冷たくなった手…。 | 勝手気ままに…since2005 ~光の射す方へ~

勝手気ままに…since2005 ~光の射す方へ~

ブログ内容を一新し、当分の間は…震災後の宮城県気仙沼市本吉町小泉地区を中心に現地レポや復興支援活動レポをupしていきます。

風評被害防止や、震災に対する風化をしないように…訴え、今何が起こってるのかをできる限り伝えていけたらと思います。

ひとつ前のブログで、激坂目白押しの『アメーバ気仙沼つばきマラソン』を翌日に控えた自分の意気ごみをここで語った…。
 
しかしながら約3時間後には、DNS(不参加)を決めた…。
40代最後でもある年と言う事で、これまでエントリーしてた10kmの部ではなく、「自分の立ち位置」を確かめたい意味も含めて、ハーフの部に挑戦しようと思いエントリーしていたが来年以降に持ち越しする事にした…。来年も…再来年も…この先も、ずっと大会が継続する限り挑戦できる…。
 
来年はいろいろな思いを胸に走ろうと思う…。
 
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気仙沼つばきマラソン当日に…身内が亡くなった…。
 
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4月になったばかりの頃…【4/4(水)】
体調を崩し、病院に連れて行くと…病院から言われたのは「即入院」の言葉…。そして、そのまま大きな病院に救急車で運ばれた…。予期せぬ事態だったので何が何やら分からぬまま…言われるままに入院手続きし、いろいろと検査…。暫しの間一般病棟に入院し、今後の治療方針を相談する事になり…「命に別状はなし」と誰もが思い、安堵した…。
 
入院3日目の真夜中…【4/6(金)~7(土)】

病院から連絡がくる…。呼吸が荒くなり、集中治療室に移動したのですぐに来るように言われ…病院に向かう…。ドラマや映画でしか見た事がない沢山の医療機器に繋がれ、大きなマスクやチューブをした姿を見て覚悟をした…。少しの間…脳に酸素がいかなくなり、二酸化炭素が入ってしまったらしく、その二酸化炭素を抜く為にマスクやチューブが繋がれていると説明を受け、言われたのが…

 
「意識が戻るかどうか分からない」…との説明…。
 
仮に意識が戻ったとしても、何らかの障害が残る可能性もあるらしく…たった三日で起こった事態が信じられなかった。集中治療室の為、そこにずっといる事もできずひとまず病院を離れる…。ほぼ一睡もできない状態のまま、とりあえず仕事に行く…。
 
午後になり、「意識が戻った」との連絡が届いた。うまく二酸化炭素が抜け、特に障害も見受けられないとの事…。集中治療室で何日か様子をみて一般病棟に戻り、今後の治療方針を相談していきたいとの医者の見解…。もしものためにいろいろと準備してたのも杞憂に終わったと安堵した…。
 
入院5日目…【4/8(日)】
喉を乾燥させないように自分の手でチューブを握り、口に咥えているが、話そうとする時はチューブを自ら外し、普通に会話ができるようになった…。足元の上部にあった心電図等のモニターもなくなりテレビを観れるまでに回復していった…。
 
別れ際には元気に手を振り、右手を差し出すと…驚くほど強く握り返してくれた…。
 
あまりの力強さに驚き、このまま回復していくと思った…。
 
入院7日目…【4/9(月)】
一般病棟に移り、何が原因で…どのような治療を今後していくのかを医者に聞き、暫くは入院生活になると覚悟する…。しかし、私自身…あの右手の感触がずっと残っていて…余命を考えるよりも、退院してからの事を考えていた…。
 
入院10日目…【4/13(金)】
順調に回復していくものの、熱が少し高く…熱が下がってから次の治療に移る事になった…。特に容態が悪化する感じもなかった…。
 
入院11日目…【4/14(土)】
容態が安定してる事を確認し、翌日開催の『アメーバ気仙沼つばきマラソン』に出場することをブログでup…。完走、頑張ってきた事を報告し、元気づけようと思っていた…。
 
しかし、その約3時間後の夕方に連絡が入り…熱がこれまで以上に上がって40℃近くになり、意識も朦朧としていて…
 
今日か…明日……ひょっとしたら明日は厳しいかもしれない」…との説明…。
 
命より重いものはない…

仮に再び容態が安定したとしても、それはそれ…。もしもの時の事を考えながらなど走りたくないし、一生後悔するかもしれないと思いすぐに病院に向かった…。病院には多くの親戚が集まり厳しい表情…。すぐに病室に入ると、あれほど回復していたはずの姿が嘘のようだった…。高熱のままの状態で、マスク越しに見える表情はうっすらと目を見開き、私に気づいてうなずいてくれた…。

 

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そこからはずっと、むくんでしまった足をさすったり、手をさすったり…話しかけたり、頭に手をやったりしながら、心電図等の様々な医療機器の計器を頻繁にみていた…。

 

外は静かに雨が降っていた…。

 

入院12日目…【4/15(日)】

朝方、マスクの酸素濃度を高くしてもらうと、それまで息を荒くしていたものが少しだけ治まった…。不謹慎ではあるが、死期というものは潮の満ち引き、月の引力に関係していると聞く…。18年前に亡くなった祖父の危篤の際に親せきから教えてもらい、その事を思い出した…。残された時間は僅かだと知りつつも、1日4度あるその時間を何度も乗り越えている姿は、生き様を見せられてるようだった…。

 

夜明け前に雨は止み…

親戚が多く訪れ、最後の別れをひとりひとり言い終えても…頑張って息をしている…。血圧も酸素濃度も測定不能になっても頑張って息をしている…。最後は下がってきている心拍計が再び上がる事を願っていた…。見守ってた親族は10名以上…皆が泣くのをこらえているのが分かった…。そして…

 

 

「もういいよ…頑張ったね…。」

 

 

そう伝えると…最後に少しだけ目を見開き、11時12分…静かに息を引き取った…。

 

頭は熱いままで、さぞ辛かっただろうと思いながら…右手を掴んでも、もう握り返してはくれなかった…。あっという間の12日間だった…。その後、枕経を行なった夕方には熱もすっかり下がり、冷たくなってしまっていた…。

 

「やっと熱さがったね」

 

そう言って頭を撫でた…。

 

納棺の際には、親族皆で手、足、顔を拭いていった…。私は…やはり右手を拭いていた…。冷たくなった手を何度も何度も拭いて、硬くなってしまった右手をもう一度握りしめた…。

 

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今もあの強く右手を握り返してきた感触が残っている…。

 

一昨日、初七日を終えたが…正直、実感がなく、慌ただしさだけが残ってて、夢でも見てるような感じで…夢なら覚めて欲しい気持ちでいっぱいだ…。

 

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以前、私の生涯の幕引きは周りに迷惑かけずに…「元気にポックリ逝きたい」とここで書いた事がある…。故人は周りに迷惑かけずにずっと我慢していたんじゃないか?と、皆が言っていたが…こんな終わり方…やっぱり…

 

駄目だな…短か過ぎたな…

 

短か過ぎるよ…

 

もっと話す事いっぱいあったべど!!!17年近く前の想い出の写真をずっと、ずっと財布に入れてたなんて…亡くなってから知ったって…

 

ありがとう」って、もう言えねーべど!

 

 

 

合掌

 

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今回のブログ…「備忘録」の意味も踏まえて書かせていただきました…。失礼しました。

 

気仙沼つばきマラソン当日…

一緒に走るはずだった後輩たちから続々連絡が入った…。快走の報告!私の分まで走ってくれたとの報告に感謝!ありがとうね!

 

 

アメーバひげおアメーバ(バロン出番なし)