今年もやってきました、

クリスマスイブ。

昼頃、

スーパーのケーキ屋さんに寄ったら

信じられないほどの行列。

ネット予約のケーキの受け取りのようです。

我が家の

クリスマスの

プレゼントセレモニーは、

先日の孫1君のお誕生日会にすませているので、

きょう、

家では何もしません。

ケーキも作らないし買わない。

質素なクリスマスイブ。

とはいえ

イブの晩ごはん、

いくらなんでも

一汁三菜では寂しい.

 

きのう一匹買いしたひらめもあることだし、

ルーティーン破りでいきますか。

 

 

 

 

 

 

ということで安田食堂、

きょうの一品は、

年の瀬の握りずし

です。

 

 

それと、

ミニ湯豆腐

 

イワシの酢締め

 

だし巻き卵

 

お刺身ミックス

 

きんぴらとキムチ

 

煮豆

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年、今年の漢字は、

「高」・「米」をおさえて、

なんと、

 

でした。

それにちなんで、ということでもないですが、

こんな本を再読しています。

 

「羆撃ち」:久保俊治    小学館 2009年発行

北海道でもめっきり数少なくなった、

単独で羆撃ち猟をする

猟師の回顧録。


 著者は北海道小樽に生まれ、

子供の頃からアマチュアハンターであった父親の狩猟について歩き、

地元の大学卒業とともに、

ためらいなく猟師の道に入る。


 猟師になったときから、ひとつの夢があった。

良い猟犬を育て、

それを従えて山野を歩く「一犬一銃」の世界に生きること。

やがて夢かない、

フチという名の北海道犬(アイヌ犬)を飼うことになるのだが、

この犬がまれに見る狩猟能力の高い犬だった。

猟師(著者)は、

どんなに素質がよくとも主人の技量を超える猟犬は育たない

という信念のもとフチを仕込み、

フチはそれにみごとに応えていく。 

まさに「一犬一銃」。

近年よくある、

街中に現れた熊を駆除・・

ではない。

何日もかけて

熊のテリトリーに分け入り、

行動を読み取り

追い詰め

しとめる。

成功ばかりではない。

悔やみきれない失敗・・・・・。

その様子が、

克明な筆致で描かれている。

この数年の熊騒動を

著者が存命であれば、どう見たか。

その答えは、

本書の序章にあった。

本文抜粋

熊は本来、非常に警戒心が強く、常に人とは距離を置こうとするものである。子熊を守らねばならぬときとか、自分のエサだと決めたものを守るとき以外、相手を威嚇する声は出さない。逃げるか、遠ざかることがほとんどなのだ。

注意深さ、そのことが今まで熊を生き延びさせてきた大きな要素ではなかったのか。

人間の生活しているすぐ近くで、人に慣れ、人を恐れなくなり、本来の注意深さや、慎重さ、野生を失った熊が多くなってきている。不幸な事故はこれからも増加するかもしれない、

 

蛇足
本書は愛犬フチの死によって稿を終えるのだが、

あとがきを読んで驚いた。

猟師はその後結婚し、二人の娘をもうける。

その娘たちとの生活に注目したテレビ局が取材を始め、

制作されたドキュメンタリー番組が

「大草原の少女みゆきちゃん」だった。

もう、だれも覚えていないだろうが・・。

 

 

 

 

 

 


さて安田食堂、

きょうの一品は、

年の瀬の煮込みうどん♪

です。

 

それと、

タラの甘酢野菜あんかけ

 

柿となめこの酢の物

 

煮豆

 

ひらめの骨せんべい

 

にしん漬け

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 


 

気がつけば、

きょうは冬至でしたね・・。

古来より

陰極まりて陽に転じる日

とされ、

ここを境に日照時間が長くなり

気の早い人の 👈わたしのこと

春のカウントダウンが始まりますね♪

 

いまから1300年ほど前の

冬至の日、

奈良の阿騎野において

大嘗会という祭祀が行われた。👈らしいです;

そこで柿本人麻呂によって献詠されたのがこの歌。

 

東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ 柿本人麻呂

 

