2024年4月、中国北京に行ってきました。


世界最大の木造建築群が建ち並ぶ紫禁城(故宮博物院)は映画ラストエンペラーや、中国歴史ドラマを見たことがある人は、画面越しからも壮大な世界に圧倒されたことがあるのではないでしょうか。

わたしも中国茶や薬膳の歴史とも関係が深いので紫禁城はいつか行ってみたいと思っていました。中国茶の文化歴史を学んでいると、唐、宋、明、清代の献上茶や、お茶の淹れ方、その時代の茶器についてや、貿易や戦争に至るまで触れることがあります。


紫禁城(現在の故宮博物院)は明王朝・3代永楽帝から清代のラストエンペラーまで約490年歴代皇帝24人が住まいとしていた昔の宮殿(故宮/いにしえの宮殿)です。


〈紫禁城の名前の由来〉

古代中国では、 天帝は天の中心の不動の北極星に位置すると考えられ、その宮殿を紫微垣 (しびえん) と呼び、「紫宮」と、庶民の立ち入りを禁じた「禁地」から『紫禁城』と呼ばれました。

明王朝三代・永楽帝は南京から北京に遷都するため、10年もの間、煉瓦や木材を集めたりデザインなどの設計の準備をして、建設は1406年から1421年にかけて約14年間続きました。もともと北京の地には、モンゴル帝国・元王朝のフビライ・ハンが1267年から26年をかけて造営した壮大な都市「大都」(だいと)があり、現在の北京の前身です。

1368年 明の初代皇帝・朱元璋(洪武帝)は、モンゴル人の元王朝の宮殿を取り壊しました。取り壊された跡地に明の3代永楽帝は今の紫禁城の建設を開始しました。10万人の熟練職人と多い時には100万人以上の労働者が携わったとされています。

景山公園は元王朝の宮殿の煉瓦なども埋められています。


訪れた4月半ばすぎ、お堀の周りには柳から柳絮がふわふわと舞っていて、水に浮かぶ柳絮を丁寧に取り除いていました。

そしてここには、たくさんの蓮が植えられていたそうです。売ってお金にもしていたそうです。

この水は飲むものではなく、冬は凍ってしまうので,その氷を取り地下に保管していました。暑い夏になるとその氷を使っていました。氷の厚さは1mにもなったそうです。


こちらは北京故宮から貸し出され香港故宮に展示されていた乾隆時代の冷蔵庫です。

ラストエンペラー溥儀によって天津に持ち出され、その後、人々の手に渡ってしまっていました。心ある人々の寄付でこの子は紫禁城に戻りました。

氷の保管庫は冰窖という人気のレストランになっています。中はとても綺麗だそう!私たちが訪れた日は社会科見学の子どもたちが並んでいたので、急遽変更し別のレストランにしました。そちらも食事は美味しかったです。

故宮は木造建築なので敷地内ライター持ち込み禁止で、火も使えないため,レストランの食事は外部で作られて温めるだけなんだそうです。

氷窖は紫禁城内に4つ保存されています。

地下の深さは約1.5m、地下室の幅は6.36m、長さは11.03m、地下室の壁は厚さが2mに達し、断熱効果が優れ、地下室に入ると、いまでも寒気が人を襲う感じなのだそうです。


1920年頃アメリカの写真家が、労働者が北京の湖で氷を採り運んだ様子を撮りました。これをみて清代宮廷の氷を採る場面を想像できますよね。

太廟の前にきました。

この白い石碑にはここで馬を降りるように刻まれています。


私たちは東華門側からお堀沿いに脇道を歩き故宮の入り口「午門」につきました。

8:30開始時間にもすでに多くの人がいました。

2024年4月にはコロナ前は8万人だったのが、いまは一日3万人に入場可能人数を縮小しているので、チケットは1週間前の売り出し5分で売り切れてしまうそうです。

予約されてから行ってくださいね。

パスポートも必要です。

午門の屋根の神獣を観ながら進みます。

数が多いほど重要な建物とされています。

入り口は、天円四方の思想に基づいています。

入り口の外側は「方」、紫禁城内側は「円」

皇帝しか使ってはいけなかった中央の門を通り中へ入りました。

ここには5つの入り口があります。科挙の最終試験は脇門から並んで入り、上位3名は真ん中の皇帝専用門から出ることができました。

そして、皇后も結婚の時だけ、一生に一度真ん中から入ることができました。


まだ故宮の入り口入ったばかり(笑)

南北の長さ961m、東西の幅753m、面積72ha、東京ドーム15個分の敷地です。


つづく