御朱印 迷宮

御朱印 迷宮

Goshuin Labyrinth / ameba edition

革堂 霊麀山 行願寺の西国三十三所第19番の御朱印です。

(天台宗・京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町)

▼同じく御詠歌。

寺が通称「革堂」というのも、また「こうどう」と読ませるのも珍しいのですが、寺のHPを覗けば、少し理解できます。

 

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▼千年の歴史を持つ革堂(こうどう)は、寺町通りを北へ進むと御苑の手前で通り沿に門を構えています。

f:id:wave0131:20191209163528j:plain門前で立ち止まるお二人はご夫婦でしょうか? ある程度年齢を重ねて夫婦で三十四所を巡られるような環境、関係は微笑ましくも、羨ましくも感じられます。

 

ところで、西国三十三所霊場は全行程1000kmあります。

坂東三十三は1300km、四国八十八箇所1400km。秩父三十四観音は桁違いで100km。f:id:wave0131:20191209163548j:plain

秩父観音霊場の行程は短かすぎるので距離の話にはなりませんので除きますが、西国は坂東や四国より短い1000km。f:id:wave0131:20191209163557j:plain西国や坂東を歩いて巡礼する人は滅多にいないと思います。

ほとんどが車やツアーバス利用か、電車バスの公共交通機関の利用で巡る人がほとんどでしょう。f:id:wave0131:20191209163533j:plain

それでも近畿の2府4県と岐阜県に広がっている行程距離1000kmに変わりはありません。f:id:wave0131:20191209163524j:plain

前にも記事にしているかもしれませんが、関東在住の人間が三十四所を制覇するのは容易ではありません。

時間と予算ができたとしても、徹底して三十四所だけに絞って巡るというのは勇気のいることです。

なにしろ仕事を持つ関東人が遊びで関西方面へ出かけるのでさえ頻繁にはできないことです。

いざ計画を立ててみても、三十四所のいく先々で他に訪問してみたい、参拝してみたい寺社が山ほど出てきます。f:id:wave0131:20191209163544j:plain

特に奈良や京都などでは誘惑に勝てません。そんな寄り道をしていると、3泊4日や、4泊5日はあっという間に過ぎてしまいます。

三十四所に絞って、弾丸巡りをしても最低4泊は必要かと思います。

ということでワタシも三十四所の1/3も巡られていません。この先も全く予定は立てられないでいます。f:id:wave0131:20191209163536j:plain

そんなワタシにとっては数少ない貴重な西国の御朱印ですが、そんなことから遠方に参拝する人に「私にも御朱印をいただいてきて!」と人に御朱印を依頼する輩が出てくるのでしょうか?f:id:wave0131:20191209163540j:plain

まさか三十四所の札所が、何冊もの御朱印帳を持参する人に、同じ御朱印をいくつも授与することはないと思いますが・・。ツアコンは別です。

 

▼と思いますが、世は「猫も杓子も」御朱印。どんな収集者が出てきても不思議ではないかもしれません。f:id:wave0131:20191209163553j:plain

「猫も杓子も」訪れるのではないかと思われる喫茶店が寺町通りにあります。

「スマート珈琲店」は休日には観光客を含め大抵行列ができているようです。f:id:wave0131:20191209163626j:plain

革堂の1000年には遠く及びませんが、90年近い歴史を持ち、いくらかレトロな雰囲気の店内は、Cafeではなく完璧な「喫茶店」です。

▼コーヒーも美味しいのですが、行列の皆さんの目当てはコレです。f:id:wave0131:20191209164834j:plainこのほかタマゴサンドなど、どれも美味しく行列ができるのも納得です。

三条あたりに宿泊して寺町通り周辺の寺社巡りの朝にはモッテコイの「喫茶店」です。

声高な Chinese に落ち着きを乱されることもありますが、ここは京都・・・。

西新井大師 五智山 遍照院 總持寺の御朱印です。

(真言宗豊山派・

上の「弘法大師」がメインの御朱印になります。もう1種類「大願成就 不動明王」の御朱印もいただけます。

▼関東三十六不動霊場 第26番の御朱印。

 

正式には鶴見の「総持寺」と同じ名称ですが、こちらは「西新井大師」のほうが通用するようです。

 

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東武伊勢崎線、今は東武スカイツリーライン線と呼ぶようですが、その「西新井駅」から「東武大師線」が延びています。

と言っても本線に乗り入れてはいません。単線で区間は1km、始発と終点の2駅だけです。

神奈川の川崎に同じ「大師線」の名称を持つ「京急大師線」がありますが、そちらは複線、4.5kmで7駅。初めから川崎大師の参拝客を輸送するために開業されたそうです。

 

東武大師線」も参拝客を輸送するためかと思っていましたが、それにしては「西新井大師」はわざわざ1路線を開業するほど参拝客は多くなく、有名でもないのになぜ路線がある?

