ご覧のように2012年の御朱印はシンプルでしたが、現在いただける御朱印は他の神社と同様、イラストスタンプなどが追加され、もっと賑やかな紙面となっているようです。
そういう変化する御朱印を見ていると、変わらぬものが御朱印なのだという概念は間違いで、変化し続ける、生きているのが御朱印なのだと改めて思い知らされます。
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寒川神社は相模国一宮。
どの一宮もそうですが旧国名の領域や境界線は頭の中でハッキリとは思い描けません。相模国の地名としては現在は相模原市という自治体がその名を残していますが、相模原市は旧相模国の一部でしかありません。
相模国は、沿岸部ではおおよそ熱海近辺から鎌倉や三浦半島までおよび、北は川崎市や横浜市の北部を除いた神奈川県全域を領域としていたそうです。1600年の歴史があると伝えられ、八方除けで有名な一宮は神社名と同じ寒川町に鎮座しますが、茅ヶ崎市、平塚市、藤沢市などに囲まれた町は、東京の人間でもどこにあるのか地図上を指で示せる人は少ないかもしれません。それでも5万人近い人口を抱え「町」としては東日本では他にない人口数だそうです。
まぁ御朱印収集者のワタシたちは一宮というと敏感になりますので、相模国一宮は寒川町にある寒川神社として記憶していて、多少地理のお勉強にもなっています。
ここは神社名と町名が一緒ですので、なおさら覚えやすいという事だと思います。
そんな神社の鎮座する寒川町は小さな地味な町と言ってもいいでしょうが、南に隣接する茅ヶ崎市は全国規模の知名度を持っています。
もちろん、その立役者は「サザン」でしょう。
サザンオールスターズの故郷でもあり、聖地でもある茅ヶ崎の名称は、彼らの曲の歌詞に数え切れないくらい出てきます。
茅ヶ崎を知らなくてもサザンに、さんざん教えてもらう事になったのです。
それまでに「茅ヶ崎」が歌詞として使われる事は少なかったはずです。
でもサザンよりもチョット早くでデビューしたユーミン、当時は荒井由美が「天気雨」
🎵相模線にゆられて来た
茅ヶ崎までのあいだ・・
と歌っています。
1970年代ですので、相模線はまだ電化前。気動車はこんなイメージだったのでしょう。
茅ヶ崎はいつまでも残るとしても、令和の時代、いまや年季の入ったサザンやユーミンは気動車同様、所詮昭和、平成の時代の一つの星に過ぎなくなるのでしょう。