(再読)ななめ読み

「黒船以前 パックス・トクガワーナの時代」

 

徳川政権が、二百五十年の安泰を築き上げた要因。

これを

直木賞作家中村彰彦氏と

歴史学者山内昌之氏が再検証する・・という体の対談集。

山内氏は中東イスラム研究の専攻で名高いが、

江戸学についての造詣の深さにも驚かされた。

天は、

与える人には二物でも三物でも与えるものなのだ・・。

なかでも、

キリスト教や鉄砲伝来のあたりの考証は、

いろいろな想像が膨らんで面白い。

この本では、

キリスト教伝来を

スペイン・ポルトガルの日本征服戦略の尖兵としてとらえている。
たとえば、

当時のイエズス会日本管区準管区長ガスパル・コエリョは、

スペイン本国に艦隊の派遣を要請していた。

その内容がこちら・・。

 

「もし日本を植民地化してカトリック改宗に成功し日本人のように好戦的で怜悧な兵隊を得たならば、いっそう容易に中国を征服できる」

 

まるでエビで鯛を釣るがごとき戦略を本国に書き送る宣教師とは、

一体何だったのだろう・・。

 スペイン・ポルトガルの隆盛期だったこの時代、

両国に「トルデシリャス条約」という取り決めがあって、

ローマ法王の仲介で両者が協議し、

領域の分割線を決めたという。

その線から東はポルトガルの領域、西はスペインと。

面白いのは、

この分割線をもとに

ポルトガルは東へ向け航海をはじめ、

かたやスペインは西に勢力を伸ばす。

ついには地球の反対側で対面してしまうのだが、

その場所が東アジアなのだという。

そしてその時の日本は、

応仁の乱が終息し、新しい秩序を模索する大変動期だった。

 航海の先々で

やりたい放題一人勝ちをつづけてきたポルトガル・スペインが、

「日本に行ったとき、世界でもっとも凶暴な完全武装の集団、職業的な軍人集団が存在した」

ことに仰天する。

そこでとった戦略が、日本の上流階級攻略である。

つまり戦国大名に取り入りそこから布教を広める。

結果、

大友・有馬・大村をはじめ高山右近・内藤如安などが続々と改宗していく。
本書対談の中で中村氏は、

「明日の命も知れないようなところでは、そういうキリスト教の、死ねば天国にいけるという考え方は一つの救いとして作用したであろうし、宣教師側も非常によく勉強して、日本人に実に口当たりのいい方法でアプローチしてきた」

という。

結局ポルトガルもスペインもキリスト教も、

秀吉・家康によって追放の憂き目に会うのだが、

その間日本は、

ヨーロッパ文明と新しい知恵・技術をたっぷりと習得する。

まるでそれは、冬眠に入る熊が貪欲に栄養を蓄積するのに似ていなくもない。

事実、以後日本は二百五十年の長い冬眠に入るのである。
本書は、従来の江戸時代論を見直す格好の一冊である。

 

 

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

シンプル

鯛塩ラーメン

です。

鯛のアラを

軽く焼きつけて

昆布と鶏むねでだしを取ります

スープはもちろん

飲み干します♪

 

 

 

 

それと、

タコとはっさくのサラダ

 

鯛のアラのほぐし身の甘辛煮

 

砂肝とセロリの辛し和え

 

おつまみ三点

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

 


 

きのうのつづきです`(*>﹏<*)′

(再々掲)

万葉集 巻1-1

籠(こも)よ み籠(こ)もち ふくしもよ みぶくし持ち

この丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告(の)らさね

そらみつ やまとの国は 

おしなべて 吾こそあれ

しきなべて 吾こそませ

我こそは 告(の)らめ

家をも名をも

この妻問いの歌ではまだ、

5-7-5のような

歌の音数の整理がされていません。

逆にいうと、

このアンバランスさに

ことばの原型というか、呪術性が秘められている・・。

 

このような無定型の歌が

やがて整理され

5音7音の反復となり

最後を5-7-7でまとめる形に集約されます。

これが長歌

さらにそこから、

その長歌のまとめというか、クライマックスというか、

そんな思いを5-7-5-7-7にまとめる

反歌(短歌)が生まれる。

歌=長歌+反歌の時代が来る。

(長歌)

