北京円明園へ

こちらは頤和園のお隣です。でもお隣と言ったって、ここは北京…日本の感覚で隣なんて思っていたら大変なことになりそう…

事前に調べたら,園内で舟があることがわかったので利用しました。

まずは入場チケットを買います。舟のチケットは船乗り場で買いました。

私たちは、アリペイとWeChatペイを最新の情報をチェックしてから事前に日本のクレカ登録をして、一旦使えるようになっていたのですが、現地で使えたり使えなかったりしたので、ほぼ現金を使いました。

北京は初めて来たので比べても仕方ないかもですが、

以前2018年,2019年に中国へ行ったときより(上海、杭州、福建省など)現金がスムーズに利用できました。でもこの状態はよく変わるので、最新の情報をチェックしてくださいね。

以前は海外のクレジットカード利用不可だったので、ユニオンカードや銀聯カード(ぎんれんカード)を発行して行ったのですが、今回2024年4月はVISAやマスターはほぼ使えたし、アメックスも利用できるお店が結構ありました。

長閑な春の気候で園内はゆったりとした時間が流れていました。

懐かしいべっこう飴屋さん!!

山査子飴も♡


入り口から程なくしたら舟乗り場があります。片道ずつ切符を買いますが、行きはチケット売り場があったけど,帰りは舟に乗ってから回収にくるので、お金を払いました。アリペイとかの電子マネーで払っている人が多かったです。

西洋楼遺跡区へ向かいます。舟は一度乗り換えました。

北京に滞在中この日だけ曇りでした。夜に雷と大雨がふりましたが、昼間も曇っていました。その景色がまたいい感じ…

柳絮がふわふわと粉雪みたいに舞っていて、その様子が目に入ると自然に心がふわふわになります。

宮廷画家の郎世寧(ジュゼッペ・カスティリオーネ)らが

設計にも携わった西洋楼はアロー戦争(1856)の際にイギリス軍により徹底的に破壊され廃墟となりました。

この時にフランス軍に略奪された宝物は大英博物館やヨーロッパの博物館に所蔵されています。それも観に行く計画を立ててます。


円明園では、お茶の歴史にも深く関係する戦争の痕跡を実際に見ることができました。

現在、2024年3月20日から2024年8月12日まで香港パレスミュージアムでも円明園展が開催中です。香港故宮には北京故宮から900点以上の文物が貸し出されています。

円明園は、頤和園と同じく夏の離宮ですが、清代のお茶好きな皇帝・第4代康熙帝がのちの雍正帝(胤禛/いんしん)が皇子だったころに離宮として建設しました。

その後、雍正帝の子どもで、こちらもお茶好きな皇帝・乾隆帝の時代にカスティリオーネ(郎世寧)らが設計に携わり増築され、西洋楼も建設され中国で最初の噴水を持つ庭園として文化的にも貴重でした。

シドニー中国茶レッスンでも何度か「お茶の世界への伝播」をレッスンで学んでもらいましたが、その中で「お茶にまつわる戦争」についても大切な歴史なのでふれています。18世紀から19世紀にかけ、お茶にまつわる二つの戦争がおきました。一つはイギリスからの過酷な税に住民たちが反発したことで起きた1773年アメリカのボストン茶会事件。のちにアメリカ独立戦争に発展します。

もう一つは、茶貿易が発展し、お茶の代金の支払いに銀の流出を避けたかったイギリスは、三角貿易と言って当時植民地だったインドにアヘンを作らせ、そのアヘンを支払いに強要したことがきっかけになりアヘン戦争に発展しました。(1840〜1842)イギリスの勝利のもと南京条約をむすび、香港割譲などはこのときに起きたことです。中国茶の文化と歴史をお伝えしてますので、実際に目で見て感じたかった…

一緒に行った息子にも、北京をいろいろな側面から見せることができたかな…と思いました。

「黄花陣」ここは大きな迷路でヨーロッパの迷路を模して建てられました。

方形、四面に門を置き天円地方になっています。

高さは約1.2メートルなので大人は隣の通路がみえます。8月15日中秋節の夜に灯火晩会を開いたそうです。お月見をしながらランタンパーティーですね。


帰り道、素直に入り口に戻ろうと息子がいうので、また舟にのりメトロの円明園站(円明園駅)に近い入り口へ戻りました。

舟に乗りながらの景色おすすめです。

柳絮がどんなふうにうまれるのか見たくて、背の高さがちょうどいい柳をさがしながら、見つけました。

いま、まさに柳絮が舞い始める柳の様子です。

今年は、約2週間くらい前まで花粉もすごかったらしいので、良いタイミングでした。GWに行かれるかたも、牡丹の花や柳絮の景色を楽しんでくださいね。