物語書いてる? -14ページ目

物語書いてる?

物語に関するあれやこれや。そんなこんなでゆっくりやっていきます。

 

 

 岩山が海の中から屹立したような島だった。近づくにつれ、その地の様相が見えて来た。船を寄せつけないような入り江には、暗礁が巧みに隠れているように不気味だった。入江の奥にある港には、古びた漁船が難破した様に打ち上げられていた。

 人々が港に集まってきていた。久しぶりの朝鮮船とあって、華やいだ笑顔が多く見られた。どの顔も黄ばんでおり、見るからに栄養状態が良くない。中に武士の一団が混じっていた。武士たちは群衆を掻き分け、桟橋まで進んできた。

 大師と訳官が進み出ると、一団の頭らしき武士が前に出て、大師の前で三拝した。そして流暢な韓語を発した。

「正使様でいらっしゃいますか?はるばる対馬までようこそ。対馬島主の息子、宋義俊でござる」

 大師は破顔して礼を返した。

「これは丁寧な礼を有難く存ずる。私は正使の松雲と申す」

 倭の侍は目を見張らせた。既に清正との停戦のいきさつは聞いていたらしく、心なしか緊張しているように見られた。

 島の子供たちが、一行を取り囲むようにしてぐるぐると回りを駆け回った。親たちが慌てて抑えようとするが、巧みにその腕をすり抜ける。一人の女の子が、踊り子の前で転んだ。女の子は一瞬驚いたような顔を見せ、火のついたように泣き出した。踊り子は女の子両腕を抱いて天に向かって抱え上げた。女の子の鳴き声がピタッと止まった。オロオロと近づいてきた母親にその子を渡した。

 通信使一行が見た島の人々はいずれも痩せ、大人の男でも小さかった。来ている物黒くくすんでいる。五色の礼装をしていた一行とは明らかに華やかさが異なり、島民たちは羨望の眼差しで一行を見送った。

 

  一行は林道を抜け、左右に険しい山々を望みながら峠を越えた。太古から生き延びてきた古木が鬱蒼と生い茂り、人間たちを見下ろしていた。木々の醸し出す濃密な空気に、人々はむせかえりそうになった。そうして島主の居所のある宿営地に着いた。

 宿舎の荷解きが終わると、その晩早速饗応の宴が催された。饗応役は先程の宋義俊であった。倭乱の前は草梁の倭館に詰めていたとのことで、韓語に長けていた理由は、韓人の母親の血を継いでいるからだった。一行の中にも何人か顔見知りがいた。その中には、倭乱前の知り合いと、倭乱最中に敵として出会った者もいた。それでもその若者は一向に動じる様子もなく、客人の輪の中に入り込んだ。酒は足りているか?などと韓語で話しかける。

「対馬の由来はですな」酒の回った義俊は饒舌になった。

「馬韓に相対する島、という意味ですわ」

「馬韓?我が国の古地名ではないか。馬韓と何か関係があったのか?」同じく顔を赤くさせた副使が、隣の女に肩を回しながら大声を上げる。

「しかも馬韓は、西側の全羅道ではないか?倭国よりの辰韓でなく、何故馬韓なのだ?」

(昔、馬韓と倭国の間に関係が?)踊り子はぼんやりと考えた。

「それほど貴国と此処対馬は、縁が深いということです」

 罪の意識を感じていない様子の主側の明るい態度に、一行は次第に複雑な表情になっていった。酒は強かったが、一向に酔えなかった。踊り子は宴に倦み、宿営の外に出た。外は満月に照らされ、ところどころ白光を放っていた。気が付けば秋夕の季節だった。

(秋夕か…。祝ったこともなかったな。)

 幼いころから芸団に居た自分を振り返った。虫の音が一定の間隔で聞こえてくる。自分が異国に来ていることが信じられなかった。此処はまるで韓土と同じだ。いや、正確には南韓というべきか。北方とは全く違う文化圏だが、しかし何か懐かしい。

 踊り子は、じっと池の水面を見ていた。そこに月が揺れている。その丸い面差しにも似た形に、踊り子は人の顔を思い描こうとしていた。だがその丸い形は、一向に人の顔にはならなかった。ただの月のまま、水面に揺れていた。

(揺れている?)

