わかめとの時間をこれからも | 403号室

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旅行・食べ歩き・わかめとの気ままな日々の記録


19日は、わかめの月命日でした。

1か月…時間は、流れてます。
(⬇️以下、長文になります)

この1か月
わかめが作ってくれたご縁の方々に
お礼をして過ごしてきました。
 みなさん
  寂しく悲しい気持ちを支えてくださいました。
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17年間毎日過ごしていたあたりまえが…
今年の1月から
これまで食べていたものを食べなくなった変化にとまどいを感じ、受け入られない気持ちでした。

食べさせたい気持ちと、わかめの体力の衰え…

徘徊症状に対する保護対策、2時間おきの排泄、毎日のごはん選び、点滴通院、仕事の調整。

とにかく、生きて欲しい気持ちで必死でした。

でもまだ、6月まではカウントダウンがこんなにも間近になっているとは思ってもいませんでした…

7月後半から、どんどん食べなくなっていき、
体重も、元気な頃の4kgからあっという間に
2.8kgまで落ちていきました。
最期に自分の意志で食べたのは、
「アイスの実」ピーチ味でした。

8月から強制給餌をはじめました。
頑張って飲み込むわかめの姿…
全力で私達の気持ちに応えてくれました。

8月13日の夜から朝にかけ、8時間以上の徘徊
朝には力尽き、14日が最後の受診となりました…
その日から寝たきりとなりました…
それでも排泄の時は起きようとして、鳴きました。
痙攣も出現し、日に日に大きな痙攣が続くようになりました。
15日からは毎日、病院の先生が往診してくれ
点滴を続けていました。

わかめは、
小さな頃から要求する時に吠える事はなく、
めったに吠えない子でした。
また、仕事の都合でお留守番を長くさせる事が多かった…
最期の時間は、
鳴いてたくさん私達にお話しをしてくれました。
体位交換、口腔ケア、オムツを変え少しでも、綺麗で快適に過ごせる事だけを考えてました。
わかめと、お話ししてずっとわかめのお布団の側に
いました。

18日、夜電気を消した時に
   呼吸がかなり浅くなってきてました。
19日深夜
 痙攣が始まりました。
1時間以上痙攣がほぼ止まらずでした。
撫でて、声を掛けることしかできませんでした。

その痙攣が収まると、心拍がゆっくりとなりました。
抱っこして、家族に見守られ息を引き取りました。
全力で最後まで生きる姿を見せてくれました。

生きて欲しい気持ちに、
本当にたくさんの人との協力があり最期の時間を与えて頂けました。
本当に感謝しております。

後悔しないようにと行動してきたつもりでしたが、
やはり先に立つのは後悔でした。
だけど、後悔する事も自分達が生きていく為に必要な事。大事な宝物を失ったのだから悔やんで当然。
わかめを想って毎日素直に泣きたい時に泣こうと
思います。
今ここにあるすべてが現実なのだから!

私達は、わかめとたくさん旅行してきました。
これからも、わかめとたくさんの旅行しようと!
月命日は、沖縄で迎えました。
わかめの服と、水着も持参!

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(ピンクのわかめの水着と、ジュシー)

1か月たち、きれいな海、星を見て、
あの日を振り返る事ができました。
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     さぁ! 
        わかめ!次はどこに行こうかな?

長文
読んで頂きありがとうございました。