摂食障害は基本なったことがないとわからない苦しみだと私は思っています。

この病気にかかわらず、どの病気も基本なってみないとわからないだとは思うのですが、、、

特に「心の病気」って自己肯定感が高い人や自分が大好きな人、今を楽しんでいる人には全く理解できないことだと思うのです。

 

「大丈夫だよ。」

「傍にいるから」

「私が助けてあげるから」

というような言葉は私は好きではありません。

今でも嫌です。

 

私は13才から28才の間、摂食障害でした。

食べられずに37キロまで痩せ、食べ過ぎて52キロまで太りました。

 

何故摂食障害になったのかはよく覚えていませんが、中学生になり食べなければ痩せる。という思いがきっかけだった気がします。


中学校からは引っ越してしまったこともあり、誰も友達はいませんでした。村の中にある神社の娘という事もあって、何故か私のことを知っている人や私を見て噂をしてくる人たちもいました。

私だけ飛びぬけて独りぼっちでした。

そんな中でも友達を作り私なりの中学校生活を送ってきたのです。


そんな中で食事制限が始まりました。

 

テニス部に入っていましたが、ラケットを握る力もなく、ボールを追いかける力も残っていませんでした。

体はどんどんやせ細り、お腹もすいているのにどうしても食べることができなかった。

 

テニスの試合で負けてしまった際も、大きな声でコーチに「お前がダイエットなんてしている力がでないんだ!!!!」と叱られたこともあります。今考えるとパワハラ先生ですよね。

 

食べないと生理が止まります。

体を守るためなのか背中から生えたことがない毛が生えてきます。

心臓の脈も弱くなります。

良いことは何一つありません。


保険の先生が心配して定期的に私の体重を測るため、保育室に呼ばれることもありました。そんな時はポケットの中に重りを入れたこともあります。

 

そんな辛い状況でしたが、テストは学年でほぼトップでした。

 

母が作ってくれたお弁当には手紙が入っていて、

全部で300カロリーもないから食べてというメッセージつきだったことを今でも覚えています。

ですが、全部食べることがどうしてもできず、家に帰ってきて母の膝の上に座って泣いていたこともあります。

軽くなっちゃったね、と母は言ってしました。

今思うと母はあの時期にどんなことを思っていたんでしょうか。泣いたんでしょうか。心配しすぎて疲れてしまったこともあったのか、、、。、聞いたことはありません。

 

ご飯を食べている夢ばかりみたこともありましたし、決して健康な中学生活を送ったとは言えません。

あの時期にしっかり食べていたら、私の身長はもう少し大きくなっていたかなと思ったりもします。

 

ここまでが拒食症。

 

拒食症になった人の多くは過食症になると思っていて、次に私も過食症になりました。

食べても食べても止まらない。

朝早く起きて買ってもらった菓子パンを10種類くらい食べ続けました。食べても食べても食べ足りない。体重はどんどん増えていきます。

朝に沢山食べるので学校のお昼はほとんど食べませんでした。

夜ごはんも野菜のみ。でも夜ご飯が待ち遠しいくらいいつもご飯のことばかりを考えていました。

 

今思うと何故そんなに食べることに固執してしまったのかわかりませんが、24時間、常に頭の中は食べ物のことでいっぱいでした。

 

私は心が弱い人間です。よって感情が上手くコントロールできないこともしばしば。

勉強が上手くいかず、色々な事にイライラがつもり、カッターで腕を切り、流れた血をみてジンジン痛む痛さによって心を落ち着かせていたりもしました。

母親からカッターを奪われ、わめき、泣き・・・・・・・

 

ボロボロですね。

 

過食症のまま高校生になり、そのまま大学生になりました。

 

過食症は一人暮らしによって更に加速してしまうことになります。

 

 

自己肯定感の低い人の特徴として、過去を頻繁に振り返る特徴があるようです。

私もめちゃくちゃ過去を振り返ります。

 

以下に私のくらい過去をいくつか記載しています。

 

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私は小さいことから母親以外の愛情を感じたことがありませんでした。

