームを支えた。
数多くのCM曲や競馬のファンファーレなどを作曲し、
オーケストラの指揮者としても活動した。


1980年代半ば森田将棋をきっかけに

1986年ドラクエの音楽を手掛け、

30年以上にわたり同シリーズの作曲を担当。
ゲーム音楽界の巨匠として多大な影響を与えた。


2016年には「最高齢でゲーム音楽を作曲した作曲家」

として、ギネス世界記録に認定。
2017年文化庁長官表彰
2018年旭日小綬章
2020年文化功労者
2021年9月30日死去(90歳没)

従四位、旭日中綬章

名義に関して、本名は椙山 浩一ですが

間違えて読む人がいたり、
 杉山と書く人がいるので平仮名にしたとの事。


ゲームが好きで日本カジノ学会理事、

日本バックギャモン協会名誉会長などを務めていた。
 

 

主な作品(個人的に印象あるものを抜粋)

・ドラゴンクエストシリーズ【ゲーム】
・不思議のダンジョン風来のシレンシリーズ【ゲーム】
・伝説巨神イデオン【アニメ】主題歌・BGM
・科学忍者隊ガッチャマンII【アニメ】主題歌
・サイボーグ009 -(第2期)【アニメ】主題歌編曲・BGM
・魔法騎士レイアース【アニメ】音楽監修
・DRAGON QUEST【アニメ】ダイの大冒険-主題歌・原曲BGM
・帰ってきたウルトラマン(1971年)【テレビ】主題歌
・ハウスバーモントカレー(ハウス食品)【CMソング】歌:西城秀樹
・ネスカフェ プレジデント(ネスレ日本)【CMソング】
・日本中央競馬会【その他】東京・中山競馬場ファンファーレ

 

ドラゴンクエストとの関係

「54年と5分で出来た曲」
当初ロック調で注文されたが、

ドラゴンクエストは中世の騎士物語から
クラシック調がふさわしいとすぎやま氏は主張。
(バックグランドにある)クラシックなら

何度聞いても大丈夫から発展。
「序曲」のメロディはすぐにでき、

(1週間で全ての楽曲を制作)
それまでの54年の人生があって初めて「序曲」を
生み出すことが出来たという言い方をしている。
(ピカソが晩年、さらさらと絵皿を描いての
「1分プラス80年だ」

と答えた逸話に感銘を受け真似た)

 

勝手ながらすぎやま氏の名言抜粋

・ゲーム音楽は同じ曲を繰り返し、

長時間聴くことになる。

地味でもいいから、

何回聴いても飽きない

曲でないといけない。


・私の曲はこれまで私が歩んできた人生や

人格なくしては生まれてきません。

これは私に限らず、

どの作曲家の皆さんも同じだと思います。


・音楽のプロを目指すのならば、

まず基礎をしっかりと身につけて欲しいと思います。

アマチュアとプロとの間の厳然とした差はそこにあります。


・自分の感情を音楽を通じて人々の前に

発表してみたいという心がなければ、

作曲しないほうがいい。


・音楽は、常に論理と感性、車の両輪で出来る。


・『ドラクエI』の曲は1週間でつくった。


・煮詰まったらドラクエやる。


・ベートーベン、モーツアルトなどのクラシック音楽を

全人類が200年以上聴いていてもまだ飽きないというのは、

飽きない音楽の真髄


・ファミコンの音源だとサウンドで

勝負することができないんです。

もうメロディでしか勝負できない。

でも僕には、面白かった。


・音楽は心のタイムマシーン。

音楽を聴くことによって、その音楽に初めて触れたとき、

音楽で何かを感じたとき、そのときの気持ちに、
 それが10年前であろうと20年前であろうと

一瞬にしてパーンとその人を

その時の気持や情景に送り込むことができる。


・ゲームも人生も、逃げたら経験値は上がりません。
 

 

エピソード

FF(ファイナルファンタジー)シリーズ

作曲家植松伸夫氏が話してた、
ファミコン時代にすぎやまこういちさんに

「3和音で曲作るのなんて無理がありますよ」って愚痴ったら
「僕2和音しか使ってないですよ」って言われて

背筋が伸びたってエピソードが面白い。

「3和音」が気になったので調べて見ると、

ファミリーコンピューターに積まれている音源は、

※PSG音源と言って最大で3つまでしか

同時に音を出すことができない。

「4音」をオーバーすると音が消えます。
※Programmable Sound Generator

(プログラマブル・サウンド・ジェネレーター)は、

音を作り出す電子回路の一種

3つの波形【矩形波2(主にメロディ)+

三角波1(主にベースライン)】+

ホワイトノイズ1(主にリズム・効果音)


完成一週間前で音楽をすべてやり直す

といった制約の中で名曲を生み出しました。
ドラクエの音楽は「2音あれば十分」という前提で

音楽と向き合っていたからこそ出来た名曲
厳しい制約の中で、さまざまな工夫を凝らして

巧妙に音楽的表現を発明していき、

名曲が次々と生まれたと思います!
 

DQシリーズ・印象に残ってる楽曲

1986年【DQI】


・序曲(オープニング)

1987年【DQII】悪霊の神々

・LoveSong探して(ふっかつのじゅもん)

・遥かなる旅路(フィールド)

・この道わが旅(エンディング)

1988年【DQIII】そして伝説へ・・・

・冒険の旅(フィールド)

・ジパング(ジパングBGM)

・おおぞらをとぶ(ラーミア)

・勇者の挑戦(ゾーマ戦)


・そして伝説へ...(ED)


1990年【DQIV】導かれし者たち

・戦闘~生か死か~(通常戦闘曲)

・勇者の故郷(フィールド)


・邪悪なるもの(エスターク・デスピサロ戦)


1992年【DQV】天空の花嫁

 

1995年【DQVI】幻の大地

・木漏れ日の中で(町や一部の村の曲)


・敢然と立ち向かう(ムドー戦)

 

2000年【DQVII】エデンの戦士たち

・失われた世界(過去フィールド)

 

2004年【DQVIII】空と海と大地と呪われし姫君

・広い世界へ~(フィールド)

 

2009年【DQIV】星空の守り人

 

2012年【DQX】オンライン(未プレイ)

 

2017年【DQXI】過ぎ去りし時を求めて

・過ぎ去りし時を求めて(エンディング)

 

この曲はDQ1~3のメドレー

「そして伝説へ (DQ3エンディング)」のイントロ
「荒野を行く (DQ1フィールド)」
「果てしなき世界 (DQ2フィールド)」
「おおぞらを飛ぶ (DQ3ラーミア)」
「この道わが旅 (DQ2エンディング)」
「そして伝説へ (DQ3エンディング)」

過去のDQがオマージュされていて感動です!

 


すぎやま氏はゲーム音楽では

「聴き減りのしない音楽」

を作るよう心がけていたといいます。
ゲーム音楽に携わってなければ、

現在迄の発展は無かったと思います。

 


制作中の『ドラゴンクエストXII 選ばれし運命の炎』


ゲームデザイナーの堀井雄二氏、

キャラクターデザインの鳥山明氏

(本記事のカバー画像は鳥山明氏の米寿のお祝い)、
音楽担当のすぎやまこういち氏

におけるこれが最後の作品となると思うと

とても感慨深いですね。

(最後まで読んで頂きありがとうございます!)