団子屋の軒先に腰かけた四朗次郎は、背中の行李を脇に降ろし、一息ついた。
「お姐さん、団子ひとつね」
「はーい」奥から声がして、おかめのような顔が暖簾から顔を出した。
出された茶を啜りながら、軒先の水たまりで水浴びをしている雀をのんびりと眺める。子供たちが走りながら水たまりに足を踏み入れ、雀は慌てて飛び上がった。
「やーい、野づち、野づち」
子供たちの中に、図体のひときわ大きい子供がいて、周りの子供たちがその動作の遅い子をからかっていた。
「やめろよう。野づちじゃないよう」その子は頭の上にかぶせられた藁を手で払っている。
「ぶおー。ぶおー」周りの子供たちは一斉に低い声で何かの音を真似ている。どうやら、野づちと呼ぶものが出す音らしかった。
「じゃあねえ、この世で一番大きい化け物は何だ?」
子供たちはそう言って、図体の大きな子供の周りをひらひらと飛び回った。
侍の供回り風情の男達が、袂に手を突っ込んで、四朗次郎の後ろに陣取った。
「おい、団子ふたつ」
「はあーい」暖簾からおかめ顔が覗く。
「だから言ったじゃないか。目の前にあるつきたての餅を、徳川がほっとくわけないって」
「じゃあ結局、天下餅は徳川が此の儘食らうのか」供回りはそう言って団子を頬張った。
「それは大坂が黙ってはいないだろう?」
「治部少輔か。あいつは、鼻が高すぎるんだ」
「遠からずあの高い鼻は折れる。肥後が従うはずがない」
「ならば大殿は、治部にはつかぬと?」
「だが徳川も、どう出てくるかわからん」
「ここは、舵取りが難しい。塩梅をよう見んとな」
四朗次郎は茶碗を手に取って、掌で回して見た。
(ほ、これは・・・。)
その碗は、黒く光っていた。その黒は、漆黒のようにも見えるが、よく見ると白い斑が入っていた。なかなかに細かい仕上がりだ。これは日本の物ではない。いま茶流界で流行りの韓わざのものだ。それが白黒反対に細工してあるのだ。それがこんなところに、日常の具として無造作に扱われている。
「姐さん」四朗次郎は、横を通り過ぎる団子屋の娘に声を掛けた。
「へえ。団子の追加ですか?」
「いや、ちょっとね」と茶碗を指して
「この茶碗は、どこで手に入れたものかね?」
「へえ、あそこで」
通りの向かいに筵が敷いてあった。その上に壺や碗などが並べられている。
「何か、粗相でも?」
「あ、いや」そう言って団子代を横に置いた。「此処に置いとくよ」
目の前に急に影が差し、海女の元締めは肩をびくっと震わせた。恐る恐る見上げると、男が立っていた。影で顔がよく見えない。海女の元締めは声を掛けようとして、何故か躊躇った。そのあたりの者のようには見えなかった。
「これは売り物かい?」声の主は、すっと屈んで壺を見た。流れて来た商人の風情に見える。
「あ、ああそうだよ。旦那はあきんどかい?」
四朗次郎はふくよかな笑顔を見せて頷いた。
「あたしかい?いろんな珍しい物を見て歩いている。ところで、この辺で作った物かね?」
「え?」元締めはうろたえた。今までそんなことを聞かれたことがない。大抵は無関心に見ていく町の連中ばかりだった。
「ああ、まあ・・・」海女は四朗次郎の視線を避ける様に、壺を見た。
「お前さん、まだ商売になれてないね?」四朗次郎は壺を扱う元締めの手を見ていた。
「壺はそんな風に扱っちゃ売り物にならなくなるよ」
「へえ?」驚いた拍子に、元締めの手から壺が離れた。転がろうとするところを、四朗次郎の手が受け止めた。
「ほら、言わんことじゃない。そんな持ち方じゃ、直ぐに割れてしまうよ。壺はこう持つんだ」
「ところで、何か訳ありの物かね?商売になれてないようだが・・・」
海女の元締めは、その言葉に居心地の悪さを感じた。
「わ、訳ありのわけないじゃないか。何を言うんだよ。買う気が無いんだったら、そこどいてくれ。商売の邪魔だよ」
「これは悪かった」四朗次郎はつるりと額を撫でた。
「勿論買う気が無いわけではないよ。ただねえ、この手の物は盗品も多いから」そう言ってうっすらと笑った。
「いやこれがそうだとは、言ってないがね」
海女は、四朗次郎の姿をじっと見た。どうもやけに余裕のある顔だ。このあたりに顔がきくのだろうか?強気にでようか、それともさっさと筵を畳んで逃げようか?