「西新井大師」さんには失礼な話ですが・・・。

 

調べてみると昔、西新井上板橋を結ぶ11.6kmの路線が計画されていて、ほぼ現在の環状7号線と同じルートが立案されていたものの、関東大震災以降、さまざな事情により断念されたそうです。

 

事前に用地買収などが進んでいた西新井と大師前を結ぶ1kmだけが、当初「西板線」という名称で開業したそうで、その後「大師線」と改称されたようです。

これで西新井大師に「大師線」という路線があるのを納得できました。

「京急大師線」とは違い、当初から参拝客輸送のための路線ではなかったのです。

 

▼その「大師前駅」から寺へは東門に出る近道もありますが、山門を正面に見る参道に入ると、とっても懐かしく感じる昭和レトロな店舗に出会えます。

f:id:wave0131:20191206151408j:plain東京でもつい最近までは、こんな店舗がまだあちらこちらにあったように思いますが、気づいたらいつの間にかなくなっていた、というのがほとんどです。f:id:wave0131:20191206151422j:plain

▼西新井大師は禅宗でもないですが、ダルマを売る店が・・。日本では神社でも売られていますので、達磨大師や宗教にとらわれず人気があれば扱うのでしょう。f:id:wave0131:20191206151419j:plain

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▼山門の扁額には山号の「五智山」。f:id:wave0131:20191206151433j:plain「五智」とは大日如来の五つの智慧を示すそうですが、少し難しいので突っ込まないことにします。f:id:wave0131:20191206151437j:plain仁王像を見ていると、いつも思うのですが、神社の狛犬と同じく2つとして同じ像はなく、表情も様々なことが不思議です。当たり前といえばアタリマエですが・・。f:id:wave0131:20191206151441j:plain狛犬も仁王も役目は同じ。赤く塗られているのはダルマと同じで、病気や災いを防ぐ魔除け効果としての「赤」なのでしょう。

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▼五色幕が美しい大本堂では護摩祈祷の最中でした。普段は1日6回行われているそうです。当然、正月などはもっと多くの回数が行われるそうです。f:id:wave0131:20191206151508j:plain

▼その大本堂への階段を上がって、お参りしたらそのまま回廊を裏へ回れば「ご朱印処」の案内があります。f:id:wave0131:20191206151401j:plain

▼訪問時は4月の連休のせいか大勢の人が御朱印を求めていました。f:id:wave0131:20191206151355j:plainここの受付は窓口がありません。御朱印を求められると、その都度入口の扉が開閉されて対応していただきます。大勢の時は少し煩わしさを感じなくもありません。

 

▼境内を散策してみます。f:id:wave0131:20191206151447j:plain

ところで「関東厄除け三大師」という区分けがあります。f:id:wave0131:20191206151459j:plain

ここ西新井大師川崎大師観福寺(香取市)の3つを指すそうです。f:id:wave0131:20191206151504j:plain

もう一つ「良源 元三大師」を本尊とする天台宗寺院の「関東三大師」という区分けがあります。これは佐野厄除け大師川越大師青柳大師(前橋市)の3つだそうです。f:id:wave0131:20191206151957j:plain

また同じ厄除けで「関東三大不動」では、成田不動高幡不動不動ヶ丘不動の3寺が名を連ねています。f:id:wave0131:20191206152001j:plain

さらに「関東厄除け三不動」という区分けもあります。千葉厄除け不動目黒不動飛不動の3寺です。f:id:wave0131:20191206151525j:plain

整理しますと「関東厄除け三大師」「関東三大師」「関東三大不動」「関東厄除け三不動」の4つに分類されますが、ちっとも整理になりません。f:id:wave0131:20191206151404j:plain

おまけに、どの神社でも厄除け祈願は受け付けています。

厄年に当たる人はどの寺で、どの神社で厄除け祈願しようか迷うかもしれませんが、その効力? ご利益はどこも同じなのでしょう。

そもそも「厄年」は科学的にも医学的にも根拠はありませんし、どこからその話が出てきたのかも不明です。しかし平安時代にはもう存在していたそうです。

古くからの日本の慣習と捉えて、あまり深刻に考えないほうがいいかもしれません。

「厄年」や「厄払い」については、長くなりますのでまたの機会に記事にしましょう。f:id:wave0131:20191206151513j:plain

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▼それにしても東門前の牡丹園から見る堂宇は美しく、眺めているだけで厄除けになりそうでした。f:id:wave0131:20191206151517j:plain
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高木神社の御朱印です。(東京都墨田区押上)

