水戸~サラリーマン奮闘記~ -282ページ目

関東大震災時の松下幸之助・・・。

「震災でどこも正念場や。いままでの売掛金は半額でええ。それから商品は前替え、値段はそのままや。」

松下幸之助談

1923年(大正12年)9月、関東大震災が起こった。
死傷者10万人という大惨事にも、松下電器東京出張所の井植歳男(三洋電機創業者)は、取るものも取らず得意先に見舞金を届けるべく、猛火の中を駆けずり回った。
「大将(松下幸之助)に報告せなあかん。」
東海道線はあいにく不通。北陸まわりで何とか大阪へ戻った井植を見た幸之助は、その無事を喜び、そしてこう指示した。
「いまが正念場や。もう一度東京へ戻り、得意先を回って欲しい。ここはまず集金や。ただし、これまでの売掛金は半分でええ。そして、松下の商品は今後も値段据え置きや。」
井植は驚いた。
全てが焼失した東京では、物資が数倍に高騰している。
食料や生活必需品を、震災前と同じ値段で納品するなど常識では考えられない事である。
東京へ戻り、言われるままに得意先を訪ねた井植は、こう話した。
「この度は大変な目に遭われました。これまでの売掛金は半分にさせて貰います。それから、商品は足りてますか。うちの品物は、前替え、これまで通りの値段で納めさせて貰います。ただし、現金でお願い出来ますか。」
小売店は、腰を抜かした。
これまでと同じ値段なら、狂乱物価のいま、これほど有難い話はない。
「松下さん、有難い。半額じゃなく全額現金で払う。それより、品物をどんどん納品してくれないか。」
噂を聞きつけた、他の得意先も、わざわざ井植の所に現金を持参してやってきた。
「これまでの売掛金を持ってきた。だから、お宅の商品を明日にでも欲しい。」
大阪では、大量の松下商品が倉庫に眠っている。幸之助の号令の下、それらの品物が一斉に東京へ流れ出した。
結果として、震災を機に、松下電器は売掛金をあらかた回収した上、一気に東京進出の足掛かりを作ったのである。
後に1934年(昭和9年)、室戸台風が大阪を直撃した際も、幸之助は、倒壊した自社の工場を見ながら、即座に得意先へ見舞金を配る指示を出した。
「大変なのはどこも同じや。従業員が無事なら、工場など、また建てたらええ。それよりお得意さんが心配や。ここは現金を届けようと思う。」
従業員は、非常時に打算なく指示を出す幸之助に感銘し、いっそう仕事に励む決意を固くするのである。
目先の損得を大胆に否定する事で、計り知れないほどの大きな財産を残す。
これらは幸之助の大局観を端的に表す出来事であった。

今、幸之助さんが生きていたら、何を考えただろう・・・。

wave attack波

余震・・・。

相変わらず収まらないな・・・。
いつまで続くの?

wave attack波

震災の呼称、閣議で「東日本大震災」に

菅首相は1日午後、首相官邸で記者会見し、今回の震災の呼び名を「東日本大震災」とすると発表した。持ち回り閣議で決定した。


以上、読売新聞記事より引用。


wave attack波

新年度初日・・・。

今年度の目標は「何がなんでも(全国で)ベストテン」です。

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ひじきの五目煮&ほうれん草のナムル

留守中に相棒が届けてくれました。
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(ひじきの五目煮)
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(ほうれん草のナムル)


とても美味しいし、とても有難い。。。

(色々と落ち込んでるので・・・)今夜はこの二品を酒の肴に一年間の疲れを癒そう。。。


新年度の目標は「(全国で)ベストテン」です!

これしかない!

達成出来なかったら退職します。


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