様々な方が凝ろなと優生学で著書や講義を行っていらっしゃるようですが。おっしゃっておられることは重要なことで人間の心理をえぐる話が各国の歴史にたくさんあります。日本も含めて。人類は能力がすべて平等だとは決して言わないですが。しかし自分が神になって優生学を振りかざす人にもついてはいけません。凝ろなと優生学が結びつくのは人間の不安定さが呼ぶ選民思想ということだからでしょうか。一族惑沈で副作用がでないことを自慢する人をたまたまみかけたことがあります。なんていうか言葉が出ないのですが。効きもしない惑沈の副作用について議論するのも。

 

生きていくためには犠牲者や生贄が必要だという考え方は人間の原始的な発想でありますが、まあ、古いの一言ですが消えません。

とにかくあまり振り回されないことを祈ります。愛のある所にすべての人がたどり着きますように