やすみしし わが大君 日の皇子

神ながら 神さびせすと 太敷かす

京を置きて 隠口(こもりく)の初瀬の山は 真木立つ

荒山道を 石が根の 楚樹(しもと)おしなべ 坂鳥の

朝越えまして 玉かきる 夕さり来れば み雪降る

阿騎の大野に 旗薄 いのをしなべて 草枕

旅宿りせすいにしへ思ひて

 

短歌

阿騎の野に 宿る旅人 うち靡き 寝(い)も寝らめやも いにしへ思もふに

まくさかる 荒野にはあれど もみぢばの 過ぎにし君が かたみとぞ 来し

東の野に かぎろひの立つみえてかへりみすれば 月かたぶきぬ

日並知(ひなみし)の 皇子の尊の 馬並(な)めて 御狩り立たしし時は 来向ふ

柿本人麻呂が、阿騎野の遊狩の時詠んだ長歌と反歌です。

そしてその反歌という

〝短い歌〟がブレイクする時代が来ます。

〝短い歌〟のブレイクした背景には、

ひとつ、「歌垣(うたがき・かがい)」ということがあります。

折口流に

そのおおもとをずうっと辿っていくと、

神に扮装した男と

神に仕える処女(おとめ)が、

神の庭で儀式を行う。

これがいつのころからか意義を失って、

春の祭りに五穀をはらませる祭りとなる。

神と人との問答が、

村の男と女のかけあいになった。

男と女が分かれて集い、

5-7-7で問いかけ、5-7-7でこたえる・・。

その文句が相手を凌駕すると称えられる。

女が男をやり込めると、

その女がおおいにもてはやされた。

やがて短歌の形が、

官のみならず、

民草の中に伝播していく・・。

一方、地方を巡遊することになった〝ほかいびと〟は、

みやこの流行を宗教とともに携えて

村々を巡った。

著者折口信夫は、

日本文学の根底には、

それらほかいびとの唱導精神が横たわっているという。

その発生点を徹底追及した論考「国文学の発生」は、

つぎのように終わっている。

「ほかいを携え、くぐつを堤げて、行き行きて、また行き行く流民の流れが、鮮やかに目に浮かんで、消えようとせぬ。この間に私は、この文章の綴じ目をつくる」

「折口信夫全集」より

「日本文学の源流」、ここで終わります<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

昭和レシピ

鶏むね肉のしょう油煮

です。

鶏むね肉を

みりん・さとう・しょう油

で煮ただけのレシピ

さすがに物足りないので

にんにく3片をつぶして加え

キャベツ・玉ねぎの

温野菜にのっけました

 

あっけない旨さ?

昭和の味?

また作ります♪

 

 

 

 

それと、

ひとくち海鮮丼

要するに昨日の余禄・・デス

 

海老芋のうま煮あんかけ

 

たらこの子和え

 

揚げ焼きとニラの三升漬けがけ

 

定番きんぴらごぼう

 

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(きのうのつづきです)

どうぞおつきあいのほどを<(_ _)>

ところが、このような邑落が成長するにつれ、

国家としての意識が芽生え、

邑々は国家に糾合される流れが生じてきます。

うまく国家の支配下になった邑は村として残るが、

反抗した邑は、跡形もなく潰される。

多くの邑が憂き目を見る。

古代版、市町村合併・・。

著者はこれを、

「すなわち社会の階段が外される」

と表現します。

そうして、

邑落の来歴を伝えていた

巷の職業者⇔語り部が、行き場を失う。

放浪の民が出現・・。

「すなわち、いわゆる乞食者(=ほかいびと)という職業人があらわれた。」

と著者はいいます。

このように、

宮廷以外の語り部は、

ほかいびととなって呪言やモノガタリを語って歩きました。

著者折口信夫はこれを、

〝巡遊伶人〟

と名付けました。

一方宮廷では、

国家の歴史としての語りに曲折をつけ、

大切なセレモニーの際、これを行う習慣が定着していく。

最初は、長いながい叙事詩だった・・。

やがてその中の大きく興味をひく部分、

(たとえば英雄物語)

