小説「旅人の歌ー 陶工篇」その10 盛衰 | 物語書いてる?

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物語に関するあれやこれや。そんなこんなでゆっくりやっていきます。

  猟師網を頭から被り、巣箱から蜜を取り出していたブン蜂に、海女の弟が声を掛けた。
「アジョシ、勉強の時間だよ」
「へ?あ、そう?」ブン蜂はとぼけた。
「お互いに、教え合うって約束したじゃないか」弟は目を細めてブン蜂を見た。
「また、今度にしよう。アジョシ、チグム、忙しい」
「チグムって?」
「あ、何?えーと、この・・・時間」ブン蜂は指を地面に指した。
「この、時間・・・?・・・ああ、今って事?」
「あ、そう・・・?」ブン蜂は首を傾げて、曖昧に笑った。群がる蜂を払いのけて、蜜を容器に入れる。ふと顔を上げると、海女の弟は消えていた。
「オイ、わかったヨ。勉強する」
 裏へ回ったところで、倭人達に出くわした。海女の弟を取り囲んでいる。
(漁村の連中だ。)ブン蜂の目尻が上がった。
「何だ?どうした?」
 その声に、倭人達がおずおずと前に出て来た。
「そのー。謝りに来ました」男はそう言って、地面に手をついた。
「わしらが、悪かったです」
 横にいた海女の元締めが、魚の入った籠を差し出した。
「実は、あれは脅されてやったんです。あたしらの本心じゃないんだ」そう言って地面に膝をついた。後ろにいた倭人達も将棋倒しのように地面に膝をついて項垂れた。
 韓人達が集まって来た。海女も陶工の後ろから姿を現した。
 海女の元締めは、その海女を見つけると、駆け寄って手を取った。
「あんた、無事だったんだね。よかったよ。後悔していたんだ。あれから・・・」
 ブン蜂が後ろを振り返ると、職人がついと前に出た。
「帰れ。此処から出て行け」
 倭人達の首の後ろが震えた。
「本当に、悪かった。このとおりだ」
「あれは、私たちの本心じゃなかったんだ。頼まれたんだよ。あんたたちを・・・その・・・」海女の元締めの声は、裏返っていた。
「頼まれた?誰にだ?」医生が詰め寄った。
「その、編み笠を被った男に・・・」
「何?編み笠男?」
「いい加減な事を言うな」職人が声を荒げた。
「待て」陶工は腕を組んだまま言った。
「どんな、恰好だった?」
「それが、そのう、編み笠でよく見えなかったけど、何か異国の訛りが、あったような・・・」
「異国の?」
「そういえば、城下に韓人の陶工がいると聞いたことが・・・」
「韓人の、陶工?」ブン蜂は呟くように言って、陶工の顔を見た。陶工はブン蜂を見ると、微かに首を振った。
「我らの・・・同胞がいると?」医生は眉根を寄せた。
「その同胞が、我らを殺そうとするはずがないだろう?オイ。こいつらの話を信用するな」職人は目を剥いた。
「ところで・・・」医生はポツリと言った。
「此処に来た本当の理由は、何だ?今更良心に責められたという訳でもなかろう?」
「そのう・・・わしらを、弟子にしてほしいので・・・」
 医生は思わず、陶工を見た。陶工は眉根を寄せたまま、黙っていた。
「オイっ。開いた口が塞がらんとはこのことだ。どの面下げてここへ来た?人を殺しかけておいて、今更弟子入りを頼むだと?ずうずうしいにもほどがある。我らが飯も喰えずにいた時、お前らは何をしていた?なのに我らが喰えるようになると、すり寄ってくるのか?」
 倭人達は、雷に会った亀のように首を引っ込めた。
「弟子入りすると、本気で言っているのか?」陶工が、淡々と言った。
「オイ?」職人は陶工に向き直った。陶工は、その職人に軽く頷いた。
「もしその言葉が心からでた言葉なら、何でもするとこの場で誓えるか?」
 倭人達は顔を見合わせた。口ごもりながら返事をする。
「はい・・・」
「ならば、まずはこの男からだ」といって陶工は職人の肩を叩いた。
「この男に、うんと言わせてみろ」
 倭人達の目がくるくると回った。
 陶工は薄く微笑んだ。