なので基本人からの愛を信じることはありません。

血が繋がっている人達からの愛情を感じたことのない自分が血が繋がっていない人の愛情を信じることができるでしょうか。

父親が優しくなかった・・・・。というわけではありませんが、父親から愛されている。と感じたことは一度もありませんでした。父親の前で泣いたら女は泣くなと怒られましたし、褒めてもらったことは多分一度もなかったと思います。

 

父方の祖父母からは、いじめられた記憶しかなく、父と二人で祖父母の家に行った時、母親が居なくて寂しくて泣いてしまった私に「泣くなら二度とくるな」と祖父に怒られた記憶があります。

祖父母に抱きしめてもらった記憶もなく、褒められた記憶など一度もありません。

いつも他の孫と比較され、私は孫としては一番かわいくなかった存在だったように感じました。

母親は父方の祖母に嫌われ、怒鳴られ、挙句の果てに祖父が死んだのは母親のせいだといわれていました。

もうあれから30年以上も経っているのに、あの時の状況ははっきりと覚えています。

 

母親も祖父母について文句を私に言っていましたし、いつもいつも愚痴を聞かされてた。

(人って悪いことばっかり記憶に残っちゃうんでしょうか・・・・・₎

 

母親には兄弟がいます。

母方の兄が私のことを可愛がってくれていましたが、お小遣いをくれるとお嫁さんが文句をいうから内緒ね。。。。ということも小さいころから聞かされており、いつしかお嫁さんに文句言われるならもうお小遣いなんて欲しくないと思うようになってしまいました。私は誰からも好かれないんだなと、邪魔なのかなぁと思ったこともありました。

 

中学校になり、拒食症・過食症になり、約15年間人と普通に食事がとれませんでした。

食べては吐き1日で10万以上の食料を購入して食べて吐いた記憶があります。

食べて吐くために働く。そんな生活が続きました。

食事ができないと生活の様々な場面で支障がでてきます。

多分それは経験した人にしかわからない想像を絶するものです。。。。

リストカットも沢山し、左手には今だにカッターで切った跡がいくつも残っています。

 

その他にも自分の中では暗い過去が沢山あります。

私は過去の経験から、祖母にあまり良い印象を持っていません。たまに自分の顔が父親に似ていると感じる時、

父親は祖母に顔が似ているので、私の顔が祖母に似ていると感じてしまう瞬間があります。

そんな時、いまだになんとも言えない衝動に駆られてしまいます。

自分の顔が嫌い。

自分の顔に子供が似てしまったらどうしよう。。。そんな恐怖から子供も1人しか産むことができませんでした。

(子供の話は色々ありますが。。)

 

大人になった今も昔のことと現在のことがイコールでつながって考えてしまう事が多くあり、

そのたびに落ち込み暗くなる自分がいます。

 

こんな自分の性格になったのは過去があるからだ。

あんな生活をしてきたから今の自分がある。

そうやって過去ばかりを責めていました。

 

でもここで大事なことは2つ

過去は過去

過去と今は比較しない

ということです。

 

結局過去をいくら嘆いても、変えられない。

でも忘れることもできない。

だから思い出すこともあるけど思いだすで留める。あ~。あんなこともあったね。と。

 

第3者からの目線でみているような気持ちで思い出すことが大事だそうです。

そして思い出した時に今と比較しないこと。

 

今は今。昔は昔。

比較して嘆いて落ち込んでポジティブになれるなら是非。

でも私は決してポジティブにはなれないので、とりあえず、過去を受け入れつつ、比較をすることをしないように努力することにしました。

 

そしてこんな辛いことがあったのに、よくここまで生きてきたよ。

頑張って生きているよって自分を褒めてあげる。

これも大事。

 

小さいことから褒める

「今日仕事最後までできたよ、頑張った」

「15分集中できた、頑張った」

「自分のこと今日も褒められた、偉いぞ」

自分を褒めてあげることはいくらでもできる。

まずはここから。

 

よくやりがちなのは「他にもっと大変な思いをしている人いるのに自分は・・・・」とか

「他の人はもっとすごいのに自分なこんなことを褒めてあげるとか、、、レベルが低すぎ・・・・」など、

ここでも他人と比較をしてしまうこと。

 

もう他人と比較はやめよう。他人と比較してもどうしようもないよね?

