第0話/序章
観える世界、感じる世界
― 見えるものと見えないものを、すり合わせながら生きる ―
昨年から、僕は毎日のようにニュースを拾い続けてきました。
政治
金融
戦争
通貨
資源
技術
自然災害
世界のどこかで起きている出来事を、一つひとつ追いかけてきました。
ただ、ニュースを集めたかったわけではありません。
僕がやってきたのは、
見える世界を「見る」ことから、
「観る」ことへ変えていく訓練
だったのだと思います。
ひとつのニュースだけを見れば、
誰かが発言した
金利が上がった
戦争が始まった
市場が動いた
そんな出来事に見えます。
けれど、その後ろには必ず、
人がいる
お金がある
資源がある
思惑がある
そして、
次の出来事へつながっていく線があります。
その線を追っていく。
点ではなく、
流れとして観る。
それが、僕が続けてきた
「ニュース天氣図」
でした。
見える世界だけでは、どうしても説明できないものがある
一年ほど続けていると、
少しずつ感じることが増えてきました。
事実を追い、
数字を見て、
構造を考えても、
それだけでは掴めないものがある。
人の言葉を聞いた時の違和感。
ある出来事だけが妙に氣になる感覚。
まだ何も起きていないのに、
何かが変わり始めているように感じる瞬間。
偶然とは思えないほど、
別々のものが重なって見える時。
もちろん、
感じたことが全部正しいとは思っていません。
直感は間違うこともある。
思い込みもある。
自分が見たいものだけを見てしまうこともあります。
だからこそ、
僕はこれまで、
まず「見える世界」を観る訓練を続けてきました。
直感だけで走らないために。
事実と照らし合わせるために。
自分が感じたものが、
現実の中でどう現れてくるのかを確認するために。
そして一年ほど続けてきた今、
そろそろもう一方も、
意識して鍛えていこうと思っています。
見えない世界を「感じる」
見えない世界という言葉を使うと、
少し怪しく聞こえるかもしれません。
けれど、
僕がここで言っているのは、
何でもかんでも不思議なものとして扱うことではありません。
心
魂
氣
直感
違和感
場の空氣
神話
人の意識
自然とのつながり
言葉になる前の感覚
そういった、
数字では測りにくいけれど、
人間が昔から感じ取ってきたものです。
これらを、
「見えないから存在しない」
と切り捨てるのでもなく、
反対に、
「感じたから真実だ」
と決めつけるのでもない。
まず感じる。
記録する。
そして、
現実とすり合わせていく。
僕がやりたいのは、
その繰り返しです。
『オデュッセイア』が氣になった日
そんなことを考えていた時、
あるニュースが目に入りました。
古代ギリシャの叙事詩、
『オデュッセイア』
を題材にした映画が、
世界中で大きな注目を集めているというニュースです。
ちょうどその日、
僕はジョーゼフ・キャンベルの
『神話の力』
を読み終えたところでした。
ただの偶然かもしれません。
けれど僕には、
妙に引っかかりました。
三千年近く前から語り継がれてきた、
長い旅と帰還の物語。
戦い、
漂流し、
迷い、
失い、
それでも最後には、
自分の場所へ帰ろうとする物語。
なぜ、
今この時代に、
これほど古い物語が、
再び大きく人々の前へ出てくるのか❓
そこに何か意味があるのか❓
それとも、
ただ僕が意味を感じているだけなのか❓
まだ分かりません。
でも、
「氣になった」
という事実だけは、
自分の中に残しておこうと思いました。
神話は過去の話なのか❓
神話というものを、
昔の人が信じていた不思議な物語、
というだけで見る必要はないのかもしれません。
神話の中には、
人間が何度も繰り返してきたものがあります。
争い
支配
欲望
裏切り
恐れ
喪失
死
再生
そして帰還
文明が変わっても、
技術が変わっても、
人間そのものは、
それほど大きく変わっていないのかもしれません。
