幼少期から私は母親に人の気持ちが分からない人間で、貴方は人をむやみやたらと傷つけるといわれて育ちました。姉の家出の後母親は八つ当たりの対象を私に完全に絞りました。

その代わり、父親は私に対して愛情をしめしてくれていました、とても歪ではありましたが私はそれが愛情だと分かることはできるレベルのものでした。

きっとそんな光景すらも母親からすればウザいものだった事と思います。
自分とは談笑しない旦那が、私には笑顔で話しかけ歩み寄る光景は多分自分が手に入れたかった姿そのものだっただとおもいます。
不仲でも母親は父親を心から愛しているのは父親以外が周知していた事実でした。

そんな中でも我が家も各々少しづつ姉の居ない環境になれつつありました。

弟の誕生日の夜電話がなるまでは。
電話の主は姉でした。弟の誕生日の日付が変わるギリギリだったと思います。