おひさしぶりです。


garigarikun


衆議院議員の杉村太蔵さんのブログ をよく読むんだけど

見かけによらず、とてもわかりやすい文章で良いコト書いてます。

そこからの引用で、


「守備は理性、攻撃は感性」


ってコトを言ってました。

ちょっと思った事があったので1つ。



スポーツでも仕事でもはたまた人生でも攻める時と守る時ってのは必ずありますよね。

杉村さん曰く、


>守備をする時は冷静な分析のもと

>理路整然、緻密な戦略とともに、

>ケーススタディーを充実させるべきであると。


サッカーで例えるならば、

ディフェンスをする際に、まず自分がグラウンドのどの位置にいて、後ろのディフェンスが何人いるのか、オフェンスが何人で攻めてくるのか等を把握し何をすべきか(ディレイしたりサイドに切ったり)を考え、ボールを持っている相手の特徴(どういうタイプの選手か)から、過去のケーススタディ(経験)に当てはめて対応しなさいという事ですね。



>攻める時は、これはあまり頭を使う必要はありません。

>とにかく、「行くぞー!!」という気合が重要であります。

>思い切ってラケットを振りぬく。

>サッカーであれば思い切ってボールを蹴り上げる。

>攻撃態勢に突入してもなお「あーでもない、こーでもない」と悩むタイプ、

>こういう手合いはあまり勝利の女神には好かれない。


まぁこれは書いてある通りですね。

攻める時にあれこれ考えてても良くないと、そんな奴に勝利の女神はついて来ないと言うことです。


まぁこれを読んで何を思ったかというと、それぞれあるんですが、


[守備の話について]

ここから経験は大切であると。

そんな事は誰でも思う事ですが再認識したわけです。

まぁ社会人にもなると親子ほどの年の違う人間と話す機会が多々あるわけです。

僕みたいな若者はまだ経験値が足りないのでデータや戦略で武装する。

しかしながら老獪な人間の思慮深さ(≒経験)にやられるコトがある。

後々気付くこともあれば、気付かない事さえある。

瞬発力で埋められる場合もあるが、それだけじゃ埋められない溝の方が大きいですね。

これは地道に埋めていかなければならないと再認識したわけです。



[攻撃の話について]

ここからは最近の自分の腰の重さの再認識です。

スタート地点からゴールとプロセスがはっきり見えてないとなかなか腰が上げられませんでした。

石橋を叩きまくってたわけです。

O型で大雑把なはずなんですが、あれこれ考える病が発症するコトもあるんです。

勝利の女神が離れて行く感覚を感じ取ったコトさえありました。

まぁこれから自分の気持ちと感覚を大切にしようかなと。

そんなトコです。



まぁ読んでくれたヒトは


「?」


って思うかもしれませんが、

自分が感じた事を忘れないようにblogにメモってみました。


kaisei




























追記

この話、恋愛に当てはめるとイメージしやすいかも。


守備→浮気して相手に怒られる場合

攻撃→好きな相手を落とす場合


みたいなカンジです。


以上。