1902年(明治35年)に『報知新聞』紙上に連載された、

幕末から明治にかけての逸話集である。

そのなかから一話。

〝武士気質由緒の具足〟が面白かった。

江戸から続く、質屋の店主からの聞き取り。

場所柄から、客層は御家人・お旗本が多かったという。

置き主(質草の預け主)は、

5,000石の旗本、中根某・・。

ある日持ち込まれたのが、

将軍家御拝領の〝蚊帳〟・・。

もちろん、

庶民の使う安物の蚊帳とは比べ物にならない。

絽の萌黄蚊帳。

十畳部屋をすっぽり囲える広さ。

天井まわりは桃色錦。

四隅は太白撚糸の紐・房付き。

裾は大幅緋縮緬。

この蚊帳を七両であずかり、

流れた(返済期日が過ぎた)ので売りに出したら、

十八両で売れたという。

旗本相手の質屋は、

このような商売をしていた・・。

・・・・・

かと思えば、

千二百石取りの内田某・・。

役職は御使番。

ではあるが、内証は火の車。

よく殿様自身が質草を預けに来たという。

ある時、

預かっていた具足が流れてしまった。

内田の殿様もご承知の上・・と、

さっそく道具屋を呼んで掛け合っていると、

なんと

そこへ殿様が入ってきた。

具足なので隠すわけにいかずもじもじしていると、

「道具屋にはいくらで売るつもりか」

と聞かれるので、

「ハイ、八両でお預かりした具足ですが、流れましたので十両に・・」

というと、

「それは眼鏡違いじゃ」

と、道具屋の方を向いた。

内田の殿様、

道具屋に

具足それぞれの由緒を語り、

金銀の使いどころから

なんやかやの長広舌・・。

結局道具屋は、

具足一式を二十八両で買い上げることになった。

後日、また殿様が来たので、

質屋は、きまり悪さとお礼を含み

五両を包み、そっと差し出すと、

「あの具足が十両では情けないから説明したのだ」

それはお前の儲けで拙者にもらい受ける理由がない、

とはねつける。

さすが、〝武士は食わねど高楊枝〟・・・・・。

なのだが、

みると

わきに質草を抱えている・・。

質屋が、

二両がせいぜい・・

というと、

モウ五十銭出せ、という。

それじゃ先のお礼の分で・・、というと、

「イヤ、それならいらん」

といって、

二両の質草をおいて帰っていったという。

・・・・・

幕末から維新にかけてを生きた市井の人々の回顧談百話。

久し振りに読んだら、

全部忘れてしまっていた・・。

のんびり読み返しマス

φ(* ̄0 ̄)

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

中秋のコロッケ

です。

この時期になると

やっぱり

食べたくなる

・・・・・

じゃがいも

〝とうや〟

つくりました

💙

 

 

 

 

それと、

洋ナシのサラダ

 

五目豆

 

にしんの塩振り焼き

 

だし巻き卵

 

名残のえだまめ

 

 

 

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

万葉集巻13-3310 詠み人不詳

長歌
こもくりの泊瀬(はつせ)の国にさよばひに我が来たればたな曇り 

雪は降り来(く)さ曇り雨は降り来(く) 野つ鳥雉(きぎし)は響(とよ)む

家つ鳥 鶏(かけ)も鳴くさ夜は明けこの夜は明けぬ

入りてかつ寝(ね)むこの戸 開かせ

万葉集巻13-3311

反歌
こもりくの泊瀬小国(はつせをぐに)に妻しあれば石は踏めどもなほし来にけり

 

意訳

〈3310〉

この泊瀬の国まで妻問いにやってきたが、

空が一面にかき曇り、雪が降ってきて、おまけに雨も降ってきた。

山鳥は鳴き騒ぐし、家のにわとりまで鳴きだしたと思えば、

夜は白み始め、すっかり明けてきた。

もうこの家に入って寝たいものだ、

だからお願いだ、この戸を開けとくれ。

〈3311〉

泊瀬の国のあなたを妻にしたい一心で、石踏む険しい道をものともせず、私は尋ねてきたのだから。

この歌は、

記紀歌謡に類歌があるそうで、

リアルな相聞の記録というよりは、

長い物語の挿入歌が採集されたものと思われます。

何の前触れもなくやってきて

夜も白むころ妻問いをする間抜けな男。

たぶん、喜劇性の強い物語だったのでしょうか・・。

返歌があります。

👇こちら。

 