 踊り子の顔には、風は感じられない。何故揺れているのか?

 踊り子は一本の水草に目を留めた。確か最初からそこにはなかったはずだ。騙し絵を見ているような錯覚に陥った。踊り子は水草の近くに石を投げた。

 しばらくは、何も起こらなかった。そのうち、水面が急に濁って来た。気泡が次々と水底から上がって来る。踊り子は池の端に足をかけ、水面を凝視した。背後で何かが擦れる音がした。振り向くと、そこには白い蛇が踊り子をじっと見ていた。悪寒が雷のように体を走った。踊り子は足を滑らせ、もんどり打って池の中に落ちた。水は眠っていた踊り子の本能をかき乱した。息のできない状況に踊り子は手足をバタつかせた。池の冷たさに片足がつった。体はますます深みに沈んでいった。踊り子の意識が霞んでいった。微かな意識の中で、体がふわっと軽くなり、持ち上がっていくのが感じられた。半意識という状態を、踊り子は初めて経験していた。放っておけば、そのまま流れ出してしまう液体だけの体を、辛うじて体皮が包んで形を成しているような感覚だった。体は冷え切っていた。その時唇から、熱が吹き込まれてきた。その熱は次第に体中に広がっていった。熱の伝わったところから生気が蘇ってくる。目蓋の筋肉が痙攣した。睫毛の向こうに、黒い顔が見えた。ほとんど頭巾に覆われている。太い眉。大きな双眸が、踊り子を見ていた。目があった瞬間に、その顔が消えていた。踊り子の意識は起き上がろうとしたが、体の筋肉はついていけなかった。踊り子は池の端に横たわったまま、満月を見上げていた。

 

 洞窟の壁に、少年のこれまで見たことのない風景が映し出されているように感じた。実際に見えるわけではなかったが、風にそよぐ柳の心地よさが感じ取れた。少年はただ書を写しただけなのに、一篇の詩、一行の句の間から、自分の気づかぬ感情が溢れ出てくることに、驚いていた。悲哀、絶望、歓喜、そしてどす黒い憤怒までもが、とめどなく流れ出てくる。その感情とともに、写した書は少年の心の襞に織り込まれていった。

 最後の言葉を写し取るまで、少年の心は現実から離れていた。他にまだ写し終わっていない書は無いか?少年は探したが、見つからなかった。少年は嘆息した。そして、白紙に『嘆息』と書いた。

『我、しばし嘆息す』

 少年は暫くその字を見ていた。

 少年の心に現実が戻って来た。大師の顔が浮かび、ついで踊り子の顔が浮かんだ。少年は荷物をまとめると、洞窟を出た。港には猟師が一人、網を繕っていた。少年が一行の消息を聞くと、数日前に旅立っていったという、少年は聞き間違いかと思って大声で聞き返したが、その猟師は笑顔で、同じ答えを返してきた。少年は海を見た。

 海は穏やかだった。浜辺のさざ波が耳に心地よかった。少年の心に、書き写した書の中から『空』という文字が浮かび上がって来た。少年は自ら気がつかないまま、波の中に入っていった。その時、少年は背後から襟を掴まれた。それは少年の襟首を咥え、浜へと引き戻して行く。そのまま少年は引きずられていった。目の前に猟師がいた。