▼同じく、令和の新元号記念の御朱印。

▼祭神が高皇産靈神(タカミムスビノカミ)ということから「むすび石」をいただきました。神社も寺も言葉遊びがお好きなようです。直径1cmほどの「おむすび」です。f:id:wave0131:20191204131023j:plain

▼アニメとのコラボは大成功のようです。f:id:wave0131:20191204130140j:plain

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▼ここ3年ほどの間に御朱印収集者の誰もが知っている神社になっています。f:id:wave0131:20191204130201j:plain

室町時代の創建だそうですので、歴史のある神社であることは確かです。

しかしどうして急に賑やかになったのかわかりません。f:id:wave0131:20191204130117j:plain

アニメとのコラボで御朱印目当て以外にも参拝者が増えたこともあるでしょうが、コラボするちょっと前からも御朱印がビジュアル化されていたように理解しています。

その頃からでしょうか、この神社に参拝者が多くなったのは。f:id:wave0131:20191204130157j:plain

地域性などから見ても、現在のように神社前の細い道路に他地域からの参拝者が大勢行き交うような神社ではありませんでした。f:id:wave0131:20191204130153j:plain

アニメに特別な関心を持たない者にとっては、ここ数年の聖地巡礼者の増加や、この神社のように直接コラボする寺社の増え方に面食らうばかりです。f:id:wave0131:20191204130129j:plain

そういう急に話題となっている寺社に、いち早く訪問してみようという気持ちにはなかなかなれませんが、やっと参拝してみようという気持ちになりました。

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訪問日が日曜日だったせいもあるでしょうが、予想通りたくさんの参拝者が入れ替わり立ち替わりやってきていました。
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歴史ある寺社が「アニメとコラボ」は、数年前までは「異例」と報道されてきましたが、もうすっかり慣れっこになってしまいました。異例でもなんでもなく、定着したという言葉のほうがピッタリくるようなイメージです。f:id:wave0131:20191204130133j:plain

一方では一般参拝者から、神社の雰囲気をこわすという批判的な声もあるようですが、寺社側、御朱印収集者、アニメ聖地巡礼者がそれぞれの立場でルールとマナーを築き、守っていけば、その文化や繁栄を維持していくうえで、より良い関係となっていくことでしょう。f:id:wave0131:20191204130125j:plain

そんな事から神社には「高木さん」が溢れているものと予想していましたが、溢れているのは「おむすび」でした。f:id:wave0131:20191204130145j:plain

▼ご御朱印や、御朱印帳、そして境内には山盛りの「おむすび」です。f:id:wave0131:20191204130136j:plain

アニメも人気でしょうが、やはり「縁結び」は万人に共通の人気のようです。f:id:wave0131:20191204130149j:plain

▼境内の隅に富士講の碑。明治31年「山玉 向嶋 講社」の文字がはっきり読めます。f:id:wave0131:20191204132139j:plainこの地域には柳島・寺島・牛島という名称がて点在しています。向島は、かつては隅田川西岸から見た「川の向こうの島」として総称で使われていたとも言われています。

そんな向島には花街が存続していて、現在も芸妓数100名以上で花柳界を守っているそうです。

 

また向島は花柳界とは似ていて異なる側面も見つけることができます。

 

▼高木神社前の細い道路、鳥居を出たら北方向にそのまま真っ直ぐ進み、大きい通りを2つ横切って、神社からは500mほどのところで、この商店街の入り口に突き当たります。

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▼「鳩の街」です。鳩がたくさんいるわけではなく、知らない人にとっては意味不明な名称かもしれません。f:id:wave0131:20191204130249j:plain

▼昼下がりの商店街は閑散という言葉以上に人通りがなく、一見何でもないありふれた下町の商店街です。f:id:wave0131:20191204130219j:plain