万葉集巻13-3312
こもくりの泊瀬小国(はつせをぐに)によばひせすがすめろきよ

奥床(おくとこ)に母は寝(い)ねたり外床(とどこ)に父は寝(い)ねたり

起き立たば母知りぬべし出でて行かば父知りぬべし 

ぬばたまの夜は明け行きぬここだくも思ふごとならぬ隠(こも)り妻かも

万葉集巻13-3313
川の瀬の石踏み渡りぬばたまの黒馬(くろま)の来る夜は常にあらぬかも

 

意訳

〈3312〉

この泊瀬の国に来られ妻問いをされるあなたさま。

奥の寝床には母が寝ていて、入口近くの寝床には父が寝ています。

起き出せば母が気づくでしょうし、部屋から出て行けば父が気づくでしょう。

ためらううちに夜は明けてきました。

ああ、なんと思うにまかせぬことです。

〈3313〉

川の瀬の石を踏み渡り、あなたが黒馬の背にまたがっておいでになる夜が

毎晩であってほしいものです。

表面は相手を思いやる返歌に聞こえますが、

なんだか、

あの石川郎女と大津皇子の相聞を思い出してしまいます。

この歌のおさめられている巻13は、

作者不明

長歌+反歌

比喩歌

などで一巻が構成されていて、

他の巻との関連性も特にありません。

万葉集には、このような巻がいくつかあり、

全20巻の構成に、様々な疑問が投げかけられています。

折口博士流にいうと、

どこかの家集が、家持死後の混雑で紛れ込んじゃった?・・。

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

エビチリに湯豆腐を添えて

です。

 

それと、

りんごのサラダ

 

イカときゅうりの塩炒め

 

とうきびと砂肝の磯辺かき揚げ

 

イカ納豆

 

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

去年の種でたくさん咲かせたアサガオが、

そろそろ終わりを迎えようとしています。

鮮やかな色どりの花あとに残る

まるで目立たない

くしゃくしゃの実・・。

まるで

・・・・・

今年も少しだけ種を取る予定です。

 

 

きのう、古平町までドライブをしてきました。

 

札幌👉小樽👉余市👉古平👉積丹

 

と続くドライブコースにある古平町。

小さな漁村です。

行くことになったきっかけは、

田舎の友人の釣り自慢・・。

「鮭が釣れたど~~~!」

の一報と写真。

しかもメス。

    

鮭の今年の漁獲予想は、

過去最大の不漁だった昨年の半分といわれている中、

よく釣れたものだなと、感心しきり。

 

それじゃ、

よく行く余市の魚屋さんに一本買いに行こう!

ということで出かけたのですが、

あいにく定休日。

もう一軒のお店に行くと、

店頭に並んでいるのは、オスばかり・・。

「メスは、仕入れムリ」

「もし仕入れても、一本1万円するよ」

とのこと。

イクラあっての鮭一本買い。

あっさりと諦めました。

 

もう一つの目的。

海の写真撮影に切り替えです。

あまり行かない古平町の河口近辺徘徊・・・・・。

 

二級河川古平川とあります。

河口周辺では、

産卵のためのウグイが

至るところ群れを成して居ました。

それを狙ってか、

いろんな野鳥が・・。

 

 

👇呉越同舟???

 

朝7時に家を出て正午まで。

第一の目的は肩透かしでしたが、

野鳥や川を泳ぐ魚を観ることができ、

楽しい一日を過ごさせていただきました。

 

リベンジに、

来週厚田漁港へ行く予定♪

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

きのうの唐揚げのリメイクで

唐揚げのおろしポン酢がけ

です。

 

 

それと、

かぼちゃのマヨサラダ

 

フライドポテト

 

砂肝としめじのごま酢和え

 

蒸しとうきび

 

きんぴらごぼう

 

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「実録 土工・玉吉 タコ部屋半生記」高田玉吉(古川善盛:編) 

「々々 続編」

 

