故宮博物院③
ここからは大臣も入れない皇帝たちの生活の場所です。
こちらの獅子は耳たおれて、眉もながいです。
ラストエンペラー溥儀さんはこの乾清門から入れました。12年生活しました。
乾清門をくぐります。
乾は天の意味
乾清宮の扁額「正大光明」
意味は「私心をさしはさまず、公正に事を行うこと」
清5代 雍正帝(在位1722-1735)が考案した「儲位密建」は、皇太子を立てず後継者となる皇子の名を書きこの扁額の裏の箱にしまい、皇帝死後に指定された大臣が皆の立ち会いのもと開封し次の皇帝を立てると定めた法です。
乾清宮は明代 永楽帝の時代(1420年)に建てられ、その後何度か焼失し、いまの建物は清代(1798年)に建てられたものです。明代は皇帝の寝宮で、清の初めも順治帝、康熙帝が住んでいました。実はここには2階があります。皇帝が暗殺から身を守るため27つの寝台があり、その日の気分で選んで寝たそうです。康熙帝も2階や横の宮殿にも住みました。8歳から皇帝になった雍正帝から養心殿を寝宮にし、乾清宮は皇帝の日常の仕事場や宴会を行う重要な場所となりました。また明と清の皇帝の死後の停霊の地でもあります(寿終正寝)。
交泰殿は皇后の重大な祝賀の拝謁を受ける場所です。春の季節になると「親蚕礼」という儀式の前日に、皇后は儀式で使用する道具などをチェックしました。
中には水時計(銅漏壺)があり、水時計はくもりのとき日時計が使えないので紫禁城内ではこの時計の時刻を基準としています。
坤寧宮は、明代ラストエンペラーが最後,農民反乱軍が攻めてきた際に妻子を殺した場所なので、清代皇后はここには住みませんでした。結婚の儀のあと3日間だけ住んだそうです。
清代は満州族の苦労を祀るため、毎日豚をころして、茹でて先祖を祀っていました。中が半生で、味もないのを皆たべなくてはならず、大臣たちは塩を隠してたべたのだそうです。ドラマでもそのシーン見たことがあります。
内廷三宮をすぎると、御花園
まずは恋人の木が出迎えてくれました。
この石は自然な模様が浮き出ていて、道教の神様とされています。
こちらの建物はラストエンペラー溥儀の家庭教師の住まいです。
蘇州から運んだ太湖石
龍の爪のような古樹
御花園は、故宮の中で本当に美しくて、良い気のながれる楽しい場所でした。
続く