 陶弟子は畳を見ながら、部屋の端から端まで行きつ戻りつした。歩いた跡が擦り切れ、ささくれ立っている。むしる様にして爪を噛んだ。
(このままではいかん。今この瞬間にも、あいつがじわじわとのさばってきている。何か手を打たねば・・・だが、何をすれば?)
 視線が見えない何かを求めて彷徨った。庭の端から足音が聞こえて、障子をあけ放った。
「ナウリ、表に人が訪ねてきましたヨ」
「人?何者だ」
「はい。眼付きの悪い男ですヨ。何でもナウリに耳寄りな話があるそうです」
 門を潜って入って来た男の顔は血色が悪く、弛んでいた。
「焼き物をやってるって、聞いてきたんですがね」男は挨拶もせずに切り出した。陶弟子は眉を顰めた。
「もう噂は聞いてますかい?新しい陶工の事」
「いきなり、何の用だ?」
「いえね。その陶工がお城に入ると、もっぱらの噂ですがね。そいつが来るとお困りでは?」
 陶弟子は腕を組んで口をへの字に曲げた。
「お前は、何者だ?」
「わたしですかい?先の戦で、かの陶工と一緒の船に乗っていましてね。船が沈み、命からがら逃げかえって来た者です」
「船が、沈んだ?」
「まあ、嵐が来たんですがね。ところで、その船で何が起こったか、聞きたくはないですか?」
 陶弟子の眉がピクリと動いた。鼻がヒクヒクと何かを嗅ぎ取る。口の端が上に曲がった。
「居間で、ゆっくりと聞こうか」

 陶弟子は、倭将の館を訪れた。暫く倭将に会っておらず、倭将がどう出てくるかわからなかった。陶工の一件では疑いを持たれている。その時から遠ざけられた。
(先ず、会ってくれるかだが・・・。)
 座敷で暫く待たされた後、前の襖がすっと開いた。
「久しぶりよのう」倭将は口髭をひねった。
「お目通り、ありがたき幸せにござります」陶弟子は平伏した。
「面をあげよ。そちが儂に会いに来るからには、土産があろう。それを早く出せ」
 陶弟子は口角を上げた。
(相変わらずの直截な物言い。これはいけそうだ。)
「はい、では申し上げまする。かの陶工ですが、奴は大手を振って表を歩けぬ罪人でございました」
「罪人と?」
「はい、かの戦の折り、彼は船にて乱を起こしたのでございます」
「乱だと?」
「この一件を逆手にとれば、大殿の復権にも繋げられるかと・・・」
「ふむ・・・」
「先ずは陶工を、獄にお繋ぎください」
「それでは、肝心の焼き物を得られぬではないか?」
「それは・・・。獄にて焼かせれば、良いかと・・・」
 倭将は、じろりと陶弟子を睨んだ。
「その役、お前に任せよう。兵を率いて陶工を捕まえて参れ」

 陶工は、職人を連れて家の裏手の登り窯に回った。
「これを、もう少し上に連ねなければならない」
「これを、もっと大きくするのか?」
「そうだ。もっと大きくだ。今に、もっと多くの焼き物を一度に焼く必要が出てくるだろう」
 職人は思わず唸った。頭の中で仕上がりを想像する。
「なあ、なんだか世の中が急に変わってしまったな。どうも俺にはついていけない・・・」
「確かにな。これからは、より多くの物づくりが必要とされるようになる。技術者集団もな」
「技術者集団?お前、倭人達を本当に弟子にするつもりなのか?」
「お前さえよければな。お前も、この地の器を見ただろう?須恵器とか言っていた・・・あの古代から使われていたような、重たい、水漏れのする器を」
「ああ、それが何か?」
「この地には物が無い。業を興すことを知らないのだ。だから他国の物を奪うことばかり考える。俺は、此の地で力をつけ、業を興そうと思う」
「業を興す?」
「そうだ。例えばお前の持つ建築の技術。ブン蜂の持つ養蜂の技術。医生の持つ医術・薬学など、此の地にとっては、いずれも新しい物ばかりだ。気が付いただろう?」
「あ、ああ」
「だから人々はここに集まろうとする。今までは、俺たちは相手にされなかった。その分、力をつけて見返してやるのだ」
「力をつけると?どうやって?奴らには武力では適わない」
「まずは、此処を大きくするのだ」
 その時、坂の下にいた海女の弟が大声を出した。