玉吉がタコ部屋土工となったきっかけは、

本人によると、

親族との金銭トラブルだという。

酒の勢いで直談判に打って出たまではいいが、

逆に半死半生の袋叩きにあい、

自棄になったついでにポン引きの手引で

周旋屋の看板をくぐることになる。


はじめてのタコ部屋生活は、

札幌茨戸の川底掘り下げ作業だった。

もちろん機械などなく、

すべてが手作業である。

木枯らし吹き始める10月、

着の身のまま地下足袋姿で川の中に入り作業をする。

陸にあがるのは昼飯時だけで、

銃を携えた見張りの監視のもと、

日に12時間前後の作業が続く。

足はぶくぶくにふやけ、

水虫になると、

白ペンキをぬってこれを治したという。

軟弱な者でなくとも

弱音を吐いて暇乞いをするか病気になるのがオチだが、

玉吉はなんと、

この過酷な作業に短期間で順応し、

親方や兄ィ連中からも認められるようになったという。


この体験を皮切りに、

玉吉は北海道のタコ部屋28箇所を渡り歩くことになる。

私も北海道に生まれ育ったので

真冬の北海道の寒さは身にしみているが、

それはあくまで暖房衣類をしっかり着込んでの話である。

タコ土工の着ているものは

厚くもないシャツの上に半纏一枚きり。

真冬の朝の暗いうちからたたき起こされ、

号令のもと、

一般の自由労務者の5倍ほどのノルマの作業が始まる。

そうなると、

シャツ一枚着ている者もなく、

真冬だというのに男たちの体から湯気がわきあがるという。

疲れ果てて

夜遅く部屋にたどり着くと、

そこで倒れこむ者が出てくる。

それをなんと管理者は裏の笹藪に連れて行き、

水をぶっ掛ける。

ところが、

それで治るから不思議です、と玉吉は述懐する。

仕事の過酷さに、

トロッコに自ら体当たりしてわざと怪我をする者、

指など自分の体に傷をつける者、

毒草を飲み込む者、

最後の手段として

“飛びっちょ”(タコ部屋からの逃亡のこと)

を決め込む者などが続出する。

しかも、

それらのしわよせをすべてかぶることになる、

タコ部屋に残った者の辛酸・・。


玉吉は結局、

この後15年間にわたりタコ土工の生活を続ける。

それ程過酷な作業に対する体力と順応力があれば、

堅気のどんな仕事でも勤まるのではないか、

という疑問がわく。

が、

そう考えるのは、

それこそ堅気の理屈なのだ。

玉吉にすれば、

一所定住とか

立身出世ということばは重荷でしかなく、

過酷な流浪の生活に身を投じている刹那こそが

生きがいだったのである。

北海道には最盛時、

2万から3万人のタコ労働者がいたといわれる。

いま私たちが利用している北海道の道路と鉄路は、

玉吉のように生きた彼らの

〝刹那〟の結晶といっていいのかもしれない・・。

 

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

鶏モモ肉のから揚げ

です。

みんなのきょうの料理

「鶏のから揚げ」

大原千鶴さん

9月9日

参照

 

別途

ユーリンチーだれを用意し

かけて食べると

ホント

美味しいです♪

 

 

 

 

 

それと

アサリのスープ

 

あるものサラダ

 

イカ刺し

 

ヒラメ納豆

 

いかげそおろしポン酢

 

きんぴらごぼう

 

 



 


以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

もう、20年くらい前の話になる。

家から近い、

地下鉄澄川駅の前に

古本屋さんがあった。

 

いつ行っても雑然としていて、

棚に入りきらない古本が、

床から平積みになっていたり、

買い入れた段ボールがふたを開けたそのまま置いてあるような、

そんな店だった。

その散らかり具合がよかったのか、

よく通った。

(先日再読の「法窓夜話」も、ここで購入したと思う)。

 

そんな雑然古書店もうでの中で見つけたのが、

この本。

「実録 土工・玉吉 タコ部屋半生記」 高田玉吉(古川善盛:編) 

