西双版納3日目
一日目は景洪へ移動の終日、2日目は布朗山へ、3日目は景洪から4時間かけて景迈山に行き、文化遺産になっている景邁山大平掌古茶林を見てきました。
この日は景洪に戻らず宿泊は普洱市思茅区です。
夕食レストランに着いたのは夜21時でした。
こちらのレストランは郷土料理のお店
佤族(ワ族)のおばあさんの酸っぱいスープのお店
発酵トマトや発酵米、発酵とうもろこしなどを使った酸味のあるスープです。ご飯や餅米,ちまきなどと一緒に食べるそうです。
「佤婆酸汤」(wǎ pó suān tāng)
まろやかな酸味とスパイスの香りが食欲をそそります。
酸っぱ辛いテイスト!
マンゴージュースだと思っていたドリンクはかぼちゃスープでした。
佤族(ワ族)のお祭りや来客のときにも佤婆酸湯は食べられるそう。
こちらのレストランでは、若い方たちから長い竹筒で迎賓酒を注ぎ伝統の歌を歌い迎えていただきました。村を訪れた客に、最初にお酒を勧めるのが最大の礼儀なのだそうです。代表で強いお酒を空腹に飲んでくださった茶友に感謝です。
普洱市のホテルは一泊のみ
梦景 雅格酒店
フロントには華式の生け花
景洪のホテルに比べこじんまりしていますが、清潔感溢れ、スタイリッシュな印象の居心地抜群のいいホテルでした。
茶室もスタイリッシュ
蓋碗が、そろばんみたいになっててユニーク!
算盤の原型は中国の宋代に現れ、明代清代に広まったそうです。
22時過ぎていましたが、一泊しかないので
お部屋に荷物を置きホテルからすぐの茶馬古城へ
ライトアップされている茶馬古城
賑やかな夜店の前には、食事をしている人も大勢いました。茶馬古城は、かつての茶馬古道の文化と歴史を再現した観光地です。
雲南省や四川省のお茶はチベットやミャンマー、モンゴルなどの少数民族の方にとり重要な食事ともいえるものでした。「食糧は三日欠かせてもお茶は一日も欠かせない」栄養を取るための命を繋ぐものでした。
茶馬古道は「茶と馬と塩」を運ぶ交易路で、別名「山のシルクロード」「ティーロード」と呼ばれています。雲南省南部と四川省の茶山からお茶を馬やラバに乗せてチベットまで運んでいた路です。
1000年以上前の唐代(750年頃)からすでに交易はスタートしていたそうで、長さ3000キロ以上チベットを通ってインドまで行ったと言われ、山脈を通り最高峰がチベット仏教の聖地・梅里雪山(6,740m)で平均標高4000mの雪の山のチベット高原を越えるインターナショナルな交易路です。よく知られている茶馬古道は雲南省普洱からチベットに入る路と四川省の雅安からチベットに入る道の二つです。
茶馬古城の閉店間際の茶器のお店に駆け込みました。
雲南省の焼き物、とても温かみがありました。
中国四大陶器の一つ,雲南省の建水紫陶のお店もありました。建水紫陶は使うたびに手に馴染み、それでいて品のある佇まいで重みを感じ慎重に大切に使用しています。茶器のお店は閉店間際でゆっくり見れずでしたが周りを散策しました。
観光地としての茶馬古城
歴史のある茶馬古道はできるだけ手を加えず、あるがままを見たいと勝手な憧れで思いますが、観光地としと栄えている茶馬古城は、それはそれで楽しめるし嬉しいです。私たち外国人は観光地になっているから行きやすくもありますね。
(とはいえ、私個人では到底行ける場所ではありません)
良さそうな馬!
チベットからは最初は良馬を運んでいました。漢民族にとって馬は軍馬として必要で、チベットなどの少数民族にとってお茶は重要なものだったので、お互いの必要なものを交換する形でした。やがて茶葉の他にも絹や綿,薬草や毛皮、銀貨などと交換する茶馬貿易が始まったのは、唐代の756年~758年と推定されています。
茶臼でしょうか!
状元樹 状元下馬
状元(科挙で最も優秀な成績を収めた)に縁のある記念樹でしょうか?
状元ですら馬から降りて礼を尽くす頭を垂れる場所
この場所、文化や歴史を敬うメッセージ?
茶馬司を模した建物もありました。茶馬司とは茶馬交易を国が主導して管理する役所です。唐代から始まった茶馬交易は宋代にさらに盛んになり、朝廷による不平等な専売制度になりました。
立派な観光地でした。翌朝も行きましたが夜の散策も楽しかったです。
ホテルは茶馬古道の目の前の普洱大道を挟んだ場所で便利な立地!!歩いて行けるのはありがたい!
ホテルに戻ったのは日付が変わる頃
フロントで菊花茶をいただき、部屋に戻り就寝…
チャイナは浴槽がない部屋が多く、簡易フットバスを持っていっています。シャワーの後に熱めのお湯を張り足湯をすると、熟睡度が違います。
落ち着く良いお部屋でした。
続く
