しかしこの地はかつては、吉行淳之介永井荷風のほか、安岡章太郎三浦朱門近藤啓太郎小沢昭一など、一世代前の作家や芸能人たちが多く出入りしたことで知られています。

▼この地を舞台にして荷風は戯曲を、吉行は「原色の街」という小説にしています。f:id:wave0131:20191204132230j:plain

▼「原色の街」の名残りを探しに「鳩の街」の裏通りを歩いてみます。f:id:wave0131:20191204130230j:plain明らかに一般住宅には必要のない装飾や「R」が施されている古い建物が残っています。「娼家」です。f:id:wave0131:20191204130234j:plain1958年までにこの地は特殊飲食店街、いわゆる「赤線地帯」でした。f:id:wave0131:20191204130227j:plain最盛期には娼家は100軒以上、接客する女性の数は300人ほどいたそうです。f:id:wave0131:20191204130223j:plainかつては東京にいくつもあった「原色の街」は、もうほとんどその姿を見つけることはできません。f:id:wave0131:20191204130242j:plain掲載のいくつかの写真も神社訪問日より少し前に撮影したもので、建物が現在も残っているかどうかわかりません。f:id:wave0131:20191204130238j:plain半世紀以上前に建てられたほとんどの建物が老朽化のため取り壊されています。f:id:wave0131:20191204130245j:plain原色の街」 の記憶は遠ざかり、スカイツリーの見える街に変わっていくようです。

崖観音 船形山 大福寺の御朱印です。(真言宗智山派千葉県館山市船形

千葉県で御朱印巡りをしていると、意識せずとも「安房国札」何番という朱印に出会うことがあります。

安房国札三十四か所」は安房国にある観音霊場です。

 

崖観音はその第三番札所ですが、御朱印をいただいているほとんどの人が霊場は意識せずに単に「崖観音」として参拝していることと予想されます。

今時の若者、とりわけキラキラ御朱印を求める若者たちに「安房国」と記されていても正確に読める人は少なく、またその地域がどこか、知っている人も少ないかもしれません。

 

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旧国名「安房国」は房総半島の南端になりますが、大福寺はもう少し上総よりで、東京からだと館山の手前になります。

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車で館山自動車道を走ると、山の中ばかりで少しも面白くありません。

富津市あたりから一般道のR127に出れば、海が見え隠れする海沿いの道になり、走っていても館山自動車道のように退屈しません。

 

▼そこから南下して富浦に入り、R127から離れてさらに海沿いの「内房なぎさライン」に車を進めると、山の中腹に大福寺の観音堂がへばりついているのが見えてきます。f:id:wave0131:20191203132331j:plainこのルートを走る人は御朱印や寺に関心がなくても、崖に貼り付く赤い観音堂を遠望したら誰しも立ち寄ってみたくなるに違いありません。

それだけ観光的要素の高い大福寺ですが、拝観は無料です。f:id:wave0131:20191203132354j:plain関東地方には少ない懸造りの建物はポピュラーなところでは上野公園内の清水観音堂や、ここと同じ千葉の笠森観音がなどが思い浮かびますが、山の中腹に浮遊するような景観は大福寺にはかなわないと思います。f:id:wave0131:20191203132337j:plain

▼それだけに観音堂にたどり着くことも一苦労です。f:id:wave0131:20191203132345j:plain

▼100段以上ある石段の途中には一息つけるような踊り場はありません。f:id:wave0131:20191203132340j:plain

▼行基が彫った磨崖仏の観音像を覆うような観音堂は、慈覚大師が創建したと伝わりますが、ヒィヒィしながらやっと上り詰めた観音堂内は、下から見た時より感動は少ないかもしれません。f:id:wave0131:20191203132350j:plain

しかし観音堂から眺める海は、急な階段を登ってきた甲斐があります。

▼東京湾から離れ、外海につながる館山湾です。半島の先端には洲崎神社があります。f:id:wave0131:20191203132359j:plain大福寺へはもちろん電車で内房線の「那古船形駅」を利用すれば、1kmほどの距離ですので歩けます。

 

話は変わりますが、

電車の場合「那古船形駅」の一つ手前の「富浦駅」で下車して寄り道しながら大福寺に向かうのがおすすめ。

車でも大福寺に向かう内房なぎさラインとR127が二股に分かれる手前500mほどのところで適当に海側に進んでみます。

▼最近、異国っぽい景観で人気が出たスポット「原岡桟橋」があります。f:id:wave0131:20191203132328j:plain実はワタシもまだ行ったことはありません。写真はすべてフリー素材からお借りしたものですが、ぜひ行ってみたい場所でもあります。

桟橋だけならに海に囲まれた日本には無数にあります。

キーとなっているのは、その「幅と長さ」に「電柱」だと思いますが、まるで海に突き刺さっているような感じがキーなのかもしれません。f:id:wave0131:20191203132712j:plainこの写真を見て、とっさにある映画の衝撃的なラストシーンの荒野を思い出しました。

デビッドフィンチャー監督の「セブン」です。

▼こんな荒野が映画の衝撃的ラストシーンとなるのですが、電柱が鮮明な記憶となっています。よく見れば桟橋の電柱とは違いますが、雰囲気、イメージは似てなくもありません。f:id:wave0131:20191203191731j:plain

