格差社会は小泉「規制緩和」の負の遺産 (藤井裕久事務所)
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投稿者 いっぱつ 日時 2007 年 8 月 19 日 20:56:16: sl92nDep4Wwmo

「月刊日本」 2月号


ワーキング・プア現象をもたらした小泉改革


格差社会は小泉「規制緩和」の負の遺産


未曾有の格差社会を作り出した小泉改革


―― 06年11月には、戦後最長(57ヶ月)だった「いざなぎ景気」を超える景気回復を示したが、景気回復の実感や恩恵が広く国民一般に享受されていない。


 その通りだ。


小泉流の規制緩和による今回の景気回復とは、要するに企業がリストラの名の下に、それまでは正規終身雇用だった人材を非正規雇用、人材派遣に切り替えるという人件費圧縮策を強行した結果だ。


景気回復さえ達成すればすべての問題は解決する、という政府の当初の目論見は崩れている。


 政府は旧来どおりの、「景気回復 → 企業の設備投資増加 → 企業収益増加 → 個人所得増加 → 個人消費拡大 → 景気拡大」という循環図式を思い描いていたが、そもそも小泉改革が、同時に旧来の日本の社会構造を破壊してきたことに気づいていない。


いまの景気回復で企業は史上空前の増収増益を記録しているというのに、それが一向に株価に反映されていないのが、その証拠だ。


 いま業績を上げ、利益を得ているのは人件費を圧縮した企業や、俗に「勝ち組」と呼ばれる少数の人々、そして人口と税収が多い一部の地方自治体だけだ。


 小泉政治の5年5ヶ月が作り出したのは、現在の「格差社会」であり、その格差を前提とした、社会のごく一部だけが享受する「景気回復」なのだ。


そのような社会で、どうして国民全員レベルで「消費拡大による景気回復」など期待できようか。


自らの将来への不安が増大している時に、個人消費が増えるはずはない。


 問題は、規制緩和を推し進めた小泉政権が、経済的効率のみを重視して、個人の将来への不安を解消するという、政治の原点を忘れたことにある。


 まず小泉政権の過ちは、労働者派遣法改正によって、大企業にリストラの口実を与えたことだ。


この改正自体は悪いことではなく、さまざまな労働形態の可能性を開くものとして歓迎すべきものだった。


しかし、適用条件があいまいなままだったため、大企業がリストラする口実になってしまった。


その結果、「同一労働=同一賃金」という労働の基本すら守られない社会、正規雇用と非正規雇用との格差社会になってしまった。


 10 年前には1152万人だった非正規雇用者は、現在1800万人に増え、その一方で正規雇用者、つまり正社員はこの10年で3800万人から3400万人に減少している。


