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台湾の嘉義にある故宮博物院南部院区では
台北故宮より展示も展示室も
こじんまりしていたので
丸一日で(南院は10:00オープン17:00まででした)
充分にゆっくりと、気に入った文物は
二度鑑賞する余裕もありました。
見応えのある景泰藍展も、前回たっぷり時間をかけて観たので16時くらいには博物院をあとにしました。
今回南院で、特に印象に残ったのは
いくつかの絵画でした。
↑最初の絵画は
清代宮廷画家・郎世寧(1688-1766)の
「百駿圖」巻
(イタリア人宣教師・ジュゼッペ・カスティリオーネ)
↑琴棋書画、投壺、蒔花などをしている
仙女たちの絵画
傳五代南唐 周文矩
「仙姫文會圖」
↓清代宮廷画家 艾啟蒙の「百鹿圖」
紅い楓や黄金色の葉で秋の風景が広がり
いきいきとした群鹿の絵画
この絵画、すごく綺麗で
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清代 中国名/艾啟蒙/Ài qǐméng
(がいけいもう1708-1780 ) 字 醒庵/Xǐng ān
Ignatius Sichelbart
イグナティウス・シケルバルト
/またはシシェルバート
ボヘミア人(現在のチェコ/波西米亞)
カトリックイエズス会宣教師
艾啟蒙は、郎世寧(最初の百駿圖の宮廷画家)
に絵を学び
乾隆10年(1745)に命を受けて北京に入り
はじめは造辧処で絵を描き、のちに如意館に入りました。肖像や獣を描くのが得意な宮廷画家
「鹿と禄」は諧音(同じ音)で、
吉祥祝寿の意味があります
禄(ろく)は、天禄や福禄など神の恵による幸運の意味だったり、俸禄などいずれも縁起がいい意味合い。
そして、百はたくさんという意味があるので
たくさんの福禄の意味も含まれているとみられています。
郎世寧と艾啟蒙、王致誠、安若望は
四洋畫家(四大西洋人宮廷画家)とされています。
4人は1764年(乾隆29年/乾隆帝53歳)に
乾隆帝(1711-1799)の命で、
北西のジュンガル帝国(準部)と
西のウイグル(回部)両部における
「清軍の得勝」を記念する
「準回両部平定得勝図」
という銅版画16枚を作っています。
このとき郎世寧(1688-1766)は、
76歳の時で、
下絵二作は最後に手がけた重要な作品とされています。
(格登山斫営図と黒水囲解図の最も重要な戦の二作)
明代から勝利記念の意図を持った
絹本や紙本は作られていましたが
銅版画は乾隆時代のものしかなく、
わざわざ下絵を銅版画の本場フランスに送り
いずれも数年の歳月をかけ作られました。
いずれも、下絵を描いた郎世寧は
高齢だったため
完成された銅板を観ることはなかったのでしょうね。
乾隆帝は中央アジアの10の地域への
対外遠征を行い全てに勝利したため
(十全武功と言われる)
自らを十全老人と呼びました。
(実際には苦戦したり敗北したのもあります)
現在の中国における国境線は
この時代にほぼ作られています。
西洋美術に関心のあった
乾隆帝の祖父・第4代 康熙帝が
イエズス会に西洋画家の派遣を要請し
選ばれたのが
ジュゼッペ・カスティリオーネ(郎世寧)でした。
1714年25歳の時にポルトガルから船で出発し
1年4ヶ月の船旅でマカオに到着しました。
27歳の頃です。
(すごい長い船旅…命懸けですね)
やがて中国名の郎世寧と中国の服を着て、
広州で中国語と礼儀作法を学んだそうです。
康熙帝の命で康熙54年(1715)
北京紫禁城に入り
康熙帝(当時61歳)は
郎世寧のキリスト教の布教には反対でしたが、
絵画の才能を特別に重んじたとされます。
康熙帝時代は琺瑯器の製作などにたずさわり
絵画製作が少なかったとされる時代です。
西洋絵画と中国絵画の融合を模索し、
まだ中国絵画の技法を身につける前だったとされています。
雍正帝が即位すると(1722〜1735)
数多くの傑作を描き地位を確立していきました。
1728年(雍正6年)雍正帝は、
郎世寧に馬の絵を描くように命じ
承徳の避暑山荘に赴き
(毎年5月から9月に皇帝が暮らす離宮)
代表作「百駿圖 巻」を描き上げました。
郎世寧40歳の頃です。
皇帝の誕生日の祝賀会で、
雍正帝から百駿圖が最も素晴らしいと認められ
次々と皇帝好みの絵を献上するようになりました。
乾隆時代には皇帝・皇后・皇妃・皇嬪の肖像画を描くようになります。
51年に渡り、康熙・雍正・乾隆三代に渡り仕え
晩年は合作も多くなります。
亡くなった当時は郎世寧の絵画は全て紫禁城と円明園に保存されていましたが、戦乱期に海外に多く流出してしまいました。
それでも中国と台湾に半数以上は保存されています。
郎世寧と百鹿図の艾啟蒙とともに
銅版画を手がけた四洋畫家
↓
☆王致誠 (1702-1768)
(Wáng zhì chéng /Jean Denis Attiret)
ジャン・ドネ・アッティレ
フランス人 カトリックイエズス会宣教師
☆安若望 (不明?-1781)
(Ān ruò wàng)
ダマスコ・サルスティ
イタリア人宣教師別名:安泰/安徳義
↓郎世寧 「畫十駿犬霜花鷂」
こちらは台北国立故宮博物院(2022.11)にて
郎世寧の絵画は見るたびにファンになります。
↓傳明 仇英 春山吟賞
↓清 禹之鼎 擬越千里山水
↓清 丁觀鵬 摹仇英西園雅集圖
「西園雅集」
北宋のころ、王詵が「西園雅集」を邸宅で催し、
蘇軾をはじめとする文人16名が集まり
書画や文雅に興じました。
出席者は超エリートの
蘇軾の弟の蘇轍、黄庭堅、李公麟、米芾など…
しかし、研究によりこの西雅集は想像上のことと
わかっています。
人々の西園雅集への憧れは強く(明代中期)
たくさんの模写や偽作が作られました。
↓明人 劉松年の模倣・西園雅集
↓西園雅集
宋 劉松年
絵画作品で修復されて綺麗なものもありますが
なかなか肉眼で人物や細かい描写がみれないものもあって…
携帯のカメラ越しに観てみると、
肉眼では見えないものが鮮明に見えたりします。
え?あそこに人がいるの〜?という時も!
たまたま隣にいた人と意気投合したこともあります。
大型作品の上部とかも、高い位置で見えない時に
パチリとして拡大してみてますー。
南院のショップも覗いてきました。
博物院の閉館時間にショップも閉まります。
北院で図録なども買ったので
観るだけでしたが、楽しい〜
嘉義駅までは無料のシャトルで移動しました。
ロッカーなどに荷物を入れた方は
取り忘れ注意です!
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