が叙事詩から脱落し、

その部分だけが歌われるようになった。

もっぱら宮廷で歌われるようになったこの歌を、

「大歌」といった・・・・・、らしい。

長いながい

口承の叙事詩が曲折を伴う大歌として独立すると、

いよいよ声楽としての価値が高まる。

それとともに、著者いわく、

「社会が複雑になり、人の感情が細やかに」

なる。

これまで以上の大歌の創作を望む機運が高まる・・。

万葉集 巻1-1

籠(こも)よ み籠(こ)もち ふくしもよ みぶくし持ち

この丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告(の)らさね

そらみつ やまとの国は 

おしなべて 吾こそあれ

しきなべて 吾こそませ

我こそは 告(の)らめ

家をも名をも

雄略天皇作とありますが、

後世の神聖な儀礼の場において、

〝雄略の威力〟を発唱することで

儀式成立の効果をもたらしたのではないか・・。

きっとこの歌なども、

もともとは前後に長い詞章が続いていたことが、想像せられます。

 

ただ、

この妻問いの歌では、歌としての音数の整理がされていません。

これが

どのように

三十一文字の短歌に姿を変えていくか・・。

というところで、

長くなりますので

きょうはここまで<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

月中日のお寿司の日、

早春の握りずし

です。

 

 

 

それと、

お刺身めかぶ

 

セロリともやしのナムル

 

天カマキムチ

 

鶏レバのソース漬け

 

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これも二十数年前になりますが、

よく通っていた古本屋さんで、

はじめて

「折口信夫全集」を目にしました。

ちょうど

万葉がらみで古代のことに興味を持ち始めた時期・・。

〝啐啄同時〟などというにはおこがましいですが、

まさにそれだったような気がします。

この全集自体は、

とってもコムズカシイ

とオモシロイの同時進行の本・・(笑)なのです。

一巻目に

「日本文学の源流」という項があり、

非常に面白いので、少しまとめてみようと思います。

まいどながら、おつきあいのほどを・・<(_ _)>

わが国上代には、

文字のない時代が長く続きました。

稗田阿礼というひとは、

古事記の基礎になった膨大な叙事詩をすべて暗記したといわれています。

それほど、この時代の人々一般の記憶力は、

現代人の想像をはるかに超えるものだったのだとか・・。

その中で特に口承の能力にたけた者(あるいは部族)は、

語り部(かたりべ)とよばれ、

神の代弁者という担保のもとに

神と人(部族)と土地の関係を伝え、

村々の有力者の厚い庇護を受けていました。

そんな時代が、気の遠くなるほど長く続いた・・・・・。

というところから、

折口古代史は、始まります。

「上代の邑落(ゆうらく)生活には、邑のいしきはあっても、国家を考えることがなかった。邑自身が国家で、邑の集団として国家を思ってもみなかった。隣り合う邑と邑が、利害相容れぬ異族であった」

この著者の文章からは、

現代の理性をすべて振り払って

古代の大地に立とうとする情熱が伝わってきます。ハイッ個人の感想ですが・・;

やはり、長引きそうなので明日に続きます( ̄︶ ̄)↗ 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

 

にしんそば

です。

 

 

 

 

 

それと天カマと

あるもの野菜の炊いたん

 

鶏レバのソース漬け

 

チンゲン菜のおひたし

三升漬けがけ

 

めかぶの酢の物

 

身欠きにしんの甘辛煮

 

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

 先日ご案内の、

「日本語の起源 新版」

の補遺版的位置づけの本。

2007年発行となっているが、翌年著者逝去・・。

生涯孤高を貫き通した氏の、遺言のようにも思える。


 「私は日本語の過去を振り返り、

文献以前の日本語を求めようとしたが、

それにはおよそ一生を要した」

と述懐する著者の日本語成立論をまとめると、

以下のようになる。

① 日本では、縄文時代には西日本ではポリネシア語が使われていた。

その単語は“母音終わり”であった。
② そこにタミル語が到来して、(大野氏のいう)ヤマトコトバが作られてきた。
③ ヤマトコトバは南へ、東へと、その高い文明と共に広まっていった。
④ 北海道・東北地方のアイヌ語・九州南部の隼人語は次第に同化されていった。
⑤ タミル語の到来によってヤマトコトバが成立した後、

