《暮らしの土台が揺れるとき》第5話
自分の足元へ戻る
ここまで、
世界の農民抗議
西班牙や仏蘭西で広がる生活不安
日本の米
農家の減少
肥料や燃料
氣候の不安定
この島の食の変化
そして、
體の使い方
そんなものを順番に観てきました。
一見すると、
ずいぶん大きな話です。
世界
国家
農業政策
食料安全保障
歴史
身体文化
けれども、
ここまで辿ってきて、
最後に戻ってくる場所は、
意外なほど小さなところでした。
自分の足元です。
世界を観ながら、庭の土を観る
私はここ数年、
自宅の小さな庭で、
少し変わったことをしてきました。
本格的な農業ではありません。
大きな畑でもありません。
種を播く。
あとは、
なるべく手を入れずに観てみる。
それだけです。
肥料を大量に入れるわけでもない。
きれいに管理するわけでもない。
どこまで自然に育つのか❓
何が残るのか❓
何が消えるのか❓
そんなことを、
実験のように眺めてきました。
結果として、
いろいろ播いた中で、
ニンジンだけが自分で世代をつなぐようになりました。
種を播く
育つ
花が咲く
種が落ちる
そして、
また出てくる。
人間が毎年すべてを決めなくても、
その土地の中で、
勝手に循環し始めた。
これは、
私にとってかなり印象的な出来事でした。
なぜ、ニンジンだったのか❓
正直、
理由は分かりません。
土なのか?
水なのか?
日当たりなのか?
氣温なのか?
品種なのか?
偶然なのか?
おそらく、
いくつもの条件が重なっているのでしょう。
けれども、
だからこそ面白いのです。
人間が、
「これを育てたい」
と思うことと、
土地が、
「これは育つ」
と答えることは、
同じではない。
こちらが決めるだけでは、
自然は動かない。
その土地には、
その土地なりの条件があり、
それに合ったものが残っていく。
そういうことを、
ニンジンから教えられているような氣がしました。
芝だった場所を畑へ戻してみる
昨年秋から、
庭の芝だった場所にも手を入れ始めました。
米ぬかを撒き、
防草シートを掛けました。
目的は、
単純です。
土がどう変わるのか❓を観る
芝を剥がして、
すぐに肥料を入れ、
すぐに野菜を作る。
そういうやり方ではなく、
まず一度、
土を休ませるようにしてみました。
米ぬかがどう働くのか❓
草がどう変わるのか❓
土の硬さがどう変わるのか❓
虫はどうなるのか❓
そこへ、
今年になって、
小さな耕運機が加わりました。
耕してみると、土は同じではない
耕運機を使ってみると、
場所によって反応が全く違います。
スッと入るところ
跳ねるところ
湿っているところ
乾いているところ
草の根が強く残っているところ
土の粒が細かいところ
粘るところ
同じ庭の、
ほんの数メートルの中でも、
土は同じではありません。
地図では、
同じ住所です。
けれども、
土の中では、
まったく違う世界が広がっている。
実際に触ってみると、
その違いがよく分かります。
土は、数字より先に答える
土壌検査をすれば、
pH
窒素
リン酸
カリ
水分
いろいろな数字が出ます。
もちろん、
それらは大切です。
けれども、
実際に鍬を入れた時、
耕運機を入れた時、
足で踏んだ時、
土は数字より先に、
感触で答えてきます。
柔らかい
硬い
重い
軽い
乾いている
湿っている
匂いが違う
草の生え方が違う
そして、
前回書いたように、
鍬が
「サクッ」
と入る時と、
「ガチャッ」
と止まる時がある。
この違いを感じることも、
土を知る方法の一つなのだと思います。
人間は、どこまで手を入れればよいのか❓
自然農を観ていると、
いつも一つの疑問が出てきます。
人間は、どこまで手を入れるべきなのか❓
放っておけばいい
とも言い切れない。
全部管理すればいい
とも言い切れない。
草を全部抜けば、
土は乾きやすくなる。
何もしなければ、
強い草だけが残ることもある。
耕せば、
土が柔らかくなることもある。
耕しすぎれば、
土の構造を壊すこともある。
つまり、
答えは、
一つではない。
その場所
その年
その氣候
その作物
その状態
それによって、
変わる。
だからこそ、
観ることが必要になる。
世界の農業も、同じなのかもしれない
ここで、
最初の話へ戻ります。
世界では、
農業を効率化してきました。
大型化
機械化
化学肥料
農薬
品種改良
物流
冷蔵
保存
そのおかげで、
多くの人が、
安定して食べられるようになりました。
それは、
とても大きな成果です。
けれども、
効率を高めれば高めるほど、
別のものへの依存も増えていきます。
燃料
肥料
電氣
機械
部品
物流
金融
そして、
氣候
一つの場所で起きた変化が、
遠く離れた農地へ届くようになった。
便利になった代わりに、
つながりが長くなった。
そして、
その線のどこかが切れると、
自分ではどうにもできない。
そんな構造にもなっています。
「自給自足」に戻る話ではない
ここで、
誤解されたくないことがあります。
私は、
昔のような自給自足へ戻ろう、
と言いたいわけではありません。
現代の暮らしを、
全部捨てる必要もありません。
スーパーは便利です。
物流も必要です。
現代農業も必要です。
医療も、
電氣も、
インターネットも、
今の暮らしを支えています。
ただ、
すべてを外側へ預けてしまってよいのか❓
という問いは、
持っておいてもよいと思うのです。
自分で全部作る必要はない
