🌿 観える世界、感じる世界第4話|
見えないものから、受け継いでいるもの
― お墓参りから考える、命と時間のつながり ―
連休四日目
今日は、お墓参りに行ってきた。
帰宅して、いつもの場所に腰を下ろす。
世界では、今日もさまざまな出来事が起きている。
国家が動き、お金が動き、新しい技術が生まれ、人々の暮らしが変わっていく。
僕は、そうした出来事を日々拾い集めている。
けれど、今日は少し違うところから世界を眺めてみたいと思った。
お墓の前に立つということ。
そこには、目に見えるものがある。
墓石
花
水
手を合わせる自分の身体
けれど、それだけではない。
そこに眠る人が、かつて生きていたということ。
自分が、その人たちから続く時間の中にいるということ。
目には見えなくても、今の自分につながっているものがある。
今日は、そんなことを考えてみたい。
🌿 お墓の前で、僕は何を見ているのだろうか❓
お墓というものは、不思議な場所だと思う。
そこにある墓石は、目で見ることができる。
手で触れることもできる。
けれど、お墓参りに行く人が向き合っているのは、石そのものだけではないはずだ。
亡くなった家族のこと
以前聞いた話
一緒に過ごした時間
自分が生まれる前に生きていた人たちのこと。
そうしたものへ、心を向ける時間でもあるのだろう。
もちろん、お墓参りへの思いは人それぞれだ。
懐かしさを感じる人もいる
悲しみを感じる人もいる
特に何も感じない人だっているかもしれない。
それでも、お墓という目に見える場所を通して、今ここにはいない人との関係を考えることができる。
ここに、僕が追いかけている二つの世界が重なっているように思う。
見えるものを通して、見えないものへ心を向ける。
これは、僕たちが日常の中で行っている、ごく自然なことなのかもしれない。
📖 僕は、どこから来たのだろうか❓
少し考えてみる。
自分には、父がいて、母がいる。
その二人にも、それぞれ父と母がいる。
さらに、その前にも人がいる。
こうして時間をさかのぼっていくと、自分が直接会ったことのない人たちへとつながっていく。
その人たちは、どんな時代を生きていたのだろう❓
どんな仕事をしていたのだろう❓
何を喜び、何を悲しみ、何を大切にしていたのだろう❓
戦争を経験した人もいただろう。
災害に遭った人もいただろう。
暮らしを守るために、知らない土地へ移り住んだ人もいたかもしれない。
僕には、そのすべてを知ることはできない。
記録が残っていない人もいる。
名前さえ分からない人もいるだろう。
それでも、その人たちが生きていた時間の先に、今の自分がいる。
自分という存在は、自分一人で始まったものではない。
当たり前のことなのに、普段はあまり意識しない。
お墓参りは、そんな当たり前のことを、もう一度思い出す機会なのかもしれない。
🍃 受け継ぐものは、血だけなのだろうか❓
ここで、もう一つの問いが浮かぶ。
僕たちは、何を受け継いでいるのだろう❓
身体の特徴
遺伝的な性質
それらも一つだろう。
けれど、それだけではない。
言葉
食べ物
暮らし方
人との接し方
季節の過ごし方
困った時に、どうするのか❓
誰かが悲しんでいる時に、どう声をかけるのか❓
そうしたものも、長い時間の中で受け継がれてきたのではないだろうか❓
昨日は、「日本語脳」について考えた。
言葉になる前に何かを感じ取ること
相手との間合いを読むこと
自然との関係を感じること
そうした感覚は、ある日突然、自分の中に生まれたものなのだろうか❓
それとも、家族や地域の人々との暮らしの中で、少しずつ身につけてきたものなのだろうか❓
もちろん、すべてを祖先から受け継いだと考えることはできない。
自分が生きてきた経験から、新しく身につけたものもある。
外から来た文化や知識によって、変わってきたものもあるだろう。
それでも、今の自分の中には、自分が知らないところから受け取ってきたものが、たくさんあるように思う。
それは、血統だけでは説明できないものなのかもしれない。
🌏 歴史の中で、何が残り、何が失われたのか❓
少し、視線を広げてみる。
日本という島国もまた、長い時間の中でさまざまなものを受け継いできた。
外から入ってきた人や文化
この土地で生まれた暮らし方
自然との関係
祭りや祈り