朝鮮半島から高句麗語が入ってきて、

数詞の一部分と共に、他の単語やタミルと異なる文明を日本にもたらした。
⑥ その後、朝鮮半島を経て漢字が伝来した。

古代日本は、

中国語という決定的に構造の違う言語を受け入れ、

広く浸透させた。

ただ、それは中国語の全面受け入れではない。

いわば漢字の換骨奪胎である。

つまり、

漢字からかな文字を作り出し、

さらに、訓読みという方法を生み出した。 

同じ周辺国でいうと、

ベトナムなどは

中国語と構造が似ていながら結局現在はローマ字表記であるらしいし、

日本語と構造の似ている朝鮮語は、

日本ほど漢字は普及せず、やがて独自のハングル文字に変わっていく。 
 私の胸に長いことつかえていたのは、

なぜ日本だけが漢字のこのような受け入れを出来たのか

である。

それはきっと、

日本文化に

漢字を換骨奪胎するだけの下地

があったからではないか。

では、その下地とは何か・・。

残念ながら、

既存の考古学・歴史学・民俗学は、そのことに何も答えてはいない。
このこととあわせて、

日本には、

古くから和の思想がある。

決められた規則は規則としながら

組織員の話し合いで最終結論を出す和の思想。

中国からも朝鮮からも嫌われる、

NEMAWASHIですべてを丸く治める

いわば日本人特有のダブルスタンダード。

もし日本文化のすべてが大陸経由であれば、

このような思想の生まれるはずがない。

Wikipediaによると、

大野説の一番大きな欠点は、

比較言語学の正統的方法に従っていないことらしい。

特に、

歴史性を捨象して

時代の整合性にそぐわない単語比較を行っている点が問題なのだと。
たしかに、

読んでいて飛躍のしすぎを感じる箇所がないわけではない。

ただ、

その欠点を補って余りある魅力が、

大野学説にはある。

例えば言語について、大野氏はこんなふうに考える。

「およそ文明の大変革において、物と技術だけの移転・導入が生じるということはあり得ない。言語は文明に随(つ)いて行く。ハタケ・タンボ・アゼ・クロなどの稲作に関する言語が、中国の江南地方に発見されず、はるか遠くのタミル語に共通をもつことを、どのように説明すれば良いのか」

紀元前500年頃、

稲と金属器と機織を携えて日本に上陸し、

瞬く間に縄文文化を終焉に追い込んだ民族とは、

はたしてタミルの遠祖だったのだろうか、

それとも・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

これもカツ代さんからヒント

牡蠣のトマトシチュー

です。

レシピ詳細がなかったので

自己流見切り発車

ホールトマトを

一缶使用

あとはいつも通り

Good💚

 

 

 

 

 

それと

新玉ねぎと甘夏のサラダ

 

かま栄のかまぼこ

(市販ですが美味しい♪)

わさび醤油で

 

まぐろとめかぶ

 

タコキム納豆

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

この本。

表紙からして昭和感満載・・ですよね。

お料理関係の本を押し込めてある段ボールから引っ張り出しました。

 

ブックオフの値札がついていて、105円(笑)

わたしが購入したのは何年前か忘れましたが、消費税5%のころ・・。

主婦の友社からは、1993年に発行されています。

 

料理も毎日のことですから・・、

主菜はきまっても、

副菜どうしよう、一点じゃ物足りないし・・???

これ、あるあるじゃないでしょうか。(わたしはいまでもあります;)

それを、

月ごとにおっきなテーマを決めて、

日付👉夕食献立👉作り方・メモ

が紹介されています。

365日、副菜に迷ったらこれ♪

というすぐれ本。

ちなみに、本日2月12日の献立は、

主菜:五目炊き込みご飯

副菜:塩鮭

副菜:なめこおろし

副菜:かす汁

 

それよりなにより

いまどきの料理研究家さんにはない

カツ代さんの昭和笑顔がイイと思いませんか。

昭和のお母さんの75%は

みんなこういう顔をしていたような気がする・・。

ハイッ、思い込みの激しい個人の感想です;

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

ということで

きょうの一品は、

カツ代さんメニューから

 豚カツ 新玉ねぎいっぱい

です。

 

 

 

 

 

それと

そばサラダ

 

いわしの梅煮

 

ヤナギダコの夏みかんマリネ

 

おつまみ二点

 

ワカサギの佃煮

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずいぶん昔の話になりますが、

近所には

〝雪掻き名人〟がたくさんおられました。

雪が降ると、

朝の暗いうちから起きて、競うように雪を掻きます。

家の前はいつも

チリ一つない(とはいわないか・・)くらいに・・。

時にはわたしの家の前まで・・。

なので大雪の朝など、仕事前の大仕事でオツカレ・・。

内心、

(早くその身分になりたいよ~~~~)と思っていたものでした。

 

その名人の皆さんも次々と鬼籍にはいられ、

町内はすっかり代替わり・・。

いつのまにか

わたしが

その立場になり、

名人のまねごとの日々・・・・・。

光陰矢の如し

歳月はひとを待たず

よいこと?

