具体的に子どもがほしいと思い始めてからこれまでの経緯の記録。何となく振り返ろうかなと。治療の詳細ではなくどちらかというとその前段階について。
20代半ば。結婚
若かったこともあり将来子どもを持つことについて、夫と話した記憶はあまりない。若かった、というか未熟だった。まさか自分が不妊治療をすることになるなんて(しかも40過ぎて)この頃は想像だにしていなかった。小さい頃から母には初産は30までにした方がいいよと言われ、そんなものなのかなと思っていた。
30代前半。子どもを産みたい。
32-3歳頃、仕事も少し落ち着いてきて、そろそろ子どもを産みたいと思いはじめる。30までには産めなかったけどさすがに35歳までにはと。
しかし夫と意見があわず。まだ欲しくないどころか、子どもはいなくてもいいとさえ言う。絶望的な気分になった。夫婦中もギクシャクしていてあっという間に数年が過ぎてしまった。
周りはどんどん出産していき内心羨ましかったが、自分はまだいいのよ、という顔をしていた。親からは会うたび、電話するごとに、ほしいなら早くしたほうがいいよと言われ、親戚や不妊治療をした知り合いからもそう言われた。周りは多分、私が仕事をしたいがために子どもを作らないのだろうと思っていたと思う。苦しかった。
夫には私なりに、子どもがほしいこと、高齢になるほど出来にくくなり、リスクもあがることをことあるごとに伝えていたつもりだ。が、自分も今ほど現実の厳しさを知らなかったし、説明も尽くせていなかったのかもしれない。当時の「(年齢があがっても)だいじょーぶだいじょーぶ」という夫の安直な返事は忘れることができない。どこが大丈夫なのよ!
まあそもそも夫婦間が微妙だったので、夫もそういう話は極度に避けていたし、子どもどころではなかった気もする。
36,37の頃、仕事都合で別居。
夫婦仲が少し戻ってきたかなというころ、夫が海外赴任となった。私は日本で仕事があるので残った。数ヵ月後、夫が子どもを持ってもいいかなと言い始める。驚きと喜び。でも別居中。そして赴任は1年の予定が2年になった。それでも私は排卵日の頃を狙って赴任先を訪れ、タイミングをとるというなんとも悠長なことをしていた。一日ずれただけでもダメなのに、そう簡単にタイミングが合うわけがない!
38歳。妊娠→流産
夫が帰国。一緒に住み始めてすぐに妊娠するも、6週心拍確認後に流産。流産後は三ヶ月は
待たなければいけないし流石に焦り始める。流産半年後、初めて不妊治療クリニックに行く。
39歳。妊娠→出産
不妊治療クリニックで一連の検査を行っている時に自然妊娠し、40歳直前で出産。
40歳-41歳
子育てに忙殺され一年が過ぎる頃、第二子の子作りを急ぎたいと考える。が、ここでも乗り気でない夫。一人っ子でもいいのではと。仕事のストレスも抱えていた。消極的な夫とタイミングをとるのはなかなか難しく、何もせず排卵日が過ぎていくのを絶望的な気分で過ごしたりもした。
そんな中、夫が転勤。一緒に行くか一瞬迷ったが、(いま思うと)何を血迷ったか仕事を中途半端にしたくないと残る決断をする。国内なんだからなんとかタイミングだって合わせられるのではと甘く考えていた。が、コロナが猛威をふるいはじめ、仕事の都合もあって、そう簡単にタイミングもあわせられない。それでも毎月努力はした。夫も息子会いたさもあり、協力してくれた。だが、40代の妊活はそう甘くない。
42-43歳。
私も引っ越して同居を始める。息子を幼稚園にいれ、生活も落ち着いた頃、不妊治療クリニックに行くことを決意する。途中で43歳になり、卒業を決意する。
化学流産2回。稽留流産(今回)1回。
治療のまとめはまた今度書くかもしれない。
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いま思うと、時間はたっぷりあったのに悠長なことだったなと思う。もちろん子作りは相手ありきだから、自分だけの意志ではどうしようもない。ただ、相手の意見と違うときに、ふてくされたり、投げやりになったり、抱え込んだりせず、丁寧に説明して自分の気持ちを分かってもらうという努力を十分にしていなかったように思う。
第一子のあとは、自分自身も少し揺れていたことも正直あった。一人でも大変なのに二人も育てられるのかしら、と。でも息子が喋り始め、活発に行動しはじめると、子どもどうしでワイワイやっている姿をどうしてもみたくなった。また、親と過ごす時間が短いからこそ、将来兄弟がいた方が寂しくないだろう、とも考えた。
先日、流産が濃厚になった翌日くらいに、息子が「○○ちゃんのところには赤ちゃんきたよ。自分のところに赤ちゃんはいつくるの?」と聞いてきた。こんなことを言うのは始めてだった。切なくなった。お兄ちゃんになった息子を見てみたかった。ごめんね。赤ちゃんもう来ないの。
色々あった十年余り。これにて卒業。やりきった充実感というより、時間切れでやむ無し、というのが正直なところ。仕方ない。That's my life.
でも改めて、一人でも子どもを産めたのは奇跡だった。奇跡に感謝。