東の野にほむらが立ち日が昇らんとし、

振り返れば西の山に月が落ちていこうとしている

高校時代ですね・・・・・。

美しい自然の叙景歌として教わった記憶があります。

が、

随分以前になりますが、

それ少し違いますよね・・という主旨の本を読んで、

とても感激した記憶があります。

この本です。

「初期万葉論」:白川静 中公文庫

わずか300頁足らずの本ですが、

題名の通り、

初期万葉集についてのとても濃厚な解説書です。

 

サブタイトルが、

古代の招魂儀礼が歌を作った

とあるように、

著者は

初期の万葉歌の本質は呪歌的なものにある・・、

というのです。

言い換えるなら、万葉集の源流は呪歌だった・・と。

 

いつもながら、コムズカシイこと言ってすみません;

 

で、

この冬至の日に

人麻呂さんがなぜこの歌を歌ったか

それは、この日の儀式が

持統天皇の孫である

軽皇子(かるのみこ)の継体受霊のセレモニーだった・・・・・。

(大幅に中略)👈くわしく書けば一冊の本になるくらいなので・・・・・

よって、「東の野にかぎろひ・・」を含む七首の歌は、

天皇霊の現前とその受霊という

荘厳にして

絶対的な

祭式的時間を歌うもので、

叙景ではない。

 

ということについて書かれている本です・・。

冬至、ということで、

そんなあれこれを夢中になって読んだころを

懐かしみながら

結局今回もアブハチトラズ・・。

ただ書き散らしに終わってしまいました・・。反省😥

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

ユーリンチー

です。

 

 

ほかに

かぼちゃのサラダ

 

ひらきにしんの焼き魚

 

タコと柿のやまかけ

 

茄子の油いため

(画像ありません)

 

れんこんのきんぴら

 

 

 

 

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

少々

テイストの違う本の紹介で恐縮ですが、

お暇でしたらおつきあいください・・。

できればお暇でない方も・・・・・


著者はその時代、江戸学の祖と呼ばれたほどの〝時代考証〟の大家。

その歯に衣着せぬ批評で、

当時一線級の小説家の作品を

容赦なくこきおろす批評ぶりは、

世に喝采を得た。

本書では、

主に昭和初期の時代小説八篇をとり上げ、考証批判を加えている。
巻頭でやり玉に上がっているのがなんと、

島崎藤村「夜明け前」。

王政復古思想に傾倒する主人公の苦闘と挫折の物語だが、

考証の一端を以下に・・。

**********************************
「徳川様の御威光といふだけでは、百姓も言ふことを聴かなくなつてきましたよ」
【考証】この時分の人は、徳川様とは言わない。必ず公儀という。
「一体、諸大名の行列はもつと省いてもいゝものでせう。さうすれば、助郷も助かる、参勤交代なぞはもう時世おくれだなんていふ人もありますよ」
【考証】こんなことを言い、こんなことを考えていたものは、横井小南とかなんとかいう特別な人の話です。宿役人ぐらいの者が、諸大名の行列をどうしようなんていうことを、ひょっとして考えたにしろ、決して口外することはなかったはずだ。
・「十四代将軍の御台所に選ばれたといふ和宮はどんな美しい人だらうなぞと、語り合つたりしてゐるところだつた」
【考証】皇妹の御降嫁をお願い申し上げたということは、選ぶなどという言葉を当つべきものではありません。
**********************************

 著者のいわんとするところは、

何か一つのことを調べるのに、

そのことだけを調べてもその時代をつかむことは出来ない、

ということである。

大大名と小大名の暮らしぶりの違いもそうだし、

仕える武士も同じで、

潤沢な禄の人もいれば小禄の貧乏暮らしの武士もいる。

さらになによりも、

時世というものも把握しておかなければならない。

260年続いた封建社会とはどんなものだったのか、

庶民にとって幕府や朝廷とはなんだったのか。その諒解こそが必要だ

と、著者はいう。

 このあと、

吉川英治

直樹三十五

菊池寛など、

そうそうたる作家作品を取り上げ、

時代考証から見た齟齬について徹底的に指摘している。

鋭い指摘に快哉を送りたい気持ち大半と、

わずかに、何でそこまで大人気ない・・という気持ちが錯綜。

なんとも不思議な本。

三田村鳶魚がNHK「べらぼう」をみたら、

どのような評を書いただろう・・・・・、

というのが、本書紹介の主旨です。

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

年の瀬のおでん

です。

ねぎみそだれでいただきます

安田食堂流は

味付けをしません

昆布とタイのアラをベースに

具材からでるだしと

ねぎみそ

でいただきます♪

 

