小説「旅人の歌ー 儒者篇」その21 - 講義 | 物語書いてる?

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 儒者は惺窩に、一度前に頼まれていた講義を行うことを話した。惺窩は儒者をじっと見つめた。儒者はその眼を避け、代わりの条件を持ち出した。

「その代り、此の地の事情について、教えてほしい」
「事情…とは?」
「この国の支配体系について。地理について。どの国が地味豊かで、どの国が貧しいか。各国主の人物について。どの者の気性が荒いか。どの者は信ずるに値せぬか。それらを知る方法を、探してほしい」

 惺窩はじっと天井を見つめた。しばらくして顔を儒者に戻した。
「この国の情報を貴国に伝えたいと、思われているのですね?二度とこの国に、攻められぬように」
 儒者は、無言でうなずいた。
 惺窩は、深いため息をついた。
「わかりました。及ばずながら、お手伝いいたしましょう」惺窩は頷き、ゆっくりと話を始めた。
「日本の民の憔悴が、今ほど酷い時代は未だありません。実に残念です。私が朝鮮に生を受けず、日本のこのような時代に生を受けるとは。此度の戦が無ければ、私は朝鮮に渡ろうと計画していました。朝鮮がもし、日本を伐罪しようとするならば、民衆を塗炭の苦しみから救おうとしているのだと知らしめ、軍隊が通過する地域にいささかの被害も与えなければ、白河の関まででも十分行くことができましょう。朝鮮の人を殺戮したことは、日本人としてとても恥ずかしい。もし立場を変えて朝鮮が日本人を殺戮したならば、対馬ですら通過できぬほど、激しい反抗をすることでしょう」
 儒者は、改めて惺窩の顔を見た。
 
 日本の神様の中に、オオナムジという名の神がいる。別名を大國主という。この別名は和魂(にぎたま)となった時に呼ばれる。 人の本性も、これに似る。和魂の反対を荒魂と呼び、人はこの間を行き来する。では、どういう時に荒魂となり、どうなると和魂になるのか。それを学び、修業するのが朱子学である。 
 儒者は、声の調子を上げた。
「わが国では、人間の本性について、日々研鑽に励んでいる」
「ひるがえって、倭はどうか?」
「大昔から言い伝えられてきた、和魂・荒魂という言葉があるにも拘わらず、人の本性について、これまで研鑽がなされてきたのか?」
「土地が欲しければ、それを奪う。そこに住む人間が邪魔であれば、それを殺す。己の快楽だけを求めて、人を攫い、物を盗る」
 唾を飲み込む音が聞こえた。
「倭とは、何か?」
「自ら、己を禽獣と蔑むつもりなのか?」
「韓とは、何か?」
「韓は、東方君子の国である」
「韓は、自ら君子を名乗る。それゆえ、獣の行いを正す。荒れた倭の気を、清道に復す」
 そう言って、儒者は集まった一同を見渡した。どの眼にも、苦い色が浮かんでいた。その眼を見て、儒者の心に、新しい気が芽生えた。
(人の性は、同じなのだ。)
(淀んだ気も、理によっていつの日か澄み渡らせることは、できる。)
 大工姿の男が言った。
「それは、もうよくわかっているよ。こちとらが悪いってことは、もう十分に。ただ、一寸の虫にも五分の魂がある。あまり正しいことばかり、理詰めにされても、気が塞がれるだけだ。悪いことは重々わかった上で言うんだが、覆水は盆に返らない。新しく水を注ぎなおすしかないんだよ」
「一つ、聞きたいことがある」儒者はそう言って、座の面々を見回した。
「生を好み、死を悪むのは、あらゆる生物の本能であろうに、倭人だけが死を楽しみとし、生を悪むのは、一体どうしてなのか?」
 雀が庭先に降りて、餌を探して歩き回った。その囀りが、他の仲間を呼ぶ。遠くの山で、郭公の鳴く声が聞こえ来た。
 月代の剃り跡の青い若い武士が、低い声を出した。
「日本の将は民を支配し、髪の毛一つも民に属するものはない。
 だから、将に身を寄せなければ、食べていくことができないのです。ひとたび将に身を寄せてしまえば、この体も自分の体ではない。少しでも胆力に欠けると見做されてしまったら、どこへ行っても容れられない。刀がよくなければ、人間扱いされない。刀瘡の痕が顔の面にあれば、勇気のある男だと見做されて重禄を得る。耳の後ろにあれば、逃げ回るだけの男と見做され、排斥される。餓えて死ぬくらいなら、敵と戦って死んだ方がましです。力戦するのは、実は自分自身のためを謀ってそうするのであって、何も主の為を計ってするのではないのです」
 儒者は、その若い侍をじっと見つめた。
(その好戦の心と言うのは、産まれ持ったものではないと?主によって縛られ、賞罰によって駆り立てられる。だから将が無能であっても、家来は死力を尽くし、個として弱くても、みな敵に向かって死を掛けて戦うことができるというのか?)儒者は心の中で問いを発した。
『万に満つれば、敵する能わず』
(まして十数余万の死神では、我が国はどうしようもないではないか?)
 講義を終え、一人になった儒者は頭を振って雑念を追い払い、惺窩から借り受けた地理誌を懸命に書き写した。