サザンオールスターズ
   「創価学会問題」で内輪モメ

http://the49-2.hp.infoseek.co.jp/other/wgendai130901.htm

(『週刊現代』2001.9.1号)

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桑田が苦しい胸の内を吐露
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 300万枚の売り上げを記録したヒット曲『TSUNAMI』で、昨年末にはレコード大賞を受賞し、若者から中年まで幅広いファン層をもつサザンオールスターズ。'74年に青山学院大学在学中だった桑田佳祐(45歳)を中心に結成され、原由子(44歳)、大森隆志(44歳)、関口和之(45歳)、松田弘(45歳)、野沢秀行(46歳)からなる6人組のロックバンドである。'78年のデビューから23年が経つが、その間一度もメンバーチェンジをしていないという結束の固さでもよく知られていた。ところが23年目にして初の"内輪モメ"が表面化した。ギタリストの大森隆志が、バンドを脱退したのだ。
 昨年末から大森は、「心身のリフレッシュ」を理由に活動を休止していた。ファンの間ではその去就が注目されていたが、8月11日、桑田がパーソナリティをつとめるラジオ番組『FMワンダーランド~やさしい夜遊び』(TOKYO FM)で、正式に大森の脱退を発表したのである。
 その番組のなかで、桑田は、
 「彼は今後ソロアーチストとして、独自の道を行くことになりました。これは大森君のたっての希望も含め、サザンの他のメンバーとも昨年からミーティングを重ねまして、悩み抜いた結果でして」
と苦しい胸の内を吐露。さらに脱退の理由については、
 「やはり彼のソロ指向が近年非常に強くなってきたということなんですよ」
と、大森のソロ指向を強調する一方で、
 「おれとしでは、まぁ23年間やってきた家族みたいなもんだから、ギター練習したりして、また戻ってくるのを待ってるからさぁ、みたいなことを言いまして、彼もまたそれを承諾してくれたんですけど……。ただ、彼の律義な性格からすると、最終的に脱退、独立という形が一番前向きな結論かなということになりました」
 と、桑田側から大森に「休養勧告」していたとも受け取れる「本音」を漏らしている。

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湘南を歌った数々の名曲で日本の音楽シーンに23年
間も君臨してきたサザンオールスターズ。夏の代名
詞ともいえるサザンで、創立メンバーの一人、ター
坊こと大森隆志が脱退、波紋を呼んでいる。しかも
その背景には、なんと大森の信仰する創価学会の問
題がからんでいるというのである。その真相に迫った。
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 桑田のこんな心中を裏付けるように、桑田と大森の共通の友人がこう証言する。
 「結局のところ、今回の件では、大森は実質上はクビに近かったんですよ。それというのも、彼がもう数年前から、完全にやる気を失っていたからなんです。サザンは周知のように、桑田と原由子夫妻がほとんどの曲をつくり、実質的にはこの二人によって他のメンバーが食わせてもらっているようなもの。そうしたなかで、特に大森はサザンのメンバーという位置にすっかり満足して、最近はギターの練習さえもあまりしなくなっていたんです。
 昨年のレコーディングでは、スタジオに集合したさいに、練習してこなかった大森に対して桑田が怒り、険悪な雰囲気になる一幕もあったと聞きました」
 だが、桑田が大森に見切りをつけた理由は、どうもそれだけではなさそうなのだ。サザンオールスターズの所属事務所、アミューズの関係者が証言する。
 「じつは大森氏の九州の実家は、お母さんが創価学会の熱心な会員で、本人も20年ほど前から学会の活動に積極的に関わっていました。初期の頃は他のメンバーたちも特に問題にしていなかったんですが、ここ数年、彼の学会への傾倒ぶりがひどくなり、音楽の練習に集中できなくなった
 あげく、ついにバンド活動に支障をきたすほどになって、見過ごしておけなくなったというのが真相なんです」
 なんと、音楽性の違いどころか、原因はまったく別の「宗教問題」だというのだ。大森自身が、学会系列の出版社、第三文明社の『わが栄光の青春Ⅱ~創価学会青年友好大会 1984』の中でインタビューに答えて語っているところによると、学会活動開始のきっかけは、デビュー3年目の'80年だったという。 疲労がたたって椎間板ヘルニアになり、まったく起き上がることもできなくなった時「これまでやってこれたのも母親の強盛な信心のおかげだった」と反省。あらためて「唱題と折伏の実践」を誓い、真剣に唱題しはじめたところ、3週間も経たず、再び音楽活動ができるようになったと告白しているのだ。それ以来、熱心な信徒として活動、サザンの人気が高まるにつれ、学会内での貢献度も高くなっていったようだ。'92年4月には「聖教新聞」の学会所属の芸能人たちによるリレー連載で、男子部副本部長として登場。同年7月の参院選では、公明党候補の浜四津敏子氏などの選挙応援に駆けつけ、自分の歌を披露している。コンサート会場の三色旗に仰天こうした大森の学会への傾倒ぶりが"本業"サザンの活動に影響を与えはじめてきた頃、桑田を驚かせたこんな"事件"があった。前出の大森・桑田共通の友人が語る。
 「今から7~8年前のことです。サザンの全国ツアーの会場で、観客席で見慣れない旗が頻繁に振られることに、桑田が気がついたんですよ」
それは、学会のシンボル、青、黄、赤の縦縞の" "だった。
 「最初、桑田はそれが何であるか知らず、べつに気にもとめていなかったんですが、あまりにその旗が目立ってきたので、周囲のスタッフに『あの旗はなんだ?』と聞いたんです。それで学会の旗だと知って愕然とし、大森にサザンの名前を利用するのは控えてほしいとやんわりと注意したそうです。大森もさすがに桑田から注意されたことで学会関係者に相談し、『コンサートに旗を持っていくのはやめましょう』と信者に呼びかけてもらって、一応は収まったようです。そんなこともあって、桑田のなかに創価学会に対する不信感が芽生えてきたんですね」(前出の友人)
 そして、他メンバーとの微妙な関係が、さらに変化するきっかけとなる出来事が数年前にあった。大森が池田大作創価学会名誉会長の側近中の側近と言われる女性と結婚したのである。
 学会の内情に詳しいジャーナリストの乙骨正生氏が語る。
 「大森氏の結婚相手は、20代のときから池田名誉会長に気に入られ、長年、彼の直属通訳をつとめている女性です。40歳を過ぎているはずだが、大変な美女で、現在でも池田氏が英語圈に外遊するときや、外国の要人と会うときは必ず彼女がぴったりと寄り添っている。聖教新聞などの写真記事にも、池田氏とともにたびたび写っており、学会では彼女のことを知らない人は誰一人いない、超のつくほどの有名人です」
 しかし、大森がそんな学会内の超有名女性と結ばれたということは、何を意味しているのか。
 乙骨氏がこう続ける。
 「当然、それほどの側近である彼女と結婚するためには、池田氏の許可がないとできるはずがありません。つまり、彼女と結婚できたということは、学会員として大変な名誉であり、それだけ大森氏が池田氏から見込まれている証拠です。たしかにサザンオールスターズという日本中に知られたブランド名を利用して機関紙でさんざん宣伝できたわけだから、その貢献度は半端なものではない。逆にいえば、桑田氏らサザンの他のメンバ-たちは、そうやって自分たちの名前が学会の宣伝に利用されていることが愉快だったはずはないでしょう」
 また、学会内部からは、こんな声があがっている。
「大森さんが池田名誉会長の側近と結婚したことで、学会内での大森さんを見る目は明らかに変わりました。サザンでの音楽活動があり、事務的な活動ができないために、組織の肩書こそ目立つものではありませんが、まさにちやほやという言葉がぴったりで、その待遇は他の学会員とは別格になったんですよ。大森さんは、学会での地位が向上していくうち、本業の音楽活動への情熱が失われていった。それが桑田さんには我慢がならなかったんじゃないでしょうか」(大森と親交のある学会員)
 やはり、大森脱退の原因に、学会問題がなんらかの影を落としていたことは間違いないようだ。

