コーランは、
教典
である以前に、
芸術で、あった。
井筒訳の、
挑戦的な、意図と思索をこめた口語訳が
それを、教えてくれた。
藤本訳は、
それに比べると、
若干、一般向けで、わかりやすくなって、テキスト(教科書)調であるため、
原典
というよりも、
解説書
としてついつい扱ってしまいそうになるが、
それでも、美しさがある。
滑らかさ、とも言えるかもしれない。
井筒訳の、荒削りな芸術性
藤本訳の、なめらかな、解釈。
翻訳解禁ののち、
このふたつしか、今のところコーランの日本語訳が存在せず、
聖書にくらべ圧倒的に知名度が低いのは、
翻訳版普及時期の遅さのせいだけではない。
英語やラテン語の、
「教科書」の和訳は、比較的、可能な作業であっても
ひとつの、高度な計算のもとの、
まさに、イスラム絵画の幾何学のような、
緻密な構成の、芸術作品の、作風を、損なわずに
トランスレイトするというのは、
比較してみれば
いうなれば
木星に3日で行くほうが、
まだ易しいくらいのことではないか?