 その武士たちを最初に見つけたのは海女の弟だった。うだるような暑さが毎日続いていて、頭がぼうっとしていた。ところがその武士たちを見た途端、弟の背筋が伸びた。
「みんな。侍が来るよ」弟は腕を振り回して叫んだ。
 ブン蜂が真っ先に反応した。
「オイ、どうした?」
「侍達が来るんだ」弟の眼の中に血が走っていた。
「それが、どうしたのだ?」
「ん?何か、わからないけどまずい」
 ブン蜂が首を伸ばして見てみると、数十人の侍の一団が坂を上ってくるのが見えた。その人数の多さに、首の後ろの産毛が立った。
「また、何か文句を言いに来たのか?」
「ここを、壊しに来たのではないだろうな?」
 その侍たちの前に、漁村の倭人達が塞がった。
「お侍さん、一体何の御用で?」
「お前たちに用はない。どけ」
「では誰に用があるので?まさかあたしらの師匠に、何か言いがかりでも?」
「師匠?陶工は何処だ?」
「知ってどうするので?」
 侍はちょっと意外に思った。
(こいつら、今日はやけに反抗的だな。)
「面倒だ。此奴らを退けて陶工を捕まえろ」
「師匠を、何故だ?」
「うるさい。その師匠とやらは、反乱の罪を犯したのだ。お前らは罪人を匿うのか」
「都合の良い罪を擦り付けるつもりだろう。そうはいかないよ」海女の元締めは、武士につかみかかった。
「こっ、このあま。痛っつ。髷を千切るな。武士の頭に手を・・・ヒイ」
 その時、奥から声がかかった。
「やめろ。お前たちは下がっているんだ」陶工は前に出た。
「どういう御用で?」
 侍は引きちぎられた髷を振り回しながら言った。
「まさに、御用だ。お前を乱の罪で獄に入れる。者ども、こやつら韓人どもを引っ立てい」

「一之進、おい聞いたか?」
 道場の裏の井戸で諸肌を脱いで汗を拭っていた一之進の許に、同僚が駈け込んで来た。
「あの陶工が捕まったぞ」
「捕まった?誰にだ?」一之進は目を剥いた。
「それが、大殿の手の者らしい」
「何?」一之進は半裸のまま、刀を掴んで走り出した。
 表の通りまで来たところで、捕縛された陶工の一行と出くわした。
「これは、一体何の真似だ?」一之進は大喝した。あたりの空気が勢いよく振動した。
「どけ。御用だ」先頭の侍が一之進の胸をついた。一之進の頬が紅潮した。
「チェストウ!」一之進の口から気合の声が出た瞬間、手に下げていた刀が煌めいた。侍の髷が地面に落ちた。
「う、うわっ」侍は奇声を発して、頭を抱えた。
 その時、その様子を見ていた見物人の輪から、一段の武士たちが現れた。
「一之進。貴様はこの謀反人を逃そうというのだな?者ども、一之進も謀反人として引っ括れ」
「謀反だと?」一之進は思わず刀を下げた。その隙に、侍たちは一之進の体中を縛り上げていた。
「そうだ。かかったな一之進。貴様だけで済むと思うなよ」侍たちは一様に口を閉じたまま笑った。

 書き物をしていた倭将の前に、陶工が引き連れられてきた。
「お前が、反乱を起こした男か?」
 陶工は口を結んだ。
「何故、反乱を起こした?」
「・・・」
「助かる方法は、ひとつだけだ」
「お前は、敵だ」
「何?」
「お前は、師匠と父を殺した」
「敵とな?」
 倭将の髭が動いた。
「それで、お前は敵をどうしようというのだ?仇を討つとでもほざくつもりか?」
 倭将は刀の石突で陶工の腹を突いた。陶工が腹を押さえて蹲った。その陶工の頬を、倭将は刀で殴った。陶工の口から歯が飛んだ。
「よいか、この世は、力だ。力のあるものが勝ち、無い者は負けるのだ」
「お前は、間違っている」
 倭将の目が妖しく光った。顔が歓喜の表情に変わった。倭将は何度も陶工を殴った。
「大殿、こやつはまだ使い道がある者です」側近が諌めた。倭将の眼はしばらく彷徨った。
「大殿、こやつに焼き物をさせるのでは?」
「おお、そうだったな」倭将の眼の光が消えた。
「お前、このさき一生、我がために焼き物を焼くのだ。さすればその首、切らずにおいてやる」
「豈だ」陶工は口の中でごぼごぼと音を立てながら言った。
「何?」
「豈だと言っている」
「こやつを、岬の洞窟に閉じ込めよ」
「一歩たりとも外に出してはならぬ」