 

 

 

 

それと、

だし巻き卵

 

ほうれん草ともやしのナムル

 

ふくらぎ長いも納豆キムチ

 

手作り佃煮二種

ワカサギ・昆布

 

大根漬け

 

 

 

 

以上、きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

 


 

きょうの札幌、

最高気温7度でした。

 

道路は磨きのかかったツルツル路面。

札幌の

このスケートリンクのような道路を

転ばずに歩くには、

北京原人になること・・。

腰は低く

膝はゆるめかげんに

手はブランと提げて

 

前かがみで

北京原人になりきる

これが

私の結論です・・。

それでも転ぶときは転びます・・・・・(´・ω:;.:...

 

 

 

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

 

いかの団子汁

です。

 

この料理、

毎日よらせていただいている

〝おりりんの欲と戒めDiary〟

さんの

さんまの蒲焼の炊き込みご飯といか団子煮物

で見っけました♪

 

せっかくなので生いか(高いけど)を奮発して、

スタートです。

ただ、作っていくうち

どんどんレシピからはなれちゃって

(反省)

 

 

まず、

いかを細く刻む

 

まな板である程度たたいたものをすり鉢にいれる

ただひたすらすりつぶす。

 

自家用すりばち、10年ぶりに使いました

(今回はすりつぶしが足りなかったかな・・)

 

塩コショー👉溶き卵👉かたくり粉を加えさらにすり込む

 

にんじんみじん切りを加えさっくりと混ぜてしばらく置く

 

平鍋に水・昆布、玉ねぎ・ごぼうささがき・鶏肉を入れ沸かし

いか団子を加える

 

イカ団子に火が通ったら味噌で味を調え出来上がり♪

 

 

 

 

つくっているうちに

おりりんさんに教えていただいたものから

どんどんはなれていって

これが最終形(´;ω;`)

 

でも

いか団子の面目は保てたかな

いかのクセもなく

よくいえば

上品な味

に仕上がりました♪

次回は

しっかりすりつぶして

揚げてみようかな

おりりんさん、

ありがとうございました!!!

 

 

 

きょうはほかに、

ふくらぎとタコの刺身

 

ワカサギの佃煮

 

白菜ときのこの梅和え

 

ふくらぎのアラ炊き

 

 

あるもの野菜サラダ

(画像なし・・)

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おもたさの雪ははらへどはらへども     惟然


思ふまじ見まじとすれど我家かな      一茶

随分前に、

いつもの雑然古書店で、

「おらが春・我春集」

という本をみつけた。

荻原井泉水校訂。

さらに奥付をのぞいたら、

昭和二年初版発行、昭和二十八年二十一刷発行、臨時定価四十円とある。

全身セピア色・・。

本は、熟成するものなのか・・。

 「おらが春」の末尾には、

醒庵西馬という人(俳人?)の「賛」がある。

要約すると、

「一茶は惟然(芭蕉の弟子)に匹敵する奇才の人である、もし一茶が160年前の蕉門にあったら祖翁(芭蕉)はどちらを兄とし、どちらを弟といわれただろうか、」

と誉めちぎっている。

私は、

このことに若干の疑問を持っている。

たしかに一茶には、

蕉門に大きく傾倒していたと思われる発句が多い。

とりわけ惟然。

一茶の思い切った俗語の使い方など。

まさしく惟然の影響を受けている。

ただ、惟然と一茶では立ち位置に決定的な違いがある。

 