そして、戦争や災害によって失われたもの
戦後の日本では、社会制度や教育のあり方も大きく変わった。
その変化によって、新しく得たものもあれば、以前とは違う形になったものもあるだろう。
僕が氣になっているのは、制度の変化だけではない。
人々が世界をどう受け取り、自分自身をどう捉えるようになったのか❓
ということだ。
祖先との関係
自然との関係
地域との関係
自分の心や魂を、どう捉えるのか❓
こうしたものは、法律や制度だけでは説明しきれない。
一方で、昔の暮らしがすべてよかったわけでもないはずだ。
戻した方がよいものもあれば、戻すべきではないものもあるだろう。
だからこそ、何が失われたのかを考える前に、何が実際にあったのかを知る必要がある。
歴史を調べる
記録を読む
人の話を聞く
そして、自分が何を感じたのか❓ を確かめる。
ここでも、見える世界と見えない世界のすり合わせが必要なのだと思う。
✨ 見えないものは、すべて同じなのだろうか❓
「見えない世界」という言葉を使っていると、さまざまなものが一緒になりやすい。
記憶
感情
直感
意識
魂
霊
そして、まだ知られていない自然現象
これらは、すべて同じものなのだろうか❓
僕は、そうは思っていない。
たとえば、亡くなった人の写真を見て、懐かしく感じることがある。
その感情は、自分の中で実際に起きている。
けれど、それだけで、亡くなった人が今どこにいるのか❓ を証明できるわけではない。
何か❓ を感じたということと、その原因が何であるか❓ ということは、分けて考える必要がある。
一方で、原因が分からないからといって、自分が感じたことまで否定する必要もない。
僕が大切にしたいのは、そこなのだ。
感じたことは、感じたこととして大切にする
分からないことは、分からないまま置いておく
そのうえで、少しずつ知っていく。
それが、見えない世界と向き合う時の、僕なりの姿勢なのだと思う。
🕊️ 受け継ぐことと、変えていくこと
ここまで考えていると、『オデュッセイア』の物語が、また頭に浮かんでくる。
長い旅を終え、故郷へ帰ろうとする英雄。
けれど、旅の前と旅の後では、本人も、故郷も、同じではない。
帰るということは、昔の状態へそのまま戻ることではないのだろう。
受け継いできたものを知り、今の自分と向き合い、これからどう生きるのかを考えること。
そういう意味では、僕たちもまた、何かを受け継ぎながら、次の時代へ向かっている。
ここで、僕が以前から考えている「大調和」という言葉にもつながってくる。
大調和とは、過去の形をそのまま保存することではない。
違うものを、無理やり一つにすることでもない。
それぞれが何を受け継いできたのか❓ を知り、違いを認めながら、新しい関係を結んでいくこと。
古いものを大切にしながら、新しいものも受け取っていく。
それは、人間同士だけではなく、自然との関係にも言えるのかもしれない。
今あるものを、ただ使い尽くすのではなく、次に続くものへ何を残せるのかを考える。
受け継いだものを、どう次へ渡していくのか❓
お墓参りから帰ってきた今日、僕はそんな問いを持っている。
🌅 今日から、また次の時間へ
連休四日目。
お墓参りを終えて、いつもの暮らしへ戻ってきた。
ニュース天氣図では、今日も見える世界の出来事を追っていく。
国家
金融
資源
技術
人の動き
それらが、どのようにつながり、どこへ向かっているのか❓ を観測していく。
そして、もう一方では、自分の内側に生まれる感覚を拾っていく。
お墓の前で、何を思ったのか❓
昔の出来事を思い出した時、何を感じたのか❓
自分は何を受け継ぎ、これから何を残したいのか❓
すぐに答えを出す必要はない。
まずは、問いを持っておく。
時間をかけて、少しずつ確かめていけばいい。
見える世界を「観る」
見えない世界を「感じる」
そして、
二つの世界をすり合わせ、一つにしていく。
僕たちは、過去から続く時間の中に生きている。
そして今日もまた、これから先へ続く時間を、一日ずつ作っている。
そんなことを思いながら、次の一歩を踏み出していこうと思う。
《観える世界、感じる世界》
― 見えるものと見えないものを、すり合わせながら生きる ―
All Green Project 🌿
ai-kusunoki &「6」
構造で読む力を、暮らしの中心に