 闇の中に、仄かな香りが漂った。
 独房の片隅に、黄金の砂の粒のようなものが見えた。その粒は、何か違和感があった。物質というよりは、黒い壁紙に空いた黄金の穴のように見える。それが、見ているうちに広がっていった。中に、小さな祠が見えた。目の遠近感がおかしくなったのかと思うほど、その祠は小さかった。
 家の扉が開き、中から人が出てきた。古代のゆったりとした衣装に身を包み、頭には宝冠を戴いた女性だった。
「宮主・・・」陶工の目が細くなった。
~ 久しぶりだの。息災であったか?
 漆黒の瞳が輝いた。
「何故だ?」固く握った陶工のこぶしが震えた。
「何故、こんな連中の肩を持つ?」
 宮主の瞳の色が、さらに深くなった。
「何故、我が国を壊した蛮族の地に来させた?」
「何故我々を苦しめるのだ?」
「そっちがその気なら、黙ってはやられんぞ」
「我が地を荒らした罪、何が何でも償って貰うぞ」
「それでもこの地に根を張れと言うなら・・・この地でこの恨を晴らしてやる」
 陶工の言葉は、闇の中に飲まれていった。発した言葉が、陶工をさらに縛り、陶工の体を更に硬くした。
 宮主の瞳から、光が消えた。
~ お前のその望み。そのうちお前にその機会がやってくるであろう。
~ お前の手で、此の地を亡ぼす機会が訪れる。その時はお前が選ぶのだ。
~ この地の子孫が、恨の呪縛から逃れられず、更に破滅へと突き進むのも、定命とあればいたし方ないが。
~ だが、忘れるな。お前の子孫には、お前の出自が何処にあり、その地が破壊ではなく文明をもたらしたのだということを、世々伝えねばならん。
「な、何を?ふざけるな。この地を代々呪ってやると言っているのだぞ」
 宮主の瞳に、光が戻った。
~ それだけ元気ならば、いつかは信を通じる事も、できるようになるだろう。
 宮主の回りが、闇に飲み込まれていった。最後に瞳の光が、黄金の粒のように残った。
 その微かな粒が消えた時、陶工の脳裏に、兄弟子の赤子の死体が甦った。
 陶工の奥歯が、音を立てた。

 目の前の岩壁を、ムカデがゆったりと登っていく。陶工は瞼を閉じた。薄闇の中に、少女の笑顔がほの白く浮かび上がった。少女は、陶工の瞼の裏で変貌を遂げ、妙齢の娘となった。見慣れた海女の顔だった。海女は口に手を当てると、食べ物の盆を陶工に差し出した。
「早くしろ。俺だから見逃してやるんだ」見張りの男はそう言って、懐の銀を手で確かめた。その後ろから、ふいに声がかかった。
「門番が、門の番を外れてはまずいだろう?」門番の顔の産毛が逆立った。振り返ると、そこには陶弟子が立っていた。
「お、お目こぼしを・・・」
 その時、陶工が陶弟子に気づいた。
「ノ。お前生きていたのか?オイ俺だ」
「兄貴。どうしたんですか?その恰好。見ていられませんねえ」
「ああ」
「最も、兄貴を告発したのは、私ですがね」
「えっ?何と言った?」
「兄貴がうっとうしかったので、ちょっと獄に繋いでもらったんですよ」
「え?何故だ?」
「鈍いやつだ。お前が俺の道の前を常に塞いで来たんだ。この地まで来て、陶工の座まで奪おうったって、そうはいかない」
「別にお前の道を塞ぐつもりは・・・」
「うるさい。お前はいつもそうだ。もとはと言えばこうなったのは、お前が勝手に県監のお嬢さんの注文を受けたからだった・・・」
 陶工は不振顔で陶弟子を見た。
「どうしたんだ?一体お前」
「お前さえいなくなれば、俺の邪魔をするものはもういない。お前には一生苦しみながら、死ぬ迄ここで暮らすがよい」
「もしかして、火をつけろと指示したのは、お前なのか?」
「今頃わかったのか。目でたい奴だ。そのおめでたい間抜け面のまま死んでいくがいい」陶弟子はひきつったように笑いながら去っていった。