「その大きな獣は、あんたの守り主かい?」猟師は聞いた。

 少年は振り返った。白い獣が、尾を振りながら浜を戻っていった。

「あんたは、死ぬほど海の向こうに渡りたいのかね?」

 少年は黙って頷いた。

「なら俺が、連れて行ってやろう。そろそろ向こう側に渡ろうと思っていたところだ」

 その猟師は柳参平と名乗った。


 島主の寝所の近くで鳴いていた虫の音が、急にやんだ。暗闇の中で、低い声がした。

「左内か?」

「はい」

「首尾は、どうだ?」

「確かにもぐりこんでおりまする」

「突き止めたか?」

「八人までは…」

「八人もか?」島主の声が、少し高くなった。

「して、その中に奴は?」

「いえ、わかりませぬ。奴の顔を見た者は、京・大阪にもおりませぬ」

「そうか…さて…」声がくぐもって聞こえた。

「して、伏見は如何に?」

「腹を、見せませぬ」

 島主はため息をついた。廊下に佇み、板戸の向こうを見透かすかのように、眼を細める。唇の端を微かに曲げた。

「わかった。引き続き、奴を探せ。必ず潜んでおる」

「はい」


 金副使は縁側を行きつ戻りつ、扇子をパチパチと叩きながら、せわしない動作を繰り返した。

「それで、島主の様子はどうなのだ?我々を出発させるつもりがあるのか?」

 門衛が口を開きかけた時、池の中から鯉が飛び上がり、もんどり打って体を水面に叩きつけた。桶の水を浴びたように門衛の顔がずぶ濡れになった。門衛と副使は、ぎょっとした様子で一瞬固まった。門衛の眼が副使と合った。

「あっ。あの、島主の様子は…そのう、よくわからない状況でして…」

「煮え切らない奴め」

「それ、それです。煮え切らない奴でして。とんと胆の内がわかりません」

「出発させる気が無い、という事か」

「へ?あ、そうかも知れないですね」

 副使の手が、扇子をパチっと鳴らした。その音に、門衛の肩がびくっと動いた。

「大師は、大師はどうしているのだ?」

「大師は、山登りに行ってます」

「何?山登りだと?」怒りの矛先を避けようと、門衛は数歩下がった。しかし、副使の顔には笑みがあった。

「鳩の用意をしろ」副使はそう言って奥に入り、文を書き始めた。

 

 大師は陶姫、行首、踊り子を伴って近くの山に登った。

 秋晴れのさわかな日だった。踊り子は山の頂上で大きな伸びをした。新鮮な空気が肺に満たされた。

「でもさあ、大師は一体どういうつもりで、此処まで昇って来たの?」

 行首は腰をかがめて、こぶしでかるく叩いた。

「知るわけないだろ。下々のわしらに、大師の仏様のような御心の内など…。とにかくえらい迷惑だ。山登りなんぞ酔狂にもほどがある。そうでなくても慣れない土地で緊張してるってのに」

 踊り子はクスっと笑って行首を見た。

「へ?緊張してたの行首?どこが?昨日も倭の酒たらふく飲んで、その後地元のおねいちゃんとどこかにしけこんでたくせに」

「し、しけ込んでたなどと…なんていう言葉遣いだ。お前親代わりのこの俺に向かって…おい待て」踊り子は笑いながら走り出した。その先に大師と陶姫が見えた。

 大師は小手をかざして、島を一望した。山裾に広がったいくつかの里や、僅かばかりの耕地、遠くの入江などが見渡せる。

「それでは、ここの土はあまり肥えていないのか?」振り返って陶姫を見た。

「はい。いにしえの火山灰で出来上がったような島にて、耕作には不向きかと思われます」

「ふむ」再び眼下の風景を眺める。

「なるほど」

 そこに踊り子が割り込んできた。

「大師様、一体いつになったら出発するのですか?」

 大師は無精に伸ばした顎髭を撫でた。

「そうだなあ。まあ、風次第というところか?」大師は眼を細めて島の入江を見た。その先にも倭の島々が霞んで見えた。

 踊り子は大師と並んで、遠く倭の地に連なる、黒いしみのような島々をじっと見つめた。その口が真一文字に引き締められた。

 大師は踊り子の頭に手を置いた。

「まだまだ、ここから先は長いぞ」

 踊り子の眼の端に、陶姫の顔が映った。その双眸は、少し潤んでいた。静かに胸を上下させている。踊り子は陶姫に近寄り、その頭に手を乗せた。

「まだまだ、先は遠いぞ」踊り子の低い声に、陶姫は噴き出した。

「どの位、遠いのかしら」

(お、こいつ。笑った。)踊り子は顔を崩した。

「そうさな。ざっと天竺までの半分といったところか」踊り子は腕を組んでより目になった。陶姫は口に手を当てて笑った。

「おねいさんは、何で倭に行くの?」

 陶姫は、陽光にキラキラと映える彼方の波間を、眼を細めて見つめた。

「さあ…何でかしら?何で行くんだったか…」

 陶姫は踊り子を振り返った。

「あなたは?」

「私は…」踊り子は、大きな瞳をくるくると動かして考えた。

「宝さがしかな?冒険の旅に」

 踊り子が眼を泳がせた先に、紫色の小さな花があった。

「あっ、ウリナラ(我が国)とおんなじ花が咲いてる」


 副使は憂鬱そうに雨空を見上げた。

(この天候では文は来るまい。大師を表立って罷免するわけにはいかんというところか?さて、何かもうひと押しが必要だが…。)

