一週間。
地震がおこってから、早くも一週間。
毎日の楽しみだったブログも、見ているだけ。
書きたいことが、何だか違う気がしていました。
マミ~は相当、『変』なのかと思っていました。
なので、書けませんでした。。
この一週間のこと、思いを・・吐き出して!
明日からは普通の、毎日の出来事を綴るブログに戻れればいいな。
11日。
神戸も揺れたのでしょうが、マミ~は家で、模様替えをしてました。
一人で冷蔵庫を引きずり、棚を移動し・・台所の整理整頓、大掃除。
そのことを記事にしようと、ウキウキもしていました。
揺れは、全く分かりませんでした。。
地震からの、
『津波』
最初から、想像できない被害だろうと思っていました。
なのでテレビも、マミ~はほとんど見ませんでした。
阪神淡路大震災も、大変な地震でしたが・・
水は厳しい。
比べ物にならないだろう。一緒にしてはいけない。
そう思っていました。
12日。
ダダは田んぼの草刈りへ。
『たくさん美味しいお米を作る!』
気持ちを新たに、頑張ってきたようです。
午後からも、ドッグトレーナーの講習?に、ちゃんと行きました。
それから、楽しみにしていた・・友人家族と一緒に、スノーボード。
予定通り、13日の日曜日に行ってきました。
『スキー場になんて、行ってもいいものなのか?不謹慎じゃないか???』
『地震は起こらないか??雪崩は???』
・・・悩みましたが、行ってきました。
強烈な津波を、目の当たりにすることのなかった幸運、
生きていられること、普段と変わらない暮らしがあることに感謝し、
『私達の毎日』を、過ごすこと。楽しむこと。
とても気持ちのいい春の陽気。貴重な、とても楽しい時間を過ごせました。。
月曜日からは、いつも通りの生活。
でも。
昼間、一人で居るとどうしても・・・
亡くなられた人の方へ、気持ちが向かいます。
海底から突き上げられて起こった津波・・真っ黒で、凄まじい威力。
どんなに怖かっただろう。。
『命さえあれば』
そう思ってしまいます。
何年も戦争に行っていた、とても強くて優しくて
誰からも慕われていた祖父の言葉が、よく頭に浮かびました。
(祖父は、私には戦争のことを全く話してくれなかったのですが、父から聞きました。)
戦地では、
『いかにして、生きて帰るか』
そのことばかりを考えていた。
だからなのか、マミ~は父からいつも、
『常に、最悪の事態を想定した行動をしろ』
と、教えられてきました。
(お陰で、メガポジティブなダダとは正反対の、超後ろ向きなマミ~です。)
生きるか、死ぬか。
災害と戦争では、大きく異なるのでしょうが・・・
その瞬間、自分の行動ひとつで、生死が分かれるはずです。
『生きるための知恵』 『冷静な判断』
この豊かな時代では、誰もが持ち合わせている訳ではないから。。
マミ~にはこれから、かなりの勉強、経験、努力が必要です。
いくら考えても、考えても・・
やっぱり我が家に出来ることは・・募金。
『生きて』・・・祈ること。
もう少し時が経てば、『復興!頑張れ!!』と、言えるかな。。。
買い物は控え、本当に必要な食料だけ。
少し夕食のメニューを減らしてみたりしていると、普段の贅沢さがよく分かりました。
おかずが一皿減ったって、なんら問題ありません。
『当たり前』だったのに・・買い物の見直しにも繋がりました。
それから家にあった材料で・・チクチクとアップリケ作りをしてます。
足りない刺繍糸やフェルトがあったりするので、未完成だけど・・・
一応、『節電』しているつもりです。。
たくさんの方が、『何か出来ること』を、探し、実行される中、
『何もしない』ことも、貢献していることにかわりないと思っています。
私は冷たいのかな・・でも、今はこれでいいと思っています・・・
ワトさんが、気持ち良さそうにお昼寝してて
『歯がギザギザしてて、変だな~』 と、すごく気になったって。
昨日は久しぶりに、爪切りをイヤがって・・・
ちゃんと切れていない爪があったって・・
そんなの、すごくすごく小さなこと。
マミ~の悩みも・・・とても小さな、どうでもいいこと。
家族が傍に居てくれて、変わらない毎日を生きてくれている。
ありがたい。
当たり前だったはずのに、幸せですね。
たくさんのことを、学ばなければいけません。
そして、忘れないこと。
あと、ふと思い出しましたが、震災前にテレビで見た、若者の言葉。
『生きていたってしょうがない』
そんな風に感じる子が、いなくなればいいのになぁ。。