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「微妙な感性の問題があった」
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 両者の真意を聞こうとアミューズに取材を申し込むと、
「たしかに大森が学会員であることは、以前から他のメンバーは承知していました。しかし今回の脱退で学会問題がからんでいることはまったくありません。昨年末、大森から一度リフレッシュしたいという申し出があって休養に入り、年明けからメンバーと話し合ってきて出した結論だということです」(広報担当・久保田康氏)
 と脱退と学会の関連を否定した。
 大森は「今後、ラジオのパーソナリティなど幅広い芸能活動に挑戦していきたい」という趣旨の文書コメントを発表したが、そこには脱退の原因については一言も書かれていない。そこで大森自身の説明を聞こうとしたが、連絡が取れない。かわりに、大森の個人音楽事務所の取締役に就任している実兄・仁史氏が、本誌の取材に答えてくれた。「今回の件で学会のことを言われるのは大変心外です。私たち一家が学会に入っていることは20年前からわかっているわけですし、別にそれでどうこうということもなく過ごしてきたのですから、今さらそんなことが問題になるなんておかしいと思いますよ。弟はデビュー当時から腰痛を抱えていて、ヘルニアになったり、コンサートで椅子に座りながら演奏したこともありました。そうした爆弾を抱えた身で、他のメンバーの足を引っ張ってはいけないという気持ちがあいつなりにあったんでしょう。もちろんそれだけが脱退の理由ではありません。音楽のことは私にはよくわかりませんが、微妙な感性の問題のようなことがあったのかもしれない。いずれにせよ、メンバー内でトラブルのようなことはまったくなかったはずです」
 仁史氏によれば、発表の1ヵ月ほど前に大森から電話連絡があり「どうしたらいいだろうか」と相談されたという。「私は、自分の思い通りにやったらいい、と答えました。弟は中学校の頃からギターを抱えて寝るようなやつで、音楽を離れては生きていけないと思います。現在は白紙の状態ですが、手探りで進んで、誰かをプロデュースするなり、グループを組んで再デビューするなり、形が決まったら本人が発表するはずです」
 ともあれ、これからは「サザンオールスターズ」という大看板なしで、ソロ活動をしていくという大森。ぜひ学会員だけでなく、一般のファンにも元気な姿を見せてほしいものだ。
   メンバー脱退の"真相"はこれだ