ブルース・リーは、映画スターとしてだけではなくて、武術家としても類希な存在でしたチョキ

10代前半の香港で詠春拳(葉問派)に入門アップして、北派の拳法も研究します

1959年18歳で単身渡米してからは、ボクシングやフェンシングのフットワークを取り入れたり、ムエタイ、サバット、レスリング・・・など世界中の格闘技を研究して自らの技術に組み入れました
(一番弟子のダン・イノサントからは、フィリピン武術『カリ』も学んでいます)

こうして、色々な武術を取り入れているうちに、ブルース・リーのスタイルは単にグンフーの粋だけで表現できないものとなり、また彼自身が有名になっていくにつれて、それに名前が必要になってきましたあせる

『截拳道(JEET KUNE DO)ジークンドー)』 (通称:JKD)ドンッ ・・・ブルース・リーはその武術をそう名付けました

それを流派名と見られることを嫌ったブルース・リーにとってそれは、「何が自分に役立つのかを探し出し、それを発展途上させていくための概念」・・・のようなものだったのでしょう

名言:人生の戦いは常に より強いか より速い人間のものになるというわけではないが、遅かれ早かれ、勝者というのは 自分を信じることができた人間だ (ブルース・リー)