長くなってtwitterだと書きにくいので、blogで。

 

アスペルガー症候群の方が、いろいろと趣味繋がりの方から指摘を受けるそうです。

どんなことをして、どんな指摘を受けたのかは知りません。

 

アスペルガーの方いわく、「相手を不快にするような言動はしていない」そうです。

 

この話だけを聞くと

「アスペルガーの方は相手の気持ちが理解しにくい。相手を不快にしていないと本人は思っているが、相手は不快に思っているのではないか」

という推測が第一感としてあがるのは、自然でしょう。

 

そして、

「快不快を決めるのは、受け手であって、発信側が決めることではない」

となり、アスペルガーの方が批判されるわけです。

 

その可能性については、私からも聞いてみたのですが

「それはない」

とのことでした。

 

 

どんなトラブルがあったのかは、私は知りません。プライバシーなので踏み込むつもりもありません。

ただ、私の質問にきちんと回答してくれた、アスペルガーの方の言い分を、私は尊重したいと思っています。

 

では、なぜ「指摘」が起きたのかを考えなくてはいけません。

アスペルガーの方の言動に問題がないのであれば、問題の所在は「指摘した人間」にある ということになります。

 

通常であれば「問題ない」「普通」とみなされる行動も、過去に問題を起こしたりトラブルを起こした人間や、病気や障害を持っている方が行ったとたん「問題だ」「異常だ」と認識されてしまうことがあります。

それは「偏見」と言えるでしょう。まず、冷静にその行動を評価してあげてほしいと思います。

 

また、問題がないのにもかかわらず、あえて(悪意をもって)「問題だ」「異常だ」と批判するケースも考えられます。

それは「差別」であり「いじめ」です。そんなことは起こりえないと信じたいものですが、そういう行動を行う人間も少なからずいます。

 

偏見や差別がある環境では、当人の努力が実を結びません。偏見があればそれを捨て、いじめがあるなら、いじめを行っている人は糾弾されなくてはいけません。

 

過去にも私も言及しましたが、blogやツイッターでアスペルガー症候群の方を強く批判・否定した人がいました。

でも、その人は、アスペルガー症候群という障害があること、アスペルガー症候群がどういう障害であるか、そしてそれを改善するためにアスペルガーの方が努力をしていることを知り、批判や否定をやめました。 そのことは本当に良かったと思っていますが、同じような偏見や悪意が別のところで再発しているのかもしれません。

 

 

もちろん、これはアスペルガーの方の言い分を尊重した場合です。

本人が「問題は起こしていない」と言っていても、実は問題を起こしている可能性も十分あると思います。

 

ただ、今一度、指摘された側・指摘した側の双方が、自分自身の言動が、筋の通ったものか振り返る必要があるでしょう。

偏見を捨てて、応援してみようという気持ちにはなりませんか?