人と接する時は相手の気持ちを一番に考えます

そして初対面でその人のことを

決めつけないようにしてます

その人に何か辛いこととか

事情があるかもしれないから

相手を勝手に決めつけて接したりはしません

 

            -次の空白を埋めてください ウヨン編- より

 

 

 

みんな、ウヨンみたいな考えだったらいいのにね。

私も決めつけられて、あーだこーだ言われたことがある。

ブログではなくてTwitterだったけど。

趣味アカ(ファンアカウント)ではなく、某クラスタ界隈にいた時なんだけど。

その人たちの中で私は年齢も70代になってたし性別まで変わってた。

匿名で顔も出していない、お互いに知らない人に対して、

複数人でリプ欄にぶら下がって、人をバカにするように会話してた。

 

元のツイートは「こういうことがありました」レベルの単なる事実を書いたツイート。

でもその事実を信じたくない人たちが

リプや引用で内容と関係のないことで

ツイート主(発信したアカウントの中の人)を攻撃するのです。

そして「こいつは本当はこういうやつに決まっている」と始まるわけです。

そんなことをしても私は真実を知っています。

そんなの当然です、自分のことなんですから。

70代でもなければ男性でもないし、何もかも全部ハズレです。

(逆にお見事です。ひとつも当たってない)

 

否定をしても信じません。

「ムキになって否定している」(だから当たりだ)

(ムキになってなどいません。呆れてるだけ)

無視(スルー)をしたらしたで「当たってるから何も言えないんだろ」です。

(そうじゃなくて、本当に呆れてるだけ)

 

 

以前の記事でとあるドラマの話をしました。

 

 

 

 

 

今見ているドラマのセリフでとても印象的なセリフがありました。

ウザイとか、イラつくとか、あざといとか言われて嫌われる、私の何がダメなんですか

という主人公(ヒロイン)に対して彼が言ったセリフです。

 

あなたは何も悪くない。そう思う相手の方に問題があるのだと。

あなたにそうであって欲しい何かが(あるのだと)。

 

そうであって欲しい

そうでないと困る

 

何か。

それは何なんだろうね。

 

 

ある言葉を見る度に自分に起こった上記の出来事と

冒頭のウヨンの言葉を思い出します。

 

 

どんな界隈でも対話でわかりあえる人たちとそうでない人たちがいます。

今までたくさん経験してきました。

最終目標(目的)が同じ人なら、話を聞いてもらえるかもという望み。

反対に最終目標(目的)が同じでも、考え方やある事柄に関しては

考え方捉え方が違うということもあると知っています。

 

なので、もしかしたら理解を示してくださる方がいるかもしれない

時間が経ち、何かのきっかけでご自身で気づきがあり

「そういえばこういうことを言ってた人がいたかも」

と思い出してもらえることもあるかもしれない。

私は常にそのような心持ちでいる。

私のブログなんて、その程度にすらなれないかもしれないけれど。

 

 

 

 

最後に私の大好きな曲のひとつ Lost を置いておきます。

 

パクジミンのダンスがパクジミンなんよ!笑