観える世界、感じる世界第4話|見えないものから、受け継いでいるもの | 「6」 愛の狩人

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🌿 観える世界、感じる世界第4話|

見えないものから、受け継いでいるもの

― お墓参りから考える、命と時間のつながり ―

 

連休四日目

 

今日は、お墓参りに行ってきた。

帰宅して、いつもの場所に腰を下ろす。

世界では、今日もさまざまな出来事が起きている。

国家が動き、お金が動き、新しい技術が生まれ、人々の暮らしが変わっていく。

僕は、そうした出来事を日々拾い集めている。

けれど、今日は少し違うところから世界を眺めてみたいと思った。

お墓の前に立つということ。

そこには、目に見えるものがある。

墓石

手を合わせる自分の身体

けれど、それだけではない。

そこに眠る人が、かつて生きていたということ。

自分が、その人たちから続く時間の中にいるということ。

目には見えなくても、今の自分につながっているものがある。

今日は、そんなことを考えてみたい。


🌿 お墓の前で、僕は何を見ているのだろうか❓

お墓というものは、不思議な場所だと思う。

そこにある墓石は、目で見ることができる。

手で触れることもできる。

けれど、お墓参りに行く人が向き合っているのは、石そのものだけではないはずだ。

亡くなった家族のこと

以前聞いた話

一緒に過ごした時間

自分が生まれる前に生きていた人たちのこと。

そうしたものへ、心を向ける時間でもあるのだろう。

もちろん、お墓参りへの思いは人それぞれだ。

懐かしさを感じる人もいる

悲しみを感じる人もいる

特に何も感じない人だっているかもしれない。

それでも、お墓という目に見える場所を通して、今ここにはいない人との関係を考えることができる。

ここに、僕が追いかけている二つの世界が重なっているように思う。

見えるものを通して、見えないものへ心を向ける。

これは、僕たちが日常の中で行っている、ごく自然なことなのかもしれない。


📖 僕は、どこから来たのだろうか❓

少し考えてみる。

自分には、父がいて、母がいる。

その二人にも、それぞれ父と母がいる。

さらに、その前にも人がいる。

こうして時間をさかのぼっていくと、自分が直接会ったことのない人たちへとつながっていく。

その人たちは、どんな時代を生きていたのだろう❓

どんな仕事をしていたのだろう❓

何を喜び、何を悲しみ、何を大切にしていたのだろう❓

戦争を経験した人もいただろう。

災害に遭った人もいただろう。

暮らしを守るために、知らない土地へ移り住んだ人もいたかもしれない。

僕には、そのすべてを知ることはできない。

記録が残っていない人もいる。

名前さえ分からない人もいるだろう。

それでも、その人たちが生きていた時間の先に、今の自分がいる。

自分という存在は、自分一人で始まったものではない。

当たり前のことなのに、普段はあまり意識しない。

お墓参りは、そんな当たり前のことを、もう一度思い出す機会なのかもしれない。


🍃 受け継ぐものは、血だけなのだろうか❓

ここで、もう一つの問いが浮かぶ。

僕たちは、何を受け継いでいるのだろう❓

身体の特徴

遺伝的な性質

それらも一つだろう。

けれど、それだけではない。

言葉

食べ物

暮らし方

人との接し方

季節の過ごし方

困った時に、どうするのか❓

誰かが悲しんでいる時に、どう声をかけるのか❓

そうしたものも、長い時間の中で受け継がれてきたのではないだろうか❓

昨日は、「日本語脳」について考えた。

言葉になる前に何かを感じ取ること

相手との間合いを読むこと

自然との関係を感じること

そうした感覚は、ある日突然、自分の中に生まれたものなのだろうか❓

それとも、家族や地域の人々との暮らしの中で、少しずつ身につけてきたものなのだろうか❓

もちろん、すべてを祖先から受け継いだと考えることはできない。

自分が生きてきた経験から、新しく身につけたものもある。

外から来た文化や知識によって、変わってきたものもあるだろう。

それでも、今の自分の中には、自分が知らないところから受け取ってきたものが、たくさんあるように思う。

それは、血統だけでは説明できないものなのかもしれない。


🌏 歴史の中で、何が残り、何が失われたのか❓

少し、視線を広げてみる。

日本という島国もまた、長い時間の中でさまざまなものを受け継いできた。