ある推計では、35歳以上のフリーター人口は2011年に132万人、2021年には200万人を突破すると予測している。


 しかも、こうしたフリーター層は専門的な仕事をするトレーニングを受けておらず、専門知識も技術もない。


だからいつまでも正規雇用社員にはなれない。


ますます格差は広がるばかりだ。


 ところが、あろうことか、小泉首相は「格差があっても、それは悪いことではない」と言い放った。


政治家の胸に刻むべき言葉は「乏しきを憂えず、等しからざるを憂う」であるはずだ。


格差を野放しにすれば、社会に疎外感、閉塞感が必ず出てくる。


昨今の残酷で猟奇的な事件からも、こうした格差社会の影響を感じずにはいられない。


田中角栄の精神を忘れるな


―― しかし、国民は郵政民営化、道路公団解体といった小泉改革に声援を送った。


 確かに、小泉以前の「官による規制」には行き過ぎたところが多々あった。


手取り足取りどころか、箸の上げ下げまで指示するがごとき細やかな規制で、それに不満を覚えている人たちは相当いた。


そういう人たちが規制緩和と聞いてすぐに「バンザイ、大賛成だ」とやってしまった。


過剰な官の介入はよくないが、だからといって、まったくの無秩序、野放図がよいということにはならない。


 市場には一定のルールが必要であり、市場に参加する経済人にはそれなりのモラルが求められる。


小泉改革による規制緩和のひずみが一気に噴出したのが、昨年のホリエモン、村上ファンドの事件ではなかったのか。


 道路公団民営化問題について言えば、小泉グループが、道路族を潰すことをもって、「田中角栄路線を潰した」と気炎を上げているのは、勘違いも甚だしい。


そもそも彼らは田中角栄という政治家を理解していない。


 田中元首相は「日本列島改造計画」をぶち上げ、彼は当時二階堂進官房長官の秘書官だった私に「谷川岳を平らにする」と言ったことある。


私は仰天して「山を潰して平らにすることは神への冒涜です」と言ったのだが、田中は「お前みたいな東京育ちに雪のことがわかるか」とだけ言った。


今ならばよくわかる。


 田中角栄という政治家は「雪国が生んだ政治家」だった。


あの雪で閉ざされ、天災のデパートのような裏日本で苦しむ人々を見てきたからこそ、彼らを何とか救いたいと一念発起して、政治家になった。


だから、いつも地に足が着いていたのだ。


 田中角栄は日本全国の均衡ある発展には道路網の整備が必要だと考え、「道路特定財源」を構想し、議員立法で実現した。


敗戦後の食うや食わずの時期には、道路こそ産業の基盤・インフラであり、道路建設という公共事業がそのまま大多数の国民の生活の基礎となっていたからだ。


 田中政治には功罪があるが、国民生活を向上させようという願いの下に展開された政策であるということを忘れてはなるまい。


 むろん、今では道路というのは数ある行政事案の中の一つに過ぎない。


だから、50年前と同じ道路行政を行う必要はないだろう。


しかし、地に足をつけ、恵まれない地域で苦しんでいる人々に役立つ政策こそが田中角栄の精神であり、政治の要諦なのだ。


そのことを忘れ、ただ単に「道路公団解体=角栄政治との決別」などと紋切り型の単純な勧善懲悪で捉えているようでは救いようがない。


地方「切り捨て」が生んだ「廃墟列島」


 天が味方せず、不遇な人というのはいつの世にもいるが、そういう人にも目を配る、援助を惜しまないのが政治のロマンであり、政治の温かみというものだ。


そうしたロマンも温もりも欠けた小泉前首相が進めた「地方切り捨て改革」は、いま確実にその悪影響が出てきつつある。


 小泉政権の地方分権改革とは、規制はそのままに補助金を減額するから、地方自治体にとっては踏んだり蹴ったりのものだった。


地方が税収による独自財源を持てるようにすると言っても、税というのは資金・所得・消費にスライドして課されるものだから、畢竟、豊な都道府県にとっては結構な話だが、貧しい県にとっては財源の恩恵が少ないことを意味している。


 実際04年度には、国庫支出金が1兆300億円、地方交付税が2兆9000億円、それぞれ削減されて、その一方で6600億円の税源移譲が行われたが、税源移譲額よりも補助金削減額のほうが大きいため、貧しい地方自治体からは地方税制対策が間違っていると悲鳴があがった。