何もありません・・☆*: .。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

 

万葉がらみで、

「壬申の乱」:遠山美津男 中公新書

を読みかえしていたら、

壬申の乱の発生原因として、面白い論が載っていました。

そのワードは

「庚午年籍」。

乱の二年前、亡き天智の命令で、

はじめて全国的な戸籍調査が行われたといいます。

それが、「庚午年籍」。

国民の所在が正確に把握できる名簿ができあがりました。

これによって従来よりも、

租税・労役のみならず、兵役の徴収が可能になった。

 

著者によると、

大友・大海人どちらも、この名簿の効果を試したくてうずうずしていた。

のじゃないか、というのです。

とても興味深い説だと思います。

軍事力は、それを試してみたくなる・・。

 

 

話は大きく飛躍して、

今や経済力のみならず、軍事力においても米国を脅かす隣国。

1949年の成立以来、大きな戦争を経験しておらず、

軍事力は年々増強傾向に・・。

隣国軍部は、その軍事力の証明をどこかでしたくてしようがないのでは・・。

 

という妄想を抱いていますが、

新内閣、どんな船出となることやら・・。

 

 

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

ぶり大根ならぬ

かんぱち大根

です。

同じ青魚なれど

少し

クセが強いかも

 

 

 

それと、

かぼちゃのガーリックマヨ

ひすい茄子の梅おかか

ワカサギの佃煮

おつまみ二点

・・・・・

ですが、

諸般の事情により

画像はありません

`(*>﹏<*)′

 

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

ゆうべ

床に就こうとしたころ、

突如

ブルドーザーの音。

市の排雪作業がわが町内会にも。

従来のパートナーシップなんちゃらはなくなり

今年はこんな風らしい。

ともあれ

朝までにきれいにしていただきました。

ありがたや╰(*°▽°*)╯

ほんのすこし春気分・・。

きょうは、

特売の2個で98円のレンコンを使って、

安田食堂流

レンコンのきんぴら

をご紹介します。

 

料理は賛否両論、ご意見鋭意受付中です✌️

 

お安い割に色白のしっかりしたレンコン・・。

できるだけ薄く切り(1ミリくらい?)

酢を少量垂らした水にさらす

 

その間にほかの具材を切り分ける

冷蔵庫にあったセロリとニンジンと小あげ

(小あげには賛否ありますが個性の強い具材同士のつなぎになります)

調味料もそろえて

レンコンを炒めしっかり油を吸わせて

セロリ・にんじん投入

小あげも投入し さっとからめ火を止める

水1:酒1を加え 火を入れ 

鶏ガラスープの素👉さとう👉しょう油適宜を加え煮立てる

完全に汁がなくなるまで

・・・・・

しっかり炒めて出来上がり♪

きんぴらごぼうとほとんど同じ作り方です

3日くらいで食べ切ります♪

 

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

陳建民流 麻婆豆腐

です。

 

 

 

それと

菜の花のごま和え

 

 

根菜かき揚げ

ごぼう・さつまいも・かぼちゃ

わずかの塩でいただきます

 

 

いただき

たらこの甘辛煮

 

 

レンコンのきんぴら

 

