病院から連絡がくる…。呼吸が荒くなり、集中治療室に移動したのですぐに来るように言われ…病院に向かう…。ドラマや映画でしか見た事がない沢山の医療機器に繋がれ、大きなマスクやチューブをした姿を見て覚悟をした…。少しの間…脳に酸素がいかなくなり、二酸化炭素が入ってしまったらしく、その二酸化炭素を抜く為にマスクやチューブが繋がれていると説明を受け、言われたのが…
仮に再び容態が安定したとしても、それはそれ…。もしもの時の事を考えながらなど走りたくないし、一生後悔するかもしれないと思いすぐに病院に向かった…。病院には多くの親戚が集まり厳しい表情…。すぐに病室に入ると、あれほど回復していたはずの姿が嘘のようだった…。高熱のままの状態で、マスク越しに見える表情はうっすらと目を見開き、私に気づいてうなずいてくれた…。
そこからはずっと、むくんでしまった足をさすったり、手をさすったり…話しかけたり、頭に手をやったりしながら、心電図等の様々な医療機器の計器を頻繁にみていた…。
外は静かに雨が降っていた…。
入院12日目…【4/15(日)】
朝方、マスクの酸素濃度を高くしてもらうと、それまで息を荒くしていたものが少しだけ治まった…。不謹慎ではあるが、死期というものは潮の満ち引き、月の引力に関係していると聞く…。18年前に亡くなった祖父の危篤の際に親せきから教えてもらい、その事を思い出した…。残された時間は僅かだと知りつつも、1日4度あるその時間を何度も乗り越えている姿は、生き様を見せられてるようだった…。
夜明け前に雨は止み…
親戚が多く訪れ、最後の別れをひとりひとり言い終えても…頑張って息をしている…。血圧も酸素濃度も測定不能になっても頑張って息をしている…。最後は下がってきている心拍計が再び上がる事を願っていた…。見守ってた親族は10名以上…皆が泣くのをこらえているのが分かった…。そして…
「もういいよ…頑張ったね…。」
そう伝えると…最後に少しだけ目を見開き、11時12分…静かに息を引き取った…。
頭は熱いままで、さぞ辛かっただろうと思いながら…右手を掴んでも、もう握り返してはくれなかった…。あっという間の12日間だった…。その後、枕経を行なった夕方には熱もすっかり下がり、冷たくなってしまっていた…。
「やっと熱さがったね」
そう言って頭を撫でた…。
納棺の際には、親族皆で手、足、顔を拭いていった…。私は…やはり右手を拭いていた…。冷たくなった手を何度も何度も拭いて、硬くなってしまった右手をもう一度握りしめた…。
今もあの強く右手を握り返してきた感触が残っている…。
一昨日、初七日を終えたが…正直、実感がなく、慌ただしさだけが残ってて、夢でも見てるような感じで…夢なら覚めて欲しい気持ちでいっぱいだ…。
以前、私の生涯の幕引きは周りに迷惑かけずに…「元気にポックリ逝きたい」とここで書いた事がある…。故人は周りに迷惑かけずにずっと我慢していたんじゃないか?と、皆が言っていたが…こんな終わり方…やっぱり…
駄目だな…短か過ぎたな…
短か過ぎるよ…
もっと話す事いっぱいあったべど!!!17年近く前の想い出の写真をずっと、ずっと財布に入れてたなんて…亡くなってから知ったって…
「ありがとう」って、もう言えねーべど!
合掌
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
今回のブログ…「備忘録」の意味も踏まえて書かせていただきました…。失礼しました。
気仙沼つばきマラソン当日…
一緒に走るはずだった後輩たちから続々連絡が入った…。快走の報告!私の分まで走ってくれたとの報告に感謝!ありがとうね!
ひげお(バロン出番なし)