掲句、

おもたさの雪ははらへどはらへども     惟然

惟然の句は俗世からの逃避であり、

一茶のそれは、

俗世への執着なのである。
この差は、絶望的に大きい。


惟然の句は、

惟然を追って娘が京都まで慕ってきたとの噂を聞き、

己の旅姿を画いたものにこの句をつけて人に託し

越路に走り去った、その時の句。

おもたさの雪とは、凄いことばだとおもう。

 一方、一茶の句

思ふまじ見まじとすれど我家かな      一茶

には前書きがある。
 「家々の鶏の時を告る聲もとつてえかせとよぶやうに聞へ、畠々の姿に風のそよ吹くも、誰ぞまねくごとく覚へ・・・。」
 久しぶりにみちのくへの俳諧行脚を思いつき、身なりだけは西行法師に似せて家を出たけれど、齢六十を間近に控え、この旅の先々を思うほどに心細さが広がってくる

と、ぼやいているのである。

 

結局一茶は柏原から善光寺まで歩をすすめながら、

「さはる事ありて」

あの終の棲家の我家へ引き返す。

これが小林一茶なのである。

 

そのあと

一茶は最愛の娘さとの死にあう。

一茶はこの悲しみを、こんな一句に託している。 

 

「露の世はつゆの世ながらさりながら」  一茶

蕉門の風狂にあこがれながら、

一茶はついに〝執着〟から逃れることができなかった。

 

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

年の瀬の鍋焼き!

です。

なべ底に

ゴボウのささがきを

たっぷり敷いて

濃い

かつおだしで食べる

 

心底

あったまって

💗

になります♪

 

 

 

 

 

ほかに、

友人からいただいた

ニジマス・イワナの塩振りバター焼きです。

 

こーじくん、

ありがとう♪

 

あとは、

こーじくんからいただいた

山芋を使った

酢の物アラカルト

 

きのうのぶり大根

 

かすべのヌタ

 

砂肝とちくわのかき揚げ

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

この時期の

めずらしいいただきものに、

〝山漬け〟があります。

あまり流通には乗らない食べ物ですが

ご存じでしょうか。

👈借り物画像です

 

冬の貴重な保存食としてつくられました。

秋にとれた鮭に

塩を何度も繰り返しすり込み、

さらにたっぷりの塩を振りかけ

水分をしっかり抜くことで

鮭のうまみを引き出す。

めちゃくちゃ

塩辛い。

でもその塩辛さと背中合わせの

旨い・・。

成人病蔓延社会となっては

すでに

ガラパゴス食材。

わたしは、オホーツクの山奥の生まれ育ち。

地域にいまのような鮮魚店などなく

魚屋を〝いさばや〟といった時代。

魚といえば干し魚や塩漬け・ぬか漬けが大半でした。

数年前、

同郷の人とそんな話になり、(その人は開拓農家の子、先祖は岡山のひと)

少年時代を

その人はしみじみ語る。

うちのじいさんが

その山漬け一本買ってきたらさ、

親族みんなにおすそ分けをしたもんだ。

正月のごちそうよ。

そうやって助け合って生きてたんだな・・。

そして、

骨が残るべ。

それを茶碗さいれて、

お湯注いでよぉ、

骨をしゃぶりながら飲むんだ。

そのお湯の旨かったこと

今もわすれられないな・・。

旨いって、何なのでしょうね・・。

 

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

大皿の八宝菜

です。

 

 

 

それときょうは、

みかんとぶどうのサラダ

 

ねぎ砂肝ぽん

 

ぶり大根

 

きんぴら

 

にしん漬け

やっとなじんできました

食べごろです

 

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

いつもの本箱あさりで目に入って

無性に読み返したくなって再読。
明治の怪人、

南方熊楠のマンガ評伝。

 

 

 

