《二つの世界をつなぐ橋》
第9話 壊れてから氣づくのか❓
私たちの暮らしは、
たくさんの仕組みに支えられています。
電氣
水
通信
物流
金融
行政
医療
交通
食料
普段は、
それらが動いていることを、
ほとんど意識しません。
蛇口をひねれば、
水が出る。
スイッチを入れれば、
電氣がつく。
店へ行けば、
食べ物が並んでいる。
スマホを開けば、
誰かとつながる。
それが、
当たり前になっています。
でも、
当たり前というものは、
止まった時に、
初めて、
その存在が見えることがあります。
⚡ 電氣が止まった時に見えるもの
電氣がある時、
私たちは、
電氣そのものを意識しません。
冷蔵庫が動く
照明がつく
暖房が動く
通信機器が使える
ポンプが動く
決済ができる
工場が動く
でも、
電氣が止まると、
一つの停止が、
別の停止へ、
次々につながっていきます。
冷蔵できない
通信が不安定になる
水が出なくなる場所もある
店が開けなくなる
決済ができない
物流にも影響が出る
その時になって、
初めて、
私たちは氣づきます。
電氣は、ただ照明をつけていたのではなかった
暮らし全体を、
見えないところで支えていた。
💧 水が止まった時に見えるもの
水も同じです。
普段、
水は、
そこにあるものとして扱っています。
飲む
洗う
炊く
流す
育てる
でも、
水が出なくなれば、
すぐに分かります。
人は、
水なしでは、
長く暮らせない。
そして、
水を届ける仕組みもまた、
電氣や設備、
人の作業に支えられている。
一つだけで、
独立して存在しているわけではありません。
🚚 物流が止まれば、棚は空になる
スーパーに並ぶ商品も、
店の奥から、
自然に出てきているわけではありません。
誰かが作る
誰かが加工する
誰かが運ぶ
誰かが仕分ける
誰かが棚へ並べる
その間には、
燃料も必要です
道路も必要です
倉庫も必要です
情報も必要です
決済も必要です
一つでも、
大きく詰まれば、
流れは止まる。
その時、
初めて、
普段見えていなかった、
大きなつながりが見えてきます。
🧭 暮らしは、「点」ではなく「線」でできている
これは、
《ニュース天氣図》で、
ずっと観てきたこととも、
つながっています。
ニュースも、
一つの出来事だけ見れば、
点です。
でも、
点と点をつなぐと、
線になる。
物流も、
同じです。
電氣も
水も
食料も
金融も
全部、
単独では動いていない。
線の中にある。
さらに、
その線同士も、
つながっている。
だから、
どこか一つが止まると、
別のところへ影響が出る。
世界も、
暮らしも、
本当は、
ずっとつながっている。
🌱 動いている時には、見えない
仕組みというものは、
うまく動いている時ほど、
存在感がありません。
道路がある
電線がある
配管がある
配送が来る
行政が動く
銀行が動く
医療が動く
何も起きなければ、
私たちは、
それを意識しない。
でも、
止まると、
急に見える。
自分は、こんなにも多くのものに支えられていたのか・・・
その氣づきは、
とても大きい。
🪞 依存していたこと自体が、悪いわけではない
ここで、
誤解したくないことがあります。
社会の仕組みに、
依存していること自体が、
悪いわけではありません。
人間は、
一人ですべてをやることはできない。
誰かが米を作る
誰かが家を建てる
誰かが病氣を診る
誰かが道路を直す
誰かが電氣を送る
役割を分けることで、
社会は成り立っています。
問題は、
依存していることを、
知らないこと。
何に、
どれだけ支えられているのか❓
そこを知らないまま、
「当たり前」だと思っていることです。
🌿 依存を知れば、備え方が変わる
自分が、
何に依存しているのか分かれば、
考え方は変わります。
電氣が止まったら、
どうするか?
水が出なくなったら、
どうするか?
店に食べ物が来なくなったら、
どうするか?
通信が使えなかったら、
どうするか?