 いま地方財政の財源不足額は約14兆円で、そのうち17%を地方債に依存している。


この地方債の金利だが、それまでは原則として同一だったのが06年9月から、各自治体と金融機関が協議して決めることになった。


つまり、各自治体の財務状況の良し悪しが資金調達のための金利を左右するということであり、財務状況の厳しい自治体は地方債を発行すればますます金利に苦しむことになる。


こうした悪循環が生み出されているのが現状だ。


 また、地方財政の疲弊とともに、少子高齢化が進んでいくから、ますます地方の台所状況は苦しくなる。


すると道路も公共施設も維持できなくなる。


そう遠くない将来、日本はごく一部の都市だけが栄え、それ以外は、メンテナンスもされずに捨て置かれた公共施設だけが残る「廃墟列島」になってしまうのではないか。


マスコミよ!奮起せよ


 小泉前首相、そして金融・郵政を担当していた竹中平蔵の政策は、アメリカから突きつけられた「年次改革要望書」の通りであった。


しかし、あれは要望書ではなく、「命令書」だ。


 小泉政権はアメリカからの命令書通りに改革を進めたのだが、そのことを指摘して糾弾するマスコミ・言論者はほとんどなかった。


政治評論家の森田実さんなどが、そのことを声高に糾弾したが、言い出した途端に、マスコミから干されてしまった。


 郵政解散6日前の05年8月2日、参院郵政民営化特別委員会で民主党の桜井充参院議員が「年次改革要望書」を紹介した上で「郵政民営化というのは、アメリカの意向を受けた改正なのかわからなくなっている」と、小泉首相、竹中郵政担当大臣に迫った。


しかし、この質問を報道したのは中央紙の中では産経新聞だけで、扱いもベタ記事で、質疑応答のごく一部を紹介しただけだった。


 < 桜井充氏(民主) 民営化は米国からの要望に配慮したのか 

小泉首相 私はアメリカが言い出す前から民営化を説いてきた。


島国根性は持たないほうがいい>


 これでは「年次改革要望書」の問題点も何も伝わらない。


マスコミも時の権力者にはあえて逆らわないのだ。


本来、マスコミは政治を批判する立場なのに、まったくその機能を果たせていない。


いまは安倍首相との「ぶらさがり取材」の回数が少ないのと泣き言を言っているが、そもそもあの「ぶらさがり」という取材形態自体がおかしい。


 大体、ぶらさがっているのは駆け出しの若い記者だけだから、丁々発止のやり取りもできない。


その結果、ただただ政治家の言葉を伝達する道具に成り下がり、小泉のようなワンフレーズの天才にとってはこの上ない広報道具になってしまうのだ。


国家財政を見据え、正面から税の議論をせよ


―― 財政通として、世界最悪の財務状況に陥った現在の日本経済、経済政策をどう見るか?