だとすれば、
これから新しい社会や新しい技術を作る時にも、
昔の神話を知ることには意味がある。
新しい器を作っても、
中に入る人間が同じなら、
同じ失敗を繰り返す可能性があるからです。
僕は最近、
神話の時代を知ることが必要になっている
と感じています。
そして、もう一つの「外側」
もう一つ、
最近氣になっているものがあります。
それが、
ディスクロージャー
という言葉です。
人類以外の知性
UAP
宇宙
これまで表へ出てこなかった情報
こうしたものが、
映画や映像作品の題材として、
少しずつ大衆文化の中心へ出てきています。
もちろん、
何が本当なのか❓は分かりません。
だから、
結論を急ぐつもりもありません。
ただ、
ここでも僕が氣になるのは、
「なぜ今なのか❓」
ということです。
『オデュッセイア』は、
人類の遠い過去へ戻っていく物語。
一方でディスクロージャーは、
人類の外側へ視線を向ける物語。
最も古いものと、
最も遠いもの。
その両方が、
同じ時代に大きく浮上している。
それを見ていると、
人類そのものが、
「自分たちは何者なのか❓」
という問いへ、
戻り始めているようにも感じます。
日本人というより、日本語脳
そして、
この流れの中でもう一つ、
僕が以前から氣になっているものがあります。
それが、
日本語と、
日本語を使うことで育つ感覚です。
日本語そのものというより、
僕が意識しているのは
「日本語脳」
です。
人と人の間だけではありません。
自然
動物
植物
水
山
石
空氣
目に見えるものと、
見えないもの。
そういったものを、
完全に切り離して考えるのではなく、
関係の中で受け取っていく感覚。
日本人が昔から持っていたとされる、
自然との距離感や、
八百万の神という考え方も、
そこにつながっているのかもしれません。
これも、
まだ僕の仮説です。
だからこそ、
これから丁寧に観ていきたいと思っています。
二つの世界をすり合わせる
ここまで書くと、
僕がこれからやろうとしていることは、
案外単純なのかもしれません。
見える世界を「観る」
政治
経済
戦争
金融
技術
自然
社会の仕組み
そこで実際に何が起きているのか❓を、
できるだけ冷静に観る。
そして、
見えない世界を「感じる」
直感
神話
氣配
違和感
人間の心
意識
言葉にならないつながり
そこから何を感じるのか❓を、
自分の中で丁寧に拾う。
そして最後に、
二つをすり合わせる。
観たものと、
感じたもの。
一致することもあれば、
まったく違うこともあるでしょう。
違ったなら、
その違いも残しておく。
時間が経って、
どちらだったのか分かることもあるかもしれません。
分からないまま終わるものもあるでしょう。
それでいいと思っています。
「見る」から「観る」へ
これまで一年、
僕は見える世界を観る訓練を続けてきました。
その積み重ねが、
ニュース天氣図です。
これからも、
これは粛々と続けます。
目の前の出来事を、
点ではなく、
流れとして観る。
そしてここから少しずつ、
もう一方の訓練も始めていきます。
見えないものを、
感じる。
感じたものを、
記録する。
現実と照らす。
違えば修正する。
また感じる。
その繰り返しです。
観える世界、感じる世界
(無料公開中)
この連載では、
答えを出そうとは思っていません。
むしろ、
問いを持ち続けたいと思っています。
僕たちは、
何を見ているのか❓
何を見落としているのか❓
何を感じているのか❓
その感覚は、
本当に自分のものなのか❔❔
人間とは何なのか❓
この世界とは何なのか❓
そして、
これからどこへ向かっていくのか❔❔
見える世界を「観る」
見えない世界を「感じる」
そして、
二つの世界をすり合わせ、
一つにしていく。
それが、
これから僕が続けていきたい
もう一つの観測です。
最後までお読みいただきまして、
ありがとうございます🍂