外から入ってきた人や文化

この土地で生まれた暮らし方

自然との関係

祭りや祈り

そして、戦争や災害によって失われたもの

戦後の日本では、社会制度や教育のあり方も大きく変わった。

その変化によって、新しく得たものもあれば、以前とは違う形になったものもあるだろう。

僕が氣になっているのは、制度の変化だけではない。

人々が世界をどう受け取り、自分自身をどう捉えるようになったのか❓

ということだ。

祖先との関係

自然との関係

地域との関係

自分の心や魂を、どう捉えるのか❓

こうしたものは、法律や制度だけでは説明しきれない。

一方で、昔の暮らしがすべてよかったわけでもないはずだ。

戻した方がよいものもあれば、戻すべきではないものもあるだろう。

だからこそ、何が失われたのかを考える前に、何が実際にあったのかを知る必要がある。

歴史を調べる

記録を読む

人の話を聞く

そして、自分が何を感じたのか❓ を確かめる。

ここでも、見える世界と見えない世界のすり合わせが必要なのだと思う。


✨ 見えないものは、すべて同じなのだろうか❓

「見えない世界」という言葉を使っていると、さまざまなものが一緒になりやすい。

記憶

感情

直感

意識

そして、まだ知られていない自然現象

これらは、すべて同じものなのだろうか❓

僕は、そうは思っていない。

たとえば、亡くなった人の写真を見て、懐かしく感じることがある。

その感情は、自分の中で実際に起きている。

けれど、それだけで、亡くなった人が今どこにいるのか❓ を証明できるわけではない。

何か❓ を感じたということと、その原因が何であるか❓ ということは、分けて考える必要がある。

一方で、原因が分からないからといって、自分が感じたことまで否定する必要もない。

僕が大切にしたいのは、そこなのだ。

感じたことは、感じたこととして大切にする

分からないことは、分からないまま置いておく

そのうえで、少しずつ知っていく。

それが、見えない世界と向き合う時の、僕なりの姿勢なのだと思う。


🕊️ 受け継ぐことと、変えていくこと

ここまで考えていると、『オデュッセイア』の物語が、また頭に浮かんでくる。

長い旅を終え、故郷へ帰ろうとする英雄。

けれど、旅の前と旅の後では、本人も、故郷も、同じではない。

帰るということは、昔の状態へそのまま戻ることではないのだろう。

受け継いできたものを知り、今の自分と向き合い、これからどう生きるのかを考えること。

そういう意味では、僕たちもまた、何かを受け継ぎながら、次の時代へ向かっている。

ここで、僕が以前から考えている「大調和」という言葉にもつながってくる。

大調和とは、過去の形をそのまま保存することではない。

違うものを、無理やり一つにすることでもない。

それぞれが何を受け継いできたのか❓ を知り、違いを認めながら、新しい関係を結んでいくこと。

古いものを大切にしながら、新しいものも受け取っていく。

それは、人間同士だけではなく、自然との関係にも言えるのかもしれない。

今あるものを、ただ使い尽くすのではなく、次に続くものへ何を残せるのかを考える。

受け継いだものを、どう次へ渡していくのか❓

お墓参りから帰ってきた今日、僕はそんな問いを持っている。


🌅 今日から、また次の時間へ

連休四日目。

お墓参りを終えて、いつもの暮らしへ戻ってきた。

ニュース天氣図では、今日も見える世界の出来事を追っていく。

国家

金融

資源

技術

人の動き

それらが、どのようにつながり、どこへ向かっているのか❓ を観測していく。

そして、もう一方では、自分の内側に生まれる感覚を拾っていく。

お墓の前で、何を思ったのか❓

昔の出来事を思い出した時、何を感じたのか❓

自分は何を受け継ぎ、これから何を残したいのか❓

すぐに答えを出す必要はない。

まずは、問いを持っておく。

時間をかけて、少しずつ確かめていけばいい。

見える世界を「観る」

見えない世界を「感じる」

そして、

二つの世界をすり合わせ、一つにしていく。

僕たちは、過去から続く時間の中に生きている。

そして今日もまた、これから先へ続く時間を、一日ずつ作っている。

そんなことを思いながら、次の一歩を踏み出していこうと思う。


《観える世界、感じる世界》

― 見えるものと見えないものを、すり合わせながら生きる ―

 

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