全部を、
自分で用意する必要はありません。
でも、
少し考えておく
少し備えておく
少し自分でできるようにしておく
それだけでも、
大きく違います。
🌾 「自分でできる」を少し増やす
私は、
これから必要なのは、
何でも一人でできる人になることではないと思っています。
それは、
現実的ではありません。
でも、
「自分では何もできない」
という状態から、
少し離れることはできる。
簡単なものを直す
少し食べ物を育てる
水を確保する方法を知る
火を使う
道具を扱う
体調を観る
情報を自分で調べる
お金の仕組みを学ぶ
近所の人と顔を合わせる
小さなことです。
でも、
その小さなことが、
いざという時の余白になります。
🌳 「自立」と「孤立」は違う
自分でできることを増やす。
そう聞くと、
何でも自分一人でやる、
という方向へ行きがちです。
でも、
それは違う。
自立と、
孤立は、
同じではありません。
自分で立つ。
でも、
必要な時には、
他者とつながる。
自分でできることは、
自分でする。
できないことは、
助けてもらう。
そして、
自分ができることは、
誰かへ渡す。
この循環が、
大切なのだと思います。
🤲 支え合うためにも、自分の役割を知る
社会が止まった時、
必要になるのは、
「全部できる人」ではありません。
料理できる人
修理できる人
畑が分かる人
医療の知識がある人
子どもを見られる人
情報を整理できる人
車を動かせる人
力仕事ができる人
話を聞ける人
それぞれが、
自分の持っているものを出す。
そうすれば、
一人ではできないことも、
全体ではできる。
これは、
これまで書いてきた、
大調和の話ともつながっています。
🌉 危機は、人を分けることも、つなぐこともある
危機が起きると、
人は、
必ず助け合うとは限りません。
恐怖が強くなれば、
自分だけを守ろうとする。
奪い合う
疑う
分断する
そういうことも起きます。
一方で、
見知らぬ人同士が、
助け合うこともある。
食べ物を分ける
水を分ける
情報を渡す
車に乗せる
場所を貸す
危機は、
人間の中にあるものを、
強く表へ出すのかもしれません。
🔥 壊れてからしか氣づけないのか❓
ここで、
最初の問いへ戻ります。
人は、
壊れてからしか、
氣づけないのでしょうか❓
電氣が止まらなければ、
電氣のありがたさは分からない。
水が止まらなければ、
水の大切さは分からない。
物流が止まらなければ、
食べ物が届く仕組みは見えない。
社会が止まらなければ、
自分が何に依存していたのか分からない。
確かに、
そういう面はあると思います。
でも、
私は、
必ずしも、
壊れる必要はないと思っています。
🧭 想像する力があれば、先に氣づける
人間には、
想像する力があります。
今あるものが、
もしなくなったら。
今動いているものが、
もし止まったら。
そう考えるだけで、
見えてくることがあります。
これは、
恐怖を膨らませるためではありません。
むしろ、
恐怖を減らすためです。
知らないから、
怖い
考えたことがないから、
慌てる
でも、
少し想像して、
少し準備しておけば、
「では、こうしよう!」
と考えられる。
🌱 備えるということは、恐れることではない
備えるという言葉には、
危機や災害のイメージがあります。
でも、
私は、
備えることは、
恐れることとは違うと思っています。
備えるというのは、
自分の暮らしを理解すること
何が必要なのか?
どこから来ているのか?
何に支えられているのか?
何がなくなったら困るのか?
そして、
どこまでなら、
自分で対応できるのか❓
それを、
知っておくことです。
🌿 壊れる前から、学べる
前回、
「すでに次を生き始めている人たち」
という話を書きました。
あの人たちは、
壊れてから、
始めたのではありません。
壊れる前から、
違和感を持った
考えた
試した
失敗した
また試した
そうして、
少しずつ、
自分の暮らしを変えた。
私は、
ここに、
大きな意味があると思っています。
🌏 「機能停止」は、外側だけの話ではない
社会の機能停止
電氣
水
物流
金融
行政
こう書くと、
すべて外側の話に見えます。
でも、
人間自身にも、
機能停止のようなものがあります。
考えることをやめる
感じることをやめる
誰かの答えだけを待つ
忙しすぎて、
自分が何をしているのか分からなくなる。
怖すぎて、
考えられなくなる。
私は、
こちらの方も、
大きな問題だと思っています。
🪞 人間の中でも、「止まる」ことがある
情報が多すぎる
仕事が多すぎる
不安が多すぎる
刺激が多すぎる
そうなると、
人は、
考えているようで、
考えられなくなることがあります。
ただ、
反応する
怒る
怖がる
買う
従う
避ける
流される
それは、
外側の社会が動いていても、
内側では、
何かが止まっている状態なのかもしれません。
🌱 だから、立ち止まることも必要になる
面白いのは、
機能停止とは逆に、
自分から、
一度立ち止まることが、
必要になる場合があることです。
情報を止める
スマホを置く
外からの声を止める
静かにする
歩く
土に触れる
呼吸する
自分の中を見る
そうすると、
今まで聞こえなかったものが、
聞こえてくることがあります。
🌳 外側が止まる前に、内側を整える
社会が止まるかどうかは、
自分では決められません。
でも、
自分の内側を整えることは、
少しずつできます。
自分は、
何を大切にするのか?