産まれた環境も持っているものも全部違うんだもの。

 

今は過去を受け入れつつ、今と切り離しが生活を送るようにしています。

 

 

 

 

 

 

 

私自信、自己肯定感が低いのはなんとなく分かっていましたが、

改まって自己肯定感について深く考えたことはありませんでした。

 

気になり始めたのは知り合いとこんなやり取りをしたことがきっかけ。

 

私には6才になる息子がいます。

心から可愛いと思っているし、自分の命よりも大切。

 

でも時々ストレスがどうしても解消できない時、

息子を泣かせたい。」という感情に駆られてしまうのです。(*悪いことと十分認識しています)

 

どなったり、怒ったり、虐待などで泣かせるのではなく、ただ私が隠れるだけ。

 

「ママー。どこ~?」と大泣きする息子を見て心の何かが解消・・・・されると思っていました。

泣いている息子を見て結局自分も泣いてしまうんだけど、どうすることもできないこの感情・・・・・・。

 

でも寝ている息子を見て、私はなんてひどい親なんだろうと思うし、息子に100%悪影響を与えているのも分かっている。

自分自身のストレス解消どころか更に深い溝にはまっていきます。

でもどうすることもできず、繰り返す。

(*そんなに頻度は多くなく、年に4回くらいですが・・)

 

この話を知り合いにしたところ、

「自分が強い、子供にとって自分が大切って思わせたいじゃない?自分の存在意義をわからせたいみたいな。。。。。」といわれました。

 

最初はそんなこと考えてもみなかったので、何言ってるの?くらいにしか思っていませんでしたが、

色々考えるうちに「息子にとって自分は必要な存在。いないといけない存在と思わせたい。それを知る事で自分の心の

何かが救われている・・・のかもしれない。。。」と、そう思うようになりました。

 

そしてたどりついた言葉が「承認欲求」です。言葉の通り、人から自分という存在を認められたいと思う気持ち。

それが私は強いかもしれない。とその時初めて思ったのです。

 

息子のために勉強やら、色々習い事をしていますが、人が息子を褒めると自分の努力を誉めらている気分になり、

嬉しかった。でもそれって息子自身にとって嬉しいことではなく、単なる自己満なのではないか。

息子のためになっているんだろうか?

そんなことすら考えるようになりました。

 

承認欲求があることが悪いことだとは思っていません。

でも私には承認欲求が良い方向に左右されているとは到底思えなかったのです。

 

現代はSNSの普及で誰もが自由に発言できる時代になりました。

FacebookやYoutubeなど発信方法は様々。

 

私は承認欲求が強いからといって、ソーシャルメディアを通じで発信しまくっているのか?といわれるとそうではありません。

何も発信できるネタはないし、Faebookは今や会社の人とのつながりが強く、軽く発言できる場ではなくなってしまいました。

配信すれば人からのコメントやイイネの数が気になる。

そんな環境にも疲れてしま、いつしか発信というのを辞めてしまったのです。

 

承認欲求の特徴ですが、

1.自信がない

2.目立ちたがり

3.周りの目を気にしすぎる

など数多くの項目が当てはまりますが、私は上記の1と3だけが当てはまります。

(どこかには2の気持ちがあるのかもしれませんがよくわかりません。₎

承認欲求が高い人はメリットも沢山ある(仕事で成功しやすい、高い意欲を維持できる)のですが、私には当てはまりません。

 

何故自信がないのか。何故周りの目を気にしすぎてしまうのか。

その原因を突き止めていった結果

自己肯定感が低い」という結論にいたったのです。

 

自己肯定感が低いと色々な事に障害がでてきます。

自己肯定感・・・・・・・これが私の欠点。

でも、私は自分の欠点を見つけることができて、少しホッとしました。

 

自己肯定感を高くできるかわからないけど、

原因がわからず、ずっと落ち込んでいるより、何か原因となるものが分かって

それを対処しようと努力できることができれば変わるかもしれないと思えたのです。

 

私が好きな言葉で「失敗してもいいんだよ」という魔法のようなセリフ。

 

今は多くの人が失敗しよう。と失敗することを進めてくれる良い時代になりました。

だって失敗から学べる事が多いから。

失敗しないと成功への近道はできないんだって。

 

だから私も自己肯定感を高めていきつつ日々の生活をもう少し楽にしていいきたいと思っています。