4ヶ月前に香港故宮文化博物館で観てきた

特別展・三星堆についてのブログです。


今まで台北の故宫などで観てきた青銅器とは全く違う奇怪な形の青銅器で


これはいったいなに?!


と圧倒されました。2日に渡り訪れて拝見してきました。

多くの人から宇宙人が作ったと言われていたことも、納得!

そんな三星堆の特別番組がBSプレミアムで観る機会があり、そこから詳しく学べたことも含めてブログに書いておきたいと思います。

とてもわかりやすくて、いい番組でした。繰り返し再放送されると思います!「謎の古代文明・三星堆」

中国の西南にある四川盆地は、西はチベット高原

地理的に閉ざされた環境で文化交流が阻まれてきたと多くの人から考えられてきました。


三星堆の最初の発見は約90年前の1934年


蒙頂山の美味しい緑茶や

黄茶の産地でもあるのですが(^^) 

四川省はパンダや辛い四川料理で有名ですが

省都・成都から北へおよそ70kmほどにある

三星村という農村で石器や陶器が発見されて、

古い遺跡があると考えられていました。


1986年に2つの穴が見つかり

奇怪な大量の青銅器が発掘され、

長らく理解ができずに謎の遺跡とされ

本格的な調査がスタートしました。

約2キロ四方の城壁が見つかり巨大な都市だったとわかったのです。

2019年にはさらに6つの穴が見つかり、

かつてないほどの大規模な3年間の発掘調査で

新たに1万点を超える遺物の大発見に繋がりました。


そこからわかってきたのは、三星堆の地理的条件が実は東西ルート、南北ルートの二つの文化が交差する場所だったために多彩な文化が発展できたと考えられています。

こちらは1986年に発掘されていた

高さ2.6メートルの青銅の「大立人像」の複製品


祈りを捧げる大きな手や大きな目がひときわ目を惹きます。おそらく神廟に置かれていたと考えられています。大立人は、祭祀を取り締まる聖職者の代表で、神を表す青銅偶像に向かい並べられ、後ろには人の頭だけの青銅像が100体以上並んだと考えられています。人頭像は身体は木でできていたため朽ちてしまったのではといわれています。

こちらは辮髪(べんぱつ)を編んでいるような青銅

こちらはまげ?

でもよくわからないけど、魚を獲る何かと関係してるように思えた…


個性豊かな人頭像です。100体以上も見つかり、それぞれ風習が違う人々を表しているそうです。

多様な文化を持つ人々が集まり祭祀を行っていたことが考えられているそうです。

四川は昔の言葉では「蜀」といいます。

お茶の歴史でも古くから蜀のお茶栽培は知られています。

そして、絹織物の蜀錦(しょっきん)中国最高級シルクとして知られていました。大立人像が着ている衣装は、龍の模様の刺繍で蜀錦の技術がすでに成熟していることが伺えます。

この発見で蜀錦の起源が1000年近く早く三星堆の頃になる可能性がでてきたそうです。本当にすごい大発見!

こちら、巨大な青銅の仮面

すごいインパクトですよね。すごい迫力でした。

大きな目や張り出した耳、鼻、口、眉もある?

人面具といわれています。

祭壇に祭祀の対象として、このように並んでいたのかもしれません。

幅1メートルから15センチくらいまで大きさの違うものが20体以上見つかったそうです。

こちらは目が飛び出して、眉間から長く角のようなものが出ている人面具

縱目面具Mask with protruding pupils

と名付けられています。

横から見たら、こんなに飛び出しています。


蜀史によると


「蜀侯蚕叢あり その目は縦にして はじめて王を称す」

と記されていて、こちらの縱目面具を思わせます。


蚕叢(さんそう)というのは蚕叢村の初代王のことで

岷江(びんこう)上流の岷山に住むチャン族の祖先と伝えられています。

王の目はどこまでも遠く見え 

耳は風にのって遠くの音を聞けた

と伝えられているそうです。


三星堆は蜀の3代目の王朝とされていて、三星堆から南東へ70kmほどの場所にある鵜飼の盛んだった村、魚鳧村(ぎょふむら)の人々が三星堆に移り国を開いたと考えられています。


その魚鳧族(ぎょふ族)のルーツが、蚕叢村(さんそうむら)といわれています。


魚鳧村の近くを流れる岷江(びんこう)上流の岷山(びんざん)にある蚕叢村には先ほどの蜀の初代王のいい伝え、

そして山の麓にある扒昔加古寨(はちせきかこさい)の

白馬蔵族(少数民族)には曹盖(そうがい)という仮面を掘り神として崇める文化が今も伝承されているそうです。


岷山の人々は、地震や洪水など何度も何度も経験してきたので、古代から変わらずに山や川や自然に畏敬の念を抱き崇めています。

こちらは青銅太陽輪、太陽計器

山に囲まれ、曇天や雨、霧が多い四川盆地では太陽が出ることは神秘性を感じ、人々の暮らしに影響し、太陽を神として崇拝していたそうです。

そして、古代人にとって太陽は最も明るくはっきり見える天体で、光を感じる目を強調することは太陽信仰と関係していると考えられているそうです。


続く