南方の評伝数多あるなか、

なんと

評伝の狂言回しに

飼い猫を登場させているところが

水木評伝たるゆえん。

傑作です。

南方熊楠には、

「縛られた巨人」という呼び名がある。

言い出しは柳田國男。

柳田は、

南方がその才能を十分に発揮できなかったことについて、

「巨人が縛られたような状態の苦しみ」と推量したといわれており、

この表現は、その後の南方研究者にも受け継がれている。

ただ、

本書はそのような南方論に対するアンチテーゼでもあるかのように、

あっけらかんと

縛られた巨人の悲壮感

を吹き飛ばす。

それはあくまで第三者の推量ですよといわんばかりに、

ライフワークである

粘菌の研究や神社合祀令反対運動、

昭和天皇ご進講など、

南方のバイタリティが生きいきと描かれている。

南方熊楠のライフワークである

粘菌研究については、

「爆発し、分裂し、解体しそうになる自我を統一し、自己同一性を保持するための有効な作業であった(鶴見和子『南方熊楠』」

といわれている。

(なにやら、夏目漱石を思わせるような・・。)

なによりも、

南方にとって植物採集や分類・写生は

面白くてたまらない遊びであった。


 一方、

水木しげるの妻布枝さんによると、

水木は売れない時代でも作品を描き続けたという。

精魂込めて、ただひたすらマンガを描き続ける水木の後姿に

感動さえしたと記している。

水木が「猫楠」を描いた動機には、

物ごとの取り組みに対する

南方とのシンクロ感があったのではなかろうか、

というのが、今回再読の感想・・・・・です。👈こじつけかな・・

追記

「【南方熊楠】、大河でやらないかなぁ・・」(朝ドラはぜったい無理だけど)

というのがわたしの尽きせぬ夢です・・。

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

豚カツ

です。

特売セールの肉

・・・・・

イマイチも

おいしくいただきました

こんな日もあります

 

 

 

 

それときょうは、

玉ねぎと白菜のスープ

こちらは

はずれのない

美味しさです♪

 

 

野菜サラダ ポン酢で

 

鶏肉ときのこのホイル蒸し

 

レンコンとごぼうのきんぴら

 

ほうれん草の辛し和え

 

きのうのポテサラ

 

 

焼き豆腐キムチ

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」

が、

終了しましたね・・・・・。

 

ここ十年で最初から最後まで観とおしたのは、

真田丸

西郷どん

青天を衝け

どうする家康

だけでした。

それ以外は最初から興味なくパス。

なので

今回の「べらぼう」は、とても期待した作品でした。

が、

残念ながら、わたしは八月で脱落・・。

 

脱落理由その1

隔靴掻痒

巷の歴史好き高齢者のかゆいところに

サッパリ触れてくれない。

それと近世文学にも。

せめて馬琴の「南総里見八犬伝」がらみのエピくらいは・・・・・。

 

時代のエピソードをそつなく繋いで

これからの主たる視聴者である若者に

受け入れられる大河・・・・・。

 

 

遊女と幕府要人が会社の上司と部下みたいなせりふのやり取り・・。

街の吉原上がりの本屋の亭主が、時の老中に食ってかかるヒューマニズム。

幕府の役人と女郎屋の主人が個室で対等目線で会話する・・。

 

時代考証のNHK大河

といわれた過去はどこへ消えたのか・・。

これきちんとできるの、NHKしかないでしょう。

稲垣 史生よいまいずこ・・・・・。 👈古すぎだよ

 

だんだんヒートアップしそうなのでこの辺で。

次の「豊臣兄弟!」、

これも期待しているのだが・・。

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうの一品は、

長沼ジンギスカン!!!

〝長沼ジンギスカン〟

味付けジンギスカンの

ブランド名です

焼くというよりフライパンで煮る

煙の心配のないジンギスカン

 

これも

突発的に

無性に食べたくなる一品

💙

 

 

 

 

 

ほかに

ポテサラ

 

ミックス酢の物

 

しめさばキムチ納豆

 

やっこの三升漬けがけ

 

 

漬物二種

にしん漬け・大根漬け

 

 

 

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ずいぶん昔、

清田区の美本しかあつかわない古書店で購入。

「東海道の宿 水口屋ものがたり」:オリヴァー・スタットラー  

 

昭和53年の発行となっている。

 著者オリヴァー・スタットラーは、第二次世界大戦終了後まもなく、進駐軍の文官(予算管理官?)として来日した。

あるとき占領軍のあった東京から南西に5時間ほどの海辺の街に避暑に出かけた著者は、一軒の日本旅館を知り、その接遇に魅了され、それ以来しばしばこの宿を訪れることになる。

