多様性だとか、自主性だとか、同調圧力をなくして、だとか

特性ある子が生きやすい環境になっていったとしても、親の考えが変わらないとだめだよねと思っちゃって。

それがあたりまえの思考回路になるのはまだまだ先だよね。私は死ぬまでこの「普通」にとらわれてもがき続ける。周りの目を気にしながら生きていくんだろうな。

彼が自立して世の中でやっていけるようになれば少しは解放されるのかもしれんけど。

今は健常児に囲まれて、悪目立ちする息子を受け入れようともがきながら日々を過ごす。

息子なりに成長しているし、スモールステップで頑張っている。もちろんその姿を褒めるけれど100%心からの気持ちかと言われるとYESとはいえない。保育参観で、部屋から飛び出して廊下を走っていく息子、私が連れ戻しに行くけど、先生曰く「いつもはあのまま帰ってきません」けれど、頑張ったんだろうなという小さな部分をピックアップしてたくさん褒めるのだ。そこを純粋にすごい頑張ったね!と褒められる母親になりたい。6年間育ててきて、いまだにできません。

ちなみになんで部屋から出てっちゃうのかきいたら、やりたくないから。不安なんだよね。集団の中で、どんな予測不能なことがおこるかと落ち着かないんだよね。うん、わかるよ。ママもPTA奉仕作業、すごく居心地悪くて嫌だったもん。はよ帰りたくて孤立を貫いたわ。まあそれはともかく。

きっとさ、クラスの半数以上が特性強い子たちの集まりだったらここまで落ち込まないんだよな。世の中発達に不安がある子が増えてきたとはいっても、クラスに1人か2人という少なさよ。身近に共感しあえるママ友もおらんし、義母に話しても「普通」があたりまえ思考なので共感もあって話も盛り上がるけど、いつまでも古い考えからは抜け出せないよね。そして、最後は「どうしたらいいいんやろな・・・」で息子がどうしたら変わるのかになっちゃうのね。ありのままを受け入れるじゃなくて。

はぁ、強い母になりたい。