「々々 続編」



いつか読めたらいいな・・とは思っていたが、

これも偶然、

あいかわらずの古本の混沌の中から見つけた。

この店では、

チェーン古書店には期待できないような掘り出し物が、

ごくまれに見つかった。

(本当にごくまれ、100回に1回くらいだったが・・)。


昭和47年。

というから、

高度経済成長一段落の頃だろうか。

一人のタコ部屋労働者の手記が世に出て、

新聞やNHKまでとりあげて、

大きな話題となった。

本書はその2年後に単行本化されたもの。

そも、タコ部屋とは何だったのか。

・・・・・

さかのぼれば
明治の北海道開拓において、

土木工事の作業従事者確保は、

困難を極めた。

期限待ったなしの開拓工事。

通常の募集ではままならない・・。

そこに、

作業員の確保を引き受ける

周旋屋が介在するようになる。

そしてこの悪習慣は、戦後まで続くことになる。

わかりやすく言えば、

前借金を餌にした人身売買・・。

そうして集めた土工たちを監視つきで収容する施設が、

タコ部屋である。

タコはひもじくなれば己の足を喰うところから

この呼称がついたとも言われている。

一般的にタコ部屋労働者には、

酒色や博打で身を持ち崩した男が

周旋人に丸め込まれて強制労働を強いられ、

脱走を企てようものなら、

時には死にいたるようなリンチを受けた、

という悲惨なイメージが先行する。

そして、実態も大半はそのとおりであったらしい。


ただ、本書を読んではじめてわかったのだが、

同じ苛烈な環境に生きるタコ土工でも、

ふたとおりに類型化されたようだ。

ひとつは、

周旋屋の甘言にのせられてタコ部屋に売られてきた素人土工。

そしてもうひとつ、

自らの意志で身体を張ってこの世界を生き抜く

「兄ィ」と呼ばれる玄人の男たち。

この手記の語り手、

高田玉吉はその後者にあたる。

(長くなりますので、明日に続きます)
m(_ _)m

 

 

 

 




さて安田食堂、

きょうの一品は、

焼きワンタン

です。

ミバエいまいちも

酢・しょう油・ラー油

おいしくいただきました♪

 

 

 

 

それと

ひとくち海鮮丼

 

りんごのサラダ

 

きのこのホイルバター蒸し

 

いただきあさりの酒蒸し

 

きんぴらごぼう田舎風

 

柿の白和え

 

 

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

 今読んでいる

「遊牧民から見た世界史」

という本のコラム欄で、

遊牧民の「遊」の字の字源について触れている。

著者説明によると、

「遊」という字には、

ブラブラあそびほうける・・以前に

「でかける」の意味があるという。

遊牧民というと

何かのんびりとしたロマンチックなものを想像しがちだが

そんなんじゃない、大変な世界なのだ、

というのが、言わんとする主旨。

まだ読み始めだが、

たしかに、そんな遊牧民の過酷な世界が伝わってくる。

ついでなので、

久しぶりに

「常用字解」白川静 平凡社

 

で「遊」の字源を調べてみた。

この本には、

常用漢字表1,946字の字源解説がのっていて、

なんだか、物語に触れるような楽しさがある。

たとえばこの字、
 「遊」

のもとは、

旗竿を持つ人の形であるという。

旗には神霊が宿るので、

それに之(しんにょう=行くの意味)を加え、

神霊が「ゆく」こと、

気ままに行動することを「遊」という。

 

遊・游ともに、もとは神霊があそぶこと、

神が自由に行動するという意味であったが、

のちに人が興のおもむくままに行動して楽しむ

という意味に用いられるようになった・・。

・・・・・

冒頭の遊牧民に戻るが、

神霊が気ままに遊ぶがごとく跳梁跋扈した遊牧の民は、

長いこと文字をもたなかった。

そのために、

己が歴史を中国やギリシャなど、

時には完膚なきまでに打ちのめしたはずの

敵国の史書にゆだねるしかなかった。

もし彼らが文字を持っていたら

世界史が大きく書き換えられていただろう

というのが、

「遊牧民から見た世界史」

の著者のもっとも言わんとするところのようだ。

1ヶ月くらいかけてゆっくり読みたいと思うが・・。

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

月中日の

握りずし

です。

りんごの細切りで

ほそ巻きを巻いてみました(右上三巻)

いけるかも♪

 

 

 

 

それと

ホッキのひもとじゃがいもの辛し和え

 

お刺身切り落としのやまかけ

 

三日目の南蛮漬け

 

チョイワル枝豆

ボイルえだまめを

にんにくで炒めて

生醤油をぶっかけただけ

ちょい悪な味です♪

 

 

きのうの煮物

 

おまけ

さんまの内臓(わた)