自分で米を作る
野菜を全部作る
水を確保する
電氣を作る
そんなことを、
すべて一人でやるのは現実的ではありません。
でも、
ゼロか百かで考える必要もない。
庭があれば、
一つだけ育ててみる。
ベランダなら、
プランターでもいい。
種を播いてみる。
土を触ってみる。
近所で何を作っているのか見る。
農家から直接買ってみる。
旬を知る。
水がどこから来るのか?知る。
電氣が止まったら何が困るのか?考える。
米を少し備えておく。
そういう小さなことでも、
外に預けていたものを、少しだけ自分の手元へ戻す
ことになります。
「知っている」と「やったことがある」は違う
種を播けば、
芽が出る。
頭では知っています。
けれども、
実際に播いてみると、
出ないことがあります。
出ても、
消える。
虫に食われる。
暑さで枯れる。
雨が多すぎる。
育っても、
実がならない。
あるいは、
何もしなかったところから、
勝手に生えてくる。
そういうことが起きます。
そこで初めて、
食べ物は、
スーパーに並ぶまでに、
いくつもの偶然を通っていることが分かります。
知識として知っていることと、
身体で知っていることは違う。
農業に限らず、
これは大きな違いです。
小さな庭でも、世界とつながっている
私の庭は、
世界の食料問題を解決しません。
ニンジンが自生しても、
それで生活できるわけではありません。
小さな耕運機を使っても、
農業政策は変わりません。
でも、
世界の出来事を見る目は、
少し変わります。
干ばつ
長雨
肥料価格
農家の廃業
米価
そうしたニュースが、
遠い話ではなくなる。
なぜなら、
自分もほんの少しだけ、
土の側へ立つからです。
観る位置が変わる
消費者として見れば、
野菜は、
安い方がいい。
米も、
安い方がいい。
農産物は、
いつでも買える方がいい。
当然です。
しかし、
一度でも育ててみると、
別の位置が見えてきます。
雨が降らなかったら
暑すぎたら
虫が増えたら
種が出なかったら
それでも、
出荷しなければならない。
その上で、
「高い」
と言われる。
そう考えると、
生産者と消費者は、
敵同士ではありません。
本来は、
同じ食卓を支えている側と、
支えられている側。
その両方が成立しなければ、
仕組みは続きません。
暮らしの土台とは何だったのか❓
この連載の最初に、
世界で揺れているのは、
政治や経済の表面ではなく、
生活そのものではないか❓
と書きました。
ここまで降りてきて、
少し違う言い方もできそうです。
暮らしの土台とは、
制度だけではない。
お金だけでもない。
土地
食
水
身体
仕事
人とのつながり
そういうものが、
互いに支え合っている状態なのだと思います。
昔は、
それらの距離が近かった。
土地で採れたものを食べ、
その身体で働き、
また土地へ戻る。
今は、
その一つひとつが、
とても遠くまで伸びています。
遠くへ伸びた線を、少しだけ戻す
便利になったことを、
否定する必要はありません。
ただ、
線が長くなりすぎた時、
少しだけ手元へ戻す。
それくらいなら、
できるのではないでしょうか❓
食べ物を、
少しだけ自分で育てる。
身体の感覚を、
少しだけ自分で取り戻す。
地域の生産者を知る。
季節を知る。
土を知る。
自分が毎日使っているものが、
どこから来るのか知る。
それだけでも、
暮らしの見え方は変わります。
自分の足元へ戻る
世界を変える
国家を変える
制度を変える
そういう大きな話も必要です。
けれども、
その前に、
自分の足元を見る。
今立っている場所には、
何があるのか❓
何が育つのか❓
何が育たないのか❓
何を自分でできるのか❓
何は人に頼るのか❓
その境目を知る。
それが、
これからの時代には、
意外と大切になるのかもしれません。
ニンジンが残った
いろいろ播いた中で、
私の庭では、
ニンジンが残りました。
なぜなのかは、
まだ分かりません。
でも、
それでいいと思っています。
全部を理解してから始める必要はない。
観る
試す
失敗する
また観る
その中で、
少しずつ分かってくる。
自然は、
人間が答えを出してから動くわけではありません。
こちらが観ている間にも、
勝手に変わっていきます。
最後に
今回の連載では、
世界の抗議から始まりました。
農民
米
氣候
食
身体
そして、
最後は、
小さな庭へ戻ってきました。
ずいぶん遠回りしたように見えます。
けれども、
最初から同じものを観ていたのかもしれません。
人は、何によって生かされているのか❓
そして、
その土台を、どこまで自分の手元に残しておけるのか❓
世界が不安定だから、
恐れる。
という話ではありません。
不安定だからこそ、
自分が立っている場所を知る。
それだけです。
世界を全部背負う必要はない。
まず、
自分の足元
土
身体
食べ物
暮らし
そこから、
もう一度観てみる。
《暮らしの土台が揺れるとき》
この連載は、
ここで一度終わります。
けれども、
たぶん、
この先にはもう一つ、
別の問いがあります。
身体は、食べ物と水だけで生きているのだろうか❓
呼吸
酸素
電氣
感覚
そして、
目には見えないけれど、
確かに生命を動かしているもの。
それは、
また別の場所で、
ゆっくり観てみたいと思います。
まずは、
足元から。。。
All Green Project 🌿
ai-kusunoki &「6」
構造で読む力を、暮らしの中心に。