「お館様、一大事にござりまする。一之進が捕まり、弟ぎみがこちらに向かっておりまする。あっ・・・」
 襖の向こうで声がし、次にその襖が音を立てて開いた。具足をつけた侍たちが土足で踏み込んできた。
「お館様、御用にござる」
 国主は硯に当てていた墨を置いた。その顔の前に槍の穂先が突き出された。
「お館様、謀反人を庇った罪で、この屋敷に監禁いたしまする」
「なに謀反と?誰が、誰にだ?」国主は声を上げて笑った。
 具足を身につけた武者たちの鎧が小刻みに鳴った。
「それは、と、陶工が、この国に対して・・・」その言葉を、倭将が遮って入って来た。
「兄上、挨拶に参りました」倭将は鎧を鳴らして、国主の目の前にどっかりと座りこんだ。
「戦をしに行くのか?」
「いかにも。こたびは天下の形勢が決まる戦となりましょう」
「それで、死んだ太閤秀吉について行くというのか?」
 倭将は兄の顔を睨んだ。
「兄上、儂は未来を手に入れに行くのだ。家康とて、いつまで元気でいるかわからぬ」
「お前が、天下を望むつもりか?」
「ふふ・・・面白いですな。それも」
 倭将の視線は天井を突き抜けた。
「隠居なさりませ」倭将は天井を見たまま言った。
「さすれば、監禁は解きまする」
「それで、お前の判断が間違っていたら、どうする?」
 倭将は声を出して笑った。
「何の。ご心配には及びませぬ。こたびは慎重に判断しますゆえ」
「ならば、主力は国に残して行け」
「は?何と?」
「聞けば信州の真田は、倅二人を西と東に分けて就かせるとのこと」
 倭将は目が細くなった。
「それで?」
「わしもここでお前と袂を分かとう。今よりお前とは別の国だ。お前が薩摩を名乗るならば、わしは大隅の地に依って立とう。そして・・・」
 倭将の喉が鳴った。
「わしは徳川に命運を懸ける」
「兄者」倭将はいきり立った。
「かつて儂が秀吉と戦うと言った時、兄者はあの猿に着くといった。今儂が秀吉の遺児に味方すると言っているのに、兄者はへそを曲げるのか?兄者は何故、常に儂の反対に着くのだ?そんなに儂が妬ましいのか?」
 国主は笑みを零した。
「お前は、いくつになっても餓鬼のままだ。よいか、秀吉の狂った夢がお前の頭に何を植え付けた?強欲だ。それが身を亡ぼすのだ」
「何だと?」倭将は思わず立ち上がった。
「他国に攻め入って何を得た?飢えと、死人と、欲だ。お前は秀吉に踊らされたのだ」
 倭将は唇を噛んだ。その唇が真っ白になった。
「『鬼島津』と言われ、いい気になっておるが、お前のしたことは、餓鬼そのものだ。己の飢えを満たすために、回りのものを全てぶち壊し、もはや『人』とすら呼ばれなくなったのだのだぞ」
 倭将の口の中から、奥歯をかみ砕く音が聞こえた。
「こたびは、たとえ戦場に臨んだとしても、最後まで動くな。それができなければ、お前とは縁を切る」
 倭将の顔は真っ白になっていた。眉間が瘤のように盛り上がり、息が荒くなる。般若の仮面さながらの表情だった。
 倭将は無言のまま、国主の居室を後にした。

 禅寺で書き物をしていた家康の許に、影が音もなく忍び寄って来た。
「半蔵、首尾はどうであった?」
「は、毛利の一角は崩れそうにござりまする」
「小早川の子倅は落とせそうか」
「は、優柔不断な奴ですが、必ず裏切り、お味方に付くかと。これも筆まめな御殿の功ですな」
「ふふ。何せ、恋文のようなものだからのう。この歳になって、矢の代わりに文で人を射るのも、また格別な楽しみよ」
「ところで、もう一つの西国の雄、島津にござりますが」
「ふむ、どうであった?」
「兄の方が、靡きそうで・・・」
「ほ、そうか。それは重畳。ではこの文を持って参れ」
「はっ」
「あの国の気風は、三河者と似ておるで、はっきりと裏切ることはできぬだろう。戦に参加さないようにすれば、それでよいのだで」
「殿は、まるで女子の心を読むようですな」
 家康はにやりと笑って、墨のついた指を舐めた。