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本古代史というのは、たとえていえば

真っ暗闇の中に点在する灯りの関連付けのような学問だとおもう。

考古学、民俗学、歴史学、言語学などの学者さんは、

記紀に代表される文書や発掘出土品などの“灯り”をよりどころに

日本古代を研究する。

当然ながら、真の古代そのものを俯瞰した人はいない。

“灯り”以外の無限に近い真っ暗闇には、

誰も見たことのない歴史の真実が眠っている。

数多の学者さんの中には、先人の積み重ねの履修に飽き足らず、

その暗闇を解明しようと試みる人が現れ、

それまでの学会の常識を根本から覆すような説を唱える人が出てくる。

例えば、

日本古代史を世界史やアジア史の観点から解明しようと試みて

「騎馬民族説」を打ち出した江上波夫氏や、

実証的文献解釈による「邪馬台国はなかった」をひっさげて

古代史観の根本的見直しを訴えた古田武彦氏。
ただ、というか当然というか、

既存学問の矛盾点を衝くところからスタートする新説も、

内に多くの自己矛盾を抱えていることが多い。

さらに、

学界というのは信じられないほどの固陋な側面を持っているそうで、

新説は徹底的なバッシングにあう。

江上騎馬民族説はその後かなりの訂正を余儀なくされたようだし、

古田古代史観はそのあまりの奇抜さに徹底的な無視にあった。

どちらも素人のわたしにはワクワクする説なのだが・・。

本書の著者、大野晋氏による

日本語の源流をタミル語に求める説も、

独創性といい学会の反応といい、

江上、古田両説に引けを取らない。

なにしろ、

日本語の源流がよりによってインド南部にある

というのだから・・。

本人は生前、

「認められるのにあと百年かかる」

といっていたらしいが、

よほどの実証性のある発掘でもなされない限り、

陽の目をみるのは難しいとおもう。

さはさりながら、

大野説というのは、とても魅力的である。

なによりも私が惹かれるのは、

日本語の起源として最有力の中国江南地方と朝鮮半島をバッサリ切り捨て、

沖縄から点々と続く黒潮ラインに熱い視線を向けるところである。

すこし飛躍かもしれないが、

この黒潮ライン視線は

折口信夫の古代文学論と通底する。

折口は

「最古日本の女性生活の根底」で、こんなふうに述べている。


「万葉人の時代には、

以前共に携へて移動して来た同民族の落ちこぼれとして、

途中の島々に定住した南方の人々を、

既に異郷人として考へ出して居た。

其南島定住者の後なる沖縄諸島の人々の間の、

現在亡びかけて居る民間伝承によって、

我万葉人或は其以前の生活を窺ふ事の出来るのは、

実際もつけの幸とも言ふべき、

日本の学者のみに与へられた恩賞である。

沖縄人は、百中の九十九まで支那人の末ではない

我々の祖先と手を分かつようになつた頃の姿を、今に多く伝へて居る。

万葉人が現に生きて、

琉球諸島の上に、

万葉生活を、

大正の今日、

我々の前に再現してくれて居る訳なのだ

 

大野晋は、はたしてこの折口論文を知っていたことだろうか。

 

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

スパゲッティ 春菊アーリオオーリオ

です。

 

 

それと、

いわしの梅しそマヨロールと中骨カリカリ焼き

 

トマトのニンニクごま油

 

麩と菜花の酢みそ和え

 

卵たっぷりポテサラ

「穏やかな朝」

 

穏やかな朝だった

食事を終えて

妻と

ちかくの学校まで出かけたら

廃品回収の車と行き会った

家庭でいらなくなったものを

チリ紙に変えてくれる

という

 

何とシンプルな提案

 

あれもしますよ

これもしますよ

あなたに寄り添いますよ

などといわれるうさん臭さより

 

なんでもいい

とにかくうちらの名前を書け

などと押し付けられる理不尽より

 

妻に

「上品な提案だね」

とおどけようとして思いとどまった

 

廃品回収の車は

近所の斎藤さんを右に曲がって

見えなくなった

 

やがてアナウンスの声も

聞こえなくなって

 

穏やかな朝だった

 

 

随分古いメモ帳をめくったら、👆こんな落書きがありました(笑)

日付に2005・9・11(sun)とあります。

のちに郵政選挙とよばれ、

自公圧勝となった、第44回衆議院議員選挙の日・・です。

あれから21年。

あの時は明確な〝争点〟があったのだが・・。

如月や押売のごと選挙尽♪

 

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

大鉢でつくる 南禅寺蒸し

です。

 

 

 

 

それと

天カマとあるもの野菜の煮つけ

 

長いもサラダ

最近

ポン酢でたべるのに

ハマってます

 

 

鶏手羽もとのスパイス焼き

 

おつまみ二点

かぼちゃの甘煮・らっきょスライス

 

 

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。