そして、宿の女主人の父親から宿のルーツが武田信玄の興津の戦い(1569年)まで遡ることを知らされた著者は、その聞き取りを元に、水口屋という宿の変遷と歴史上の事件をからめた歴史読み物「Japanese Inn(日本の宿)」を執筆することになる。

この本はアメリカにおいてベストセラーになり、その後の日本ブームのさきがけともなるのだが、その日本語版が本書「東海道の宿 水口屋ものがたり」である。

歴史読み物といっても通り一遍の歴史逸話の羅列ではなく、時代時代の精緻な風俗描写には、つい引き込まれてしまう。

そんな中からエピソードをひとつ・・。

 五十三次街道ぞいの宿場には、近隣でいうと由比の鮑、丸子(鞠子)のとろろ汁というように、それぞれ名物があった。

興津にも名物があり、それは、清見寺の門前で売られる膏薬だった。最盛期には50軒の膏薬屋が軒をならべたというが、なかでもひときわ大きな構えの店が両端にあり、一方を「丸一」といい、もう一方を「藤の丸」といった。

そして、「丸一」は自らを元祖と名乗り、「藤の丸」は本家と称し、両店とも膏薬の奇蹟を語るさいには他の店よりややもったいぶっていたというから面白い。いまでも時折見かける「元祖」「本家」争いのルーツは、このあたりに遡るのだろうか・・。

ともあれ、草履履きの旅人の常備薬として、この時代に興津の膏薬売りは大繁盛した。


 ただ、この繁盛には裏の側面があったことを、本書は如実に語る。興津清美寺門前にならぶ膏薬店では、すべてこれを10~12歳の色白の美少年に女装をさせ店頭に立たせ売らせていたという。著者はここで、ケンプェルというオランダ人(実はドイツ人)医師によってかかれた「江戸参府紀行」という日記を引用している。

 「(前略)店といわんよりはむしろ露店ともいうべきものありしことなり。各店先に十歳ないし十二歳の少年一人、二人、あるいは三人屯(たむろ)せり。

身綺麗になし、顔に紅、白粉の類をば塗り、女人のごとく品を作る。性下劣、無慈悲なる主に囲われ、裕福なる旅人の淫楽の用に供せられる。日本人この悪習に染むること深し。然れども外面を取り繕わんがため、かつは清廉の士の眉をひそめ、あるいは野暮、貧乏人などのあえてかれらとことを構へざる様、かれらあたかも上記の膏薬を旅人に売らんとするが如くしてそこに屯す。

われらが行列の奉行、繕いたる威厳を保たんがために宿に着くまで駕籠を隔てることを得ざりしに、耐え難くなりて下駕し、半時ほど少年どもと遊ぶ。その間われら町をそぞろ歩きし、他に注目すべきことどもの周囲に起こるを観察する機を得たり」

 ようするに、興津は稚児あそびのパラダイスだったというのである。

この稚児たちは成人すると、若衆姿に身なりを整え、興津の膏薬売りとして旅にでて、各地の神社仏閣の縁日を賑したという。ただ、このような淫蕩な時代は長く続かず、18世紀後半にはこれら若衆は姿を消し、膏薬だけの商いとなった。さらに、やがて鉄道開通とともに膏薬売りも街道の歴史から姿を消していった。

 はじめにも記したとおり、著者オリヴァー・スタットラーは戦後進駐軍の文官として来日し日本研究をはじめるのだが、参考文献をはじめとした膨大な資料群は、現在もスタットラーコレクションとして大学図書館に保存されているという。スタットラーは、この膨大な資料渉猟もとに、東海道五十三次にある宿屋を中心とした古い日本の市井の躍動をみごとに描ききっている。

ベストセレクションにくわえたい名著である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて安田食堂、

きょうのメインは、

三平汁とそばサラダ

です。

 

 

それと、

チカの佃煮風

しめさばと玉ねぎのグレープフルーツ和え

 

さつまいもの甘煮

 

ほうれん草のおひたし

 

試食 にしん漬け

 

 

 

以上、

きょうもおいしくいただきました。