 倭将は腰かけていた椅子に痺れを切らして、思わず立ち上がった。
「石田治部どの、いつまでもこうして談合していてもらちが明かん。戦は潮だ。徳川が人を引き寄せぬうちに、動くべきではないか?」
 石田三成は眉を顰めた。
「薩摩どの、この戦は天下分け目の大戦となる。大勢は我にあるのだ。ここは大勢の利を活かし、足並みを揃えて一気にけりをつけるのが得策」
「それは、悠長と言うものではないか?」
「小勢のみにて戦に臨むというのは、どうであろうかの」周りの席で失笑が起きた。
「そういえば貴殿は主力を本国に残してのご参戦。これはどういうことか?」
 倭将は言葉を飲み込んだ。
「なるほど、大軍を率いる事に慣れておらぬようじゃの?」
「何?」
「さもなければ、何ゆえこの議の和を乱そうとなさる?」
「いや、そうではない」
「まさか、そう言う薩摩どのが、徳川に引き寄せられているわけでは、ございますまいな?」
 倭将は力なく席に腰を降ろした。
「では諸将、戦の場はここ、関ヶ原にて・・・」
 倭将の耳は、回りの声を聞き取れなくなっていった。

 

 (戦いは、徳川が勝った。豊臣は…わしは負けたのだ。)
 肩に受けた槍傷がしくしくと痛んだ。雨はもう何日も降り続けている。倭将は地面に仰向けに寝転んだ。雨が墨汁のように倭将の顔に降り注いだ。
「大殿、ここで休んではなりませぬ」近習が倭将の鎧を掴んで引き起こした。
「わしは、負けた」口から自然に言葉が飛び出した。
「それが、何でございますか?」ふと振り返ると、その近習は笑っていた。
「我々はもとより小勢にて戦ったのではございますまいか?さ、帰りましょう。あの川を超えれば郷が見えてきます」
 その時、草原の端に黒い軍団が現れた。
「あ、大殿。丸十字の指物が見えまする」
「お館様じゃあ」
 倭将の一団は急に声を出した。
「おおい」
「えいええい」
「帰って来たぞう」
 その軍団は静まり返っていた。こちらの声が聞こえていないと間違えるほど、何の反応も見せずに突き進んでくる。やがて先頭に立っている国主の顔が判別できるようになって来た。その顔には苦しげな表情があった。国主が一声を放った。
「謀反人ども。おとなしく縄を受けよ」
 倭将の近習たちは顔を見合わせた。しばらくの間、声を出すものがいなかった。
「者ども、引っ括れい」国主が大音声を上げた。その時雨音が激しくなり、倭将の耳にはすべての音が入らなくなった。
「あ、兄者」
「この期に及んで。申し開きでもあるまい。見苦しいぞ」
「あ、兄者、何を申されている?」
「お前は天下の形勢を見誤り、戦に加わった大罪人だ。薩摩はお前を謀反人として、徳川に突き出す」

 夜の明けようとしている気配が伝わって来た。陶工は海女が差し入れてくれた筵をどけ、起き上がった。洞窟の入り口で閂を外す音がする。何人かの足音が聞こえて来た。侍たちが、一人の男を連れて来た。ざんばら髪と顔中を覆い尽くした髭のせいで、陶工は最初、その男に気が付かなかった。
「ここで、謹慎されよ」侍の一人が男に向かって言った。
 男はその言葉が理解できないかのような表情を浮かべ、次に陶工を見た。男の眼に光が宿った。
「こやつと一緒にする気か?」
 声を聴いて、陶工はその男の正体に気が付いた。まぎれもない倭将の声だった。
「それは違いまする。この男は、無罪放免となった。大殿と入れ替わりに、此処から出てゆく」
 陶工は顔を侍に向けた。侍は一之進だった。
「今まで、苦労を掛けたのう。すまなかった」
「体に、大事ないか?」一之進は陶工に歩み寄って、体を抱える様に支えた。陶工はよろよろと立ち上がった。
 陶工は倭将をじっと見つめた。
「大殿は・・・いやこの罪人は謀反の罪で捕まった」一之進は陶工に説明した。
「謀反?」陶工は倭将から目を離さずに聞いた。
「そうだ。お主が捕まったのと同じ罪だ。因果応報とはよく言ったものだ」
 倭将の顔は前に陶工が見た顔とは全く別人になっていた。頬が窪んで顔の形が瓢箪の様にへこんでいた。目だけが異様にぎらぎらと光り、飢えた獣のように見えた。
「餓鬼・・・」思わず言葉がついて出た。その言葉に倭将は反応した。
「何?」倭将は陶工につかみかかった。一之進は倭将の肩を刀の鞘で突いた。倭将は這いつくばった。
「おやめなされ。かつては一軍を率いた将ともあろう御身であろう。その姿、見苦しい」一之進は倭将を縛りつけた。
「貴殿には、お館様が会いたいとの事にござる。まずは湯でも浴びるがよかろう」