焼いただけ

にがいだけ・・

飲んべえ御用達

 

 

 

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

テンタルデン卿(1762~1832)は、

もと理髪師の子であったが、

法律を良く学び、

バリストル(事務弁護士の依頼を受け弁論や証拠調べを専門とする)

として活躍し、後に判事総長までなった人。

そのバリストルの時代、

ある事件で相手弁護士と論争した。

双方過熱するあまり、

相手はついに人身攻撃の卑劣手段に打って出た。

「汝いまこそ鉄面皮に大言を吐けども、元来理髪師の子ではないか」

言って彼は胸を大きくそびやかした。

が、

たちまち静かなる反論を受けた。

「汝はいかが」

昂然と答えていわく、

「余は法律家の子なり」

テンタルデンは、静かに笑った。

「汝は法律家の子なりしが法律家となり得たのであるか。

幸福なることよ。

もし汝をして吾輩のごとく理髪師の子ならしめば、

今頃は客のあごに石鹼をぬっていることであったろうに。

著者はいう。

人生が無味乾燥でないなら、

その大法則である法律の話とて、

無味乾燥であるはずがない。

それを万人に伝えたいという熱意から生まれた百話。

わたしなどには

難解に過ぎるものもあるが、

まだらボケ頭脳のすさびとして、もってこいの一冊である。

 

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

うどんカルボナーラ

です。

 

 

 

それと

ひとくち湯豆腐

 

かぼちゃのサラダ

 

ちくわとこんにゃくの煮物

 

もやしキムチ

 

ニンジンの葉のかき揚げ

 

 

 

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

いつもあまり入らない川の縁を歩いていたら

たわわな山ブドウに遭遇

背のとどくところだけで

こんなにたくさん収穫

 

3~4粒たべて

昔を味わって

(すっぱい>"<)

あとは

山ぶどうジュース

(山ぶどう酒ではありません)

╰(*°▽°*)╯

にして

いまから6か月寝かせます

たのしみです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そろそろ

〝秋の夜長〟

という言葉を使って良いころなのだろうか。

さして急ぐ用事もなく、

読みたい本もみつからない。

そんな夜、

芋焼酎のロックなど

ちびちびやりながら

拾い読みするのに最適な本。

「法窓夜話」:穂積陳重 岩波文庫

どうやら、

古本屋さんで購入したらしい。

背表紙の値札に、315円とある。

消費税が5%に引き上げられたのが、

1997年4月だそうで、

これが2014年月まで続いた・・。

そんな時代があったことに

〝ほう〟

という思いがする。

さて本書、

日本初の法学者の一人、

穂積陳重によるエッセイ、

いわゆる「法学百話」である。

今回はその中から、

「酩酊者の責任」を面白く読んだ。

 

ギリシャ七賢に、

ピッタコスという人があった。

「機を知れ」

という言葉で有名な人だったらしく、

時の暴君から庶民を救ったことから

国政を預かる身となり、

善政をしき、良法をもうけた。

 

このピッタコスの定めた法律に、

「酔うて人を殴(う)つ者の罰は、醒めて人を殴(う)つ者の罰に倍すべし」

という規則があった。

著者はいう。

酔者は醒者より国家にとって危険な人民である。

飲酒はそれだけで罪にならぬが、

もし悪結果を生じたなら、

それより反致して、

飲酒を責任の目的とすることができる。

また

飲酒と殴打とは行為の連絡があるから、

二種の罰を蒙らすことができる。

これ

予防主義からみても、

懲戒主義からみても、

鏡戒主義からみても、

大いに理由のあるところである。

ただし古風なる自由主義論者は、

あるいはこれを非とするであろう。

・・・・・

ピッタコスは、

紀元前600年代の人である。

それからずうっと下った明治の法学者が

この法を讃頌する。

 

さらに時を踏んだ令和のわれわれは、

これをどうとらえるべきなのだろうか・・。

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

鶏モモ肉の南蛮漬け

です。

 

それと

ひとくちサラダ

 

わかめとミニトマトの酢みそ和え

 

新ゴボウ(地物)のマヨ煮込み

 

もやしの梅和え

 

煮物二点

 

 