最近、関東周辺でも従来観光地ではなかった人気スポットが多数紹介されています。

ネットが日常的な媒体となっているからこそ、こんな非日常的な空間が話題や人気となるのでしょう。

▼茨城の「石切山脈」なども行ってみたい誘惑にかられるスポットですが、原岡桟橋も含め、いつか御朱印とともに記事にできればと思っています。f:id:wave0131:20191203191748j:plain

唐招提寺の御朱印です。(律宗総本山・奈良市五条町)

▼同じく、鑑真大和上の御朱印。

▼同、御朱印帳です。

唐招提寺の朱印帳は現在数種類あるようですが、2014年当時はこの1種類だけだったと記憶しています。

千手観音をモチーフにしているようですが、千手観音のどの部分をモチーフにしているのか全くわかりません。光背なのでしょうか?

当時はそんなことより、紺地に炎が燃え立つような金色のデザインは、ほかの朱印帳を抜きん出ている秀逸さを感じ、とにかく一冊手にして見てみたいと思っていました。

 

ご存知のようにその後は、デザイン的にも素晴らしく思える朱印帳が巷に溢れかえるようになりました。

 

数が多いと稀少感覚はマヒします。

現在に至るまで、この朱印帳に対して抱いた思いは、二度と体現できていません。

 

ちなみにこの唐招提寺の朱印帳がオークションサイトに見かけられました。3800円という数字がついていました。

まだまだ、そんな愚か者がいることにタメ息です。

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唐招提寺は「鑑真和上」です。f:id:wave0131:20191202185258j:plain

▼唐招提寺は「天平の甍」です。f:id:wave0131:20191202185322j:plain

流れるような瓦が美しい「天平の甍」です。f:id:wave0131:20191202185347j:plain奈良を最初に訪問したのは、奈良をよく知らない頃、理解できない年齢の頃でした。

その後、井上靖の「天平の甍」を読み、「鑑真」を知って、2度目の奈良訪問には是非とも訪れたい寺社の一つになりました。f:id:wave0131:20191202185351j:plain742年、堕落する奈良仏教界を立て直そうと普照栄叡は遣唐使に随伴して「伝戒の師」としての高僧を唐に探しに出ます。f:id:wave0131:20191202185339j:plain普照と栄叡の2人に請われて、弟子たちが尻込む中、55歳の鑑真自らが応じます。鑑真の苦難の10年間の始まりでした。

日本への渡航を試みること数回。

唐の時代、高僧が日本に渡ることは密航同然。さらに、海の難所の東シナ海に航路をとる危険な渡航計画は、密告や遭難などという挫折と立ち直りの連続。f:id:wave0131:20191202185303j:plainその間、栄叡が亡くなり、鑑真も失明しますが、当初の計画から10年目、不退転の決意は6度目にしてやっと成功、753年に漂着同様な形で薩摩に上陸します。

その時、鑑真はすでに64歳。心に激情を抱いた驚愕する不屈の精神の持ち主です。

その後、東大寺大仏殿に戒壇を築き、上皇から僧尼までの大勢に戒を授けたそうです。

f:id:wave0131:20191202185343j:plain▼ここ唐招提寺を創建し、戒壇を設置したのは759年。そして4年後の763年、76歳で亡くなり、鑑真の弟子が造らせ、国宝に指定されている肖像彫刻像が開山堂で眠っています。f:id:wave0131:20191202185334j:plain世界遺産となっている唐招提寺伽藍ですが、鑑真が存命中に建てる事ができたものは講堂だけでした。金堂が建立されたのはさらに20年ほど後の事でした。

 

東大寺では「お国にこれほどの大仏がありますか」と良弁に問われ、2年前に完成した大仏を前にしても、目も見えない鑑真は「さらに無し」とだけ答えています。

「今更、唐の国の方に教わるものはありませんよ」と言わんばかりの良弁の言葉に、鑑真が日本で築こうとした計画は容易に達成できるものではないことを感じた瞬間かもしれません。

 

▼鑑真が挫折を感じたかもしれない、心の中では失意の晩年を送ったかもしれない、そんな時代の都の大極殿が復元されています。f:id:wave0131:20191202185330j:plain

▼平城宮の東に張り出した部分の東院庭園。現在で言えば迎賓館のような役目を果たしたそうです。f:id:wave0131:20191202185400j:plain1200年の彼方、大仏同様、既存の巨大な権力が鑑真の前に立ちはだかる様子が見えてきそうな平城宮跡でした。f:id:wave0131:20191202185355j:plain