四朗次郎はしゃがんで、元締めの手に銀を握らせた。
「なあ、ちょっと興味があるんだが、これを作った人間を紹介してくれないか?」
元締めは手を引こうとして強く握られ、銀を握らされた。掌の銀を見て、ごくりと喉が鳴る。
「じ実は、あたしもその人の事、よくは知らないんだよ。その、これを作った人、死んだんだ」
四朗次郎は眉を上げた。
「死んだ?」
「そ、そうなんだ。家から火を出してね」
「そうかね。それは残念だ」四朗次郎はゆっくりと腰を上げた。
「ところで、あんた海女さんかね?」
元締めは思わず四朗次郎を見上げた。
「ど、どうして?」
「いや磯の匂いがね。ということは、その死んだってお人も、浜に流れ着いたお人かね?あちらの国から・・・」
元締めは口を開けて、四朗次郎の顔を見上げた。
(ま、まさかお役人じゃ・・・。)
「あ、あの。あたしは、よく知らないのさ。その・・・」
四朗次郎は再びしゃがんで、元締めに銀を握らせた。
「あんたには害が及ばないようにうまく計らうから、もう少しその人の事、聞かせてくれないか?」
海女の元締めはふらふらと家への路を歩いていた。昼間から酒でも飲んだかの様に、顔が上気している。今さっき起きた事が、まだ夢の様に思える。懐に手を探って、ずっしりとした感触に思わず顔がほころんだ。
(なんだか、あたしにも運が回って来たようだよ。)
「おい、どうした?昼間っから酒でも飲んでいたのか?」
村の男に不意に声を掛けられて、元締めは吃逆をしだした。
「は、ヒック。酒なヒックんて。何言ってるのさ?ヒック。おかげで吃逆ヒック。止まらなヒック」
「ん?なんか懐が重たそうじゃないか?どこぞで銀でも手に入れたか?」
「ひ、ヒック。んな何ヒック言ってるんだ?」
「何をそう慌てている?こいつは怪しいな。本当なのか?」
「そ、そんなことないって。ヒッ。あれ?止まった」
「おい、もしかしてあの品で?」
「な、なんだよ?」
「お前だけいい思いしようってか?あれはいわば、村全体の物だ」
「分かったよ。お前に隠そうとしたわけじゃないさ。あたしとお前の仲じゃあないか」海女の元締めは、急に猫撫で声になった。
「こいつ、急に声の調子変えて来たな?お前がそういう声を出すときは、怪しいって相場が決まっているんだ。さあ、洗いざらい白状しろ」
元締めは、顔から汗を垂らしながら、商人の話をした。
聞いているうちに、村男の眉が上がって来た。
「それで、死んだ話までしてしまったのか?」
元締めはこっくりとうなずいた。
「お前、それ匂うぞ。あの男たちの話はまずい。お上にバレたらどんなお咎め受けるかしれやしないぞ」
元締めの喉がごくりと鳴った。
「それにお前、もしあの旦那に話が伝わったら・・・旦那の様子じゃ、上の方に繋がっているようだったし」
「ま、まずいだろうか?」元締めの顔に白みが差した。
「第一、俺はどうもこの頃寝覚めが悪くてならない。あの人たちが何をした?あの人たちのおかげで、村はこうして潤ったというのに、犬猫だって恩はわかるというのに・・・」
「実は、海女の顔が頭にちらついて、時々眠れない」
「俺たちは、とんでもないことをしでかしてしまったんじゃあないか?後戻りできない事を