何が必要なのか?
何がなくても大丈夫なのか?
誰とつながっていたいのか?
自分には、
何ができるのか❓
こういうことを、
平時に考えておく。
それだけで、
何か起きた時の判断は、
変わると思います。
🌉 「目覚める」という言葉
私は、
「目覚める」という言葉を、
何か特別なこととして、
使いたくありません。
何か秘密を知ること
誰かより上になること
特別な存在になること
そういうことではない。
むしろ、
もっと単純です。
自分が、何に支えられて生きているのかに氣づくこと
自分が、何を選んでいるのかに氣づくこと
自分の人生を、誰かへ預けていたことに氣づくこと
そして、
もう一度、
自分の足元へ戻ること。
私は、
それくらいの意味で、
この言葉を使いたいと思っています。
🍃 壊れることを待たなくていい
何かが壊れれば、
氣づく人は増えるでしょう。
でも、
壊れることを、
待つ必要はありません。
今、
水が出るうちに、
水について考える。
店に食べ物があるうちに、
食べ物について考える。
電氣があるうちに、
電氣について考える。
社会が動いているうちに、
社会について考える。
そして、
自分の暮らしが、
まだ普通に続いているうちに、
自分はどう生きたいのかを考える。
私は、
それができること自体、
とても恵まれていると思います。
🌏 壊れる前に、氣づく人たち
前回書いた、
「すでに次を生き始めている人たち」は、
もしかすると、
壊れる前に氣づいた人たちなのかもしれません。
全部を知っているわけではない。
未来が見えているわけでもない。
ただ、
今までのやり方だけでは、
少し違う。
そう感じた。
だから、
小さく動いた。
私は、
そのくらいでいいと思っています。
🌱 氣づいたら、小さく試す
大きく変える必要はありません。
一つ、
自分でやってみる
一つ、
減らしてみる
一つ、
備えてみる
一人、
つながってみる
一冊、
読んでみる
一つ、
疑問を持ってみる
そして、
結果を見る
また考える。
この繰り返しです。
🌿 「壊れる前に氣づく」という選択
社会が、
この先どうなるのか❓
私は、
断定することはできません。
大きく変わるかもしれない。
思ったほど変わらないかもしれない。
今ある仕組みが、
形を変えながら続くかもしれない。
でも、
どの未来になっても、
自分の暮らしを理解している人は、
強い。
何に支えられているのかを知っている
自分にできることを知っている
助けを求める相手を知っている
そして、
必要なら、
誰かを助けることもできる。
それは、
どんな時代でも、
無駄にはならないと思います。
🌉 橋の途中で、立ち止まる
《二つの世界をつなぐ橋》は、
外側の世界を観るところから始まりました。
そして、
内側を感じる
自分で考える
自分の足で立つ
他者とつながる
大自然とつながる
ここまで来ました。
でも、
橋を渡る途中には、
立ち止まる時も必要です。
今まで何に支えられていたのか❓
何を当たり前だと思っていたのか❓
何を、
誰かへ預けていたのか❓
一度、
見直す。
それは、
後ろへ戻ることではありません。
次へ進むために、
足元を確かめることです。
次回
第10話
大調和とは何か❓
自分が立つ
相手も立つ
人間だけでなく、
大自然も含めて、
共に生きられる場所を探す。
ここまで来ると、
次に出てくるのが、
「大調和」という言葉です。
でも、
大調和とは、
みんなが同じになることではありません。
違うまま、
共に存在できること。
次回は、
大調和とは、いったい何なのか❓
そこを考えてみます。
All Green Project
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