 陶工は湯船に体を沈めた。湯を掬って顔にかける。外では海女が火を噴く音が聞こえる。心地よさに眠りそうになって、陶工は湯から上がった。その音に気付いた海女が、家の中に回って手拭いを持ってきた。陶工は海女と目を合わせ、しばらく見つめた。ふいにくしゃみが出た。
「オイ、早く出てこい。飯が冷えるぞ」遠くでブン蜂の声がした。
 陶工は渡り廊下を回り、中庭を挟んだ反対側の居間に入った。医生、職人、ブン蜂、海女の弟が、笑顔で陶工を迎えた。
「全く大した男だよ。お前さんは」ブン蜂は開口一番、陶工を戸惑わせた。
「見ろよこの屋敷を」手を広げてみせる。
「やつれたな」医生はゆっくりと言った。
「だがそれも、もう終わりだ」
「そうだ。何せあの倭将の時代は、終わったのだ」ブン蜂は陽気に言った。
「これからは、恐れるものは何もない」
「だが、楽観ばかりは、できないぞ」職人はそう言って、眉を顰めた。陶工は訝しげに職人を見た。
「戦が、あったのか?」
「そうだ。聞いていたか。今この国は、敗戦の責任を巡って揺れている」
「楽観できないというのは?」
「この国が、潰されるという噂が、今この城下で囁かれている」
「この国が、潰れる?」陶工は思わず故郷の方に目を向けた。
「すでに軍勢が向かってきているという噂もある」
「では、また戦が起きるのか?」
「わからん。ただお館がお前を呼んだのには、何か関わりがあるのではないか?」
 陶工は、眉根を寄せた。そこに一之進が現れた。
「陶工殿、いや陶匠殿。そろそろお支度召され。お館がお召しにござる」一之進は裃を用意していた。
「さ、こちらに着かえられよ。本日よりお主は、『士』の身分となる故な」
 陶工は耳を疑った。
「『士』と?」
 そばで聞いていた医生の喉が鳴った。ブン蜂は慌てて喋ろうとしてどもった。
「ささ、さむらい?」
 韓人達は目を見合わせた。両班と同じということだ。韓土では考えられない。一介の陶工が、此の地で一気に上の身分に登りつめた。
「イサガダ」医生の口から思わず韓語が出た。
(確かに「疑わしい」。)陶工も目で頷いた。
「何、かねてよりお館様が考えていた事よ。貴重な人材を、繋ぎ止めたいのであろう。ささ、早う着替えられよ」

 城の廊下を、見慣れない侍が渡っていった。月代は剃らず、髷も、ただ後ろに束ねただけの頭で、新たに誂えたばかりと思しき裃には、あるべき所に紋が見当たらない。それでもその侍は颯爽と歩いた。並みの侍より背が高いせいか、見栄えが良い。だがその腰には刀が差してなかった。通り過ぎる奴たちはしきりに後ろを振り返り、噂した。
「お館様、陶匠どのが参りました」
「おお、待ちかねていたぞ。ささ、疾く入れ」
 陶工は国主の顔を見た。その顔は少し見ないうちに老け込んでいた。
「お主を呼んだのはほかでもない。この国を、救ってはくれぬか?」
「・・・」陶工は口を開けた。
「知っての通り、この国は取り潰しの危機に瀕している。家康の機嫌を取りたいと思うてな、焼き物を贈ると申し出た。すると、家康は、作った者も同行させよと申して来た」
 陶工は、国主の前で目を瞑った。しばらく、沈黙がその場を支配した。
「条件が、ございます」
「おお、何なりと申せ」
「仕上がった物は、それがしが直接相手に見せたくございます」陶工は国主を見つめた。
「わかった。ただちに取り掛かってくれ」