 いまはまがりなりにも「景気回復局面」だが、それならばなぜ、いま法人税減税が議論されるのか理解できない。


財政再建には増税は不可避だが、法人税減税を実施すれば、増税は個人の所得に対して行われるということになる。


それではますます、格差社会が助長されることになる。


 いまの経団連は、かつての中曽根政権時代に第二次臨時行政調査会で活躍した土光敏夫氏が会長だった頃からは大きく変質した。


彼らは国の在るべき姿を描きつつも、政治には一定の距離を置いたものだ。


ところが、いまは経団連も政権にべったり、安倍も経団連にべったりでやっている。


それで法人税は減税してください、企業献金を再開しましょう、という話が出てくる。


 正直に言えば、国家財政立て直しのためには、消費税に限らず、将来的な増税は避けられない。


竹下登元首相が消費税を導入したときは総選挙で大敗し、討ち死にした自民党議員も沢山知っている。


だが彼らは、たとえ自分が討ち死にするかもしれないとわかっていながら、しかしいま消費税を導入せねば国家の将来がなくなると、決死の覚悟で消費税法案を通した。


ところが、いまでは与党・野党とも、消費税問題を口にしなくなっている。


 このまま少子高齢化・労働人口の減少・医療費の高騰が進めば、さらなる国民の負担増は不可避だ。


与党野党ともにこの話を避けて通ることはできない。


人口純減時代の到来に向けて対策をとれ


 現在の少子高齢化の流れが続けば、社会保障費の上昇は避けられない。


最終的には消費税10%前後は仕方ないだろう。


 現在でも65歳以上の人口が全人口の2割を超えている。


この傾向が続けば10年後には労働人口は現在から約900万人減少するという推計も出ているが、そうなれば当然GDPもそれに応じて減少する。


もはや増税のみでは社会保障費を賄えなくなるという事態が出来たときに、どうすべきなのか。


 移民という問題についても、議論すべきだろうと思う。


労働人口の減少に対して、私企業ならば海外進出という解決策もあるが、それでは日本経済は縮小するばかりだ。


国家として、経済規模を維持するには移民の問題を考えなければならない。


 移民に対する拒否反応はもちろん強いものだ。


まずなにより、治安への不安がある。


だが目下のところ、治安悪化の原因となっているのは不法入国者であって、正規に入国して正規に働いている外国人が犯罪を行っているわけではない。


入国管理と移民労働者を受けいれる環境を政治の力で整えていけば、十分に対応できる問題であるはずだ。


そして実際に、産業の現場からは海外から優秀な労働力を導入するよう求める声が大きいのだ。


国の根幹・教育を再生せよ


 実は私が本当に心配しているのは、日本の子供たちの基礎学力不足だ。


私は「ゆとり教育」については、根本的に反対しているわけではない。


優れた教師が優れた少数の生徒を「ゆとり教育」するのであれば、素晴らしい効果を生むだろう。


だが、問題は「ふつうの教師」が「ふつうの子供」を教えるという、ベースアップを目指すべき公教育には適していないということだ。


 「金の卵」と言われて地方から集団就職してきた団塊の世代は中卒、高卒が多かった。


しかし、地氏の中卒・高卒の方が今の大卒などより遥かに基礎学力があった。


今の子供たちの基礎学力低下は目を覆わんばかりだ。


 一方で、特にIT分野、理系分野を中心に、どんどん世界中から一流の能力を持った若者たちが日本に来て働くようになっていく。


ひょっとすれば、いまから数十年後には、「格差社会」日本においては、「勝ち組」「上流階級」が優秀な移民で、「負け組」「下層階級」が基礎学力のない日本人、という構造ができてしまうかもしれない。


 そうならないためにも、ここでは4点、指摘をしておきたい。


第一に、日本の将来的産業について、これまでのように加工貿易、つまり我々の科学技術力でもって付加価値をつけて輸出していくという産業形態を維持できれば、少しばかり少子化が進んでも大丈夫なのではないかという議論もあるが、基礎学力低下によって、その科学技術力がまさに危機に瀕しているのだ。このことについてはもっと危機感を抱いたほうがよい。

 次に、社会状況については、行き過ぎた規制緩和による無秩序化に歯止めをかけなければならない。市場の秩序に任せるのも大切だが、公正取引委員会の強化などの、ルールの徹底が前提だ。

 第三に、日本に健全なナショナリズムが育つのはいいことだが、不健全な、排他的で偏狭なナショナリズムが勃興するのはよくない。いつの世も、理性を失うと碌なことにはならない。

 第四に、日本は日本なりに、世界に貢献していかなければならない。それは主に、平和と環境の分野になるだろう。特に環境は喫緊の課題だ。地球温暖化をはじめ色々問題が起きつつあるのに、アメリカはそもそも「京都議定書」など無視して知らん顔しているし、中国は自らは発展途上国だと言い訳しつつ、二酸化炭素に産業廃棄物を垂れ流している。こうした環境分野で日本の高い技術力が必ず役に立てるはずだ。


人としての在り方を見つめなおせ

―― 日本再生の妙案はあるか?

 政界にしろ財界にしろ、小粒でせせこましい人物が増えた。倫理観も正義感もない。人間の在り方がわかっていない。

 要は、教育のレベルで、学力だけでなく、人間の在り方を教えなければいけない。人間の在り方というのは自ら学んで学べるものではない。子供の頃に教えなければならないのだ。

 会津藩の藩校「日進館」には7項目の掟が掲げられていて、これを10歳までのうちに叩き込んだ。いわく、

1. 年長者の言うことにそむいてはならない
2. 年長者には御辞儀をしなければならない
3. 虚言をいう事はならない
4. 卑怯な振舞をしてはならない
5. 弱い者をいぢめてはならない
6. 戸外で物を食べてはならない
7. 戸外で婦人と言葉を交へてはならない

 そして、一番最後にこう書いてある、「ならぬことはならぬものです」と。

 こうしたことを子供の頃に叩き込んでおかねば、倫理というものは本質的に成立しえないと思う。いまの退廃した世相を憂えるだけでなく、いまこそ会津藩藩校「日進館」の掟を、子供だけでなく、世の大人たちにも学ばせたいものだ。

格差社会は小泉「規制緩和」の負の遺産 (藤井裕久事務所)
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