 そこに門衛が駈け込んで来た。

「ふ、副使さま。あ、あの」門衛は軒下の泥に嵌まって転んだ。その泥が、副使の顔にはねた。

「何だ。汚い」副使の口がへの字に曲がった。

「あ、す、すみません」

「どうした?」

「あ、そうでした。あの、大師が外出しました」

「何だ、またか。今度は、海へでも行ったか?」言ってから副使の顔が変わった。この雨の中を、何処に?

「いえ、あの、島主の屋敷に…」

「何?それを早く申せ」副使はその場で着替えを始めようとした。

「おい、そこの障子を閉めよ。それから、急ぎ我らも島主の屋敷に行くぞ。仕度だ」

 

 島の家老は、両ひざを握って島主を待っていた。膝を小刻みに揺すっては、ふと気が付いて、手に力を入れてそれを止める。襖の向こうを見透かすかのように、襖の取っ手に目を向けていた。その取っ手が左右に分かれていった。

「家老どの。朝早くからどうなされた?」

 家老の額に筋が浮き上がった。

「殿、お目通りのお願い、やっと聞き届けていただき、恐悦に存じまする」

「他でもない、通信使の件にござりまする」

「…」

「およそ、人と人の交わりの基本は、『誠』を尽くし、『信』を通わすことにござりましょう」

 島主は、大きな口を開けてあくびをした。片目を細めつつ、家老は話をつづけた。

「しかるに、こたび我が藩は、交わりを求めるに『誠』ではなく、『偽』を以て…」

 その時、障子越しに声がかかった。

「殿、失礼仕る。朝鮮正使どのが、面会を求めてきておりまする」

 島主と家老は、同時に頭を上げた。

 島主が見た正使の顔は、僧というよりは武人の様だった。団栗のようなぎょろっとした眼で、相手の全身を縛り付ける。会談は、気迫の応酬から始まった。

「正使どの、わざわざのお運び、恐れいり申す」会話が訳官を通して伝わった。大師は歯を見せて笑った。

「我らは目と鼻の先の距離に居る。こうして会うは造作もない事。したが…」ずい、と膝を進める。

「お主、若い割に腰が重いの。何故出発を延ばすのだ」鼻毛を毟り取って、フッと吹いた。

 島主は訳官を見たが、訳官は訳そうとせず、神妙な顔をして侍していた。島主はあきらめて韓語に切り替えた。


「それは、風向きが悪うございますゆえ」

 大師はその言葉を聞いて顔をほぐして笑った。

「風向きと言うたか?その風は、今はどちらに向かって吹いておる?」

「本土から…この対馬へと…向かい風でございます」

「そうか?儂は凪だと思ったが」

「は?凪?」

「さては、お主風向きが読めないのだな?そうであろう?」

「いや、さようなことは…」

「お主の心を読んでみようか?お主は今、疑心暗鬼に陥っているのだ」

 島主の眼が光った。

「何故、そうだと言い切れるのです?」

 大師は頭をざらっと撫でた。

「それはな…」

 島主の鼻が動いた。

「儂が、長年修行を積んでおるからなのじゃ」

「は?」

「お主は、餓えているのであろう?」

「な、なに?」

 間延びした鴉の鳴き声が辺りに響いた。その声に応じて、遠くから別の鴉の声が木霊のように響く。その声は、何かの信号のように伝わっていった。

 島主の顔に、うっすらと汗がにじんだ。

「御坊、何が言いたいのだ?」

 大師の眼に力が入った。

「お主の進む道は唯ひとつ。それは我が国と貴国との通商を成功させる以外にないのだ」

「それは勿論わかっておる」自分の声の大きさに、島主はたじろいだ。

「いや、これは大きな声を…失礼しました」島主は急に態度を変えた。島主の瞳が左右に動いた。

「何か、不都合なことでも?」

「あ。いえ、決してそのような」

 島主は、唇を舌でなめた。