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

万葉集2-126

石川郎女、大伴宿禰田主に贈れる歌一首

遊士(みやびを)とわれは聞けるを屋戸(やど)貸さずわれを還せりおその風流士(みやびを)

意訳

みやびなお人だと聞いていましたのに、せっかく伺った私をそのまま帰してしまうなんて、なんといいかげんなな風流士ですこと、あなたは。

石川郎女と大伴宿禰田主の相聞です。

大伴田主は左注によると、

「容姿佳艶、風流秀絶、見る人聞く者、歎息せざることなし」

というほどのイケメンだったそう・・。

そんな田主に恋した石川郎女、

尋常の恋文では見向きもされないと知ってか、

策を弄する・・。

ある夜、賤しい老婆に扮し、

自ら鍋をさげて寝所に近づき、

戸をたたく。

「この家の東隣の貧しき女です。灯をいただきたく・・」

と。

よもや

郎女のやつせる姿とは思いもよらず、

灯を取らせて帰らせる・・。

・・・・・

思惑大きく外れた石川郎女、

今風にいえば〝スベった〟?

これを大きく恥じ、

また

想いが果たされなかったことを恨み、

この歌を贈った・・・・・。

といわれています。

石川郎女というひとは、

万葉集に作品が八首残されています。

それらが同一人物か別人かで、論がわかれますが、

夫にあてた以外は、

恋をもてあそぶ風の作品となっており、

この歌もその一つなのでしょう。

返歌があります。

万葉集2-127

大伴宿禰田主、報(こた)へ贈れる歌一首
遊士(みやびを)にわれはありけり屋戸(やど)貸さず還(かへ)ししわれそ風流士(みやびを)にはある

意訳

私こそは風流士ですよ。(あなたと知りながら)共寝することもなくお帰ししたのですから、これぞ風流士なのです。

毒づいてくる郎女の舌鋒をサラっと返すゆとりのイケメン田主。

軽くいなされた郎女、

さらにかッと熱くなって

書き送ったのがこちら。

万葉集2-128

同じき石川郎女、大伴田主中郎に贈れる歌一首
我が聞きし耳によく似る葦(あし)の末(うれ)の足ひく我が背勤めたぶべし

意訳

噂どおり、葦の葉先のように足を引きずるお方、せいぜいお大事に。

石川郎女には、

大津皇子や草壁の皇子など

歴史上のビッグネームが登場します。

大伴田主は、家持の叔父にあたる人。

石川一族も大伴に近い家筋だったといいます。

編纂者といわれている家持が

どんな意図でこの謎の多い石川郎女を取り上げたのか。

どこかで

そんな本に出会えたらよいのですが・・。

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

エビ入りシューマイ

です。

 

 

それと、

洋ナシのサラダ

 

磯つぶのボイル

(画像ありません;)

 

もずく酢

 

にしんの甘辛煮

 

ホタテ稚貝の佃煮風

 

レンコンきんぴらときむち

 

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近

知人縁故の訃報に

接し

・・・・・

どちらも大往生

 

 

東照宮御遺訓に

「人の一生は重き荷を負て遠き坂道をゆくが如し」

(出所異説あり)

とあるそうですが

このことば

この歳になると

つくづくと首肯させられます

・・

あのおばあちゃんの

はたからみれば羨ましい限りの一生も

生まれたときから背負わされてきた

風呂敷包み

との戦いだったのかも

などと

。。。

合掌

 

ひさしぶりに

近くのパン屋さんにいってきました

車で5分くらいのところにある

小さなお店

【ひだまり】

さん

平日午前なのにめちゃ混みよう

・・・・・

このお店

食パンが美味しいので有名なのですが

 

きょうは

わたしの好きな菓子パンです

〝アンドーナツ〟

〝メロンパン〟

〝胡桃パン〟

〝ぶどうパン〟

数週間に一度くらい

なぜか無性に

菓子パン

とくに

アンドーナツパン

食べたくなります。

(昭和の申し子)

・・・・・

少なくとも

わたしが生きてる間

続けてくれるでしょう

ありがたい

パン屋さんです

 

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

おろし納豆温玉うどん

です。

 

それと、

ホッケのフライ

 

茄子の揚げ出しもずくあんかけ

 

きむちとまと

 

レンコンのきんぴら

 

砂肝ポン

 

 

おまけ

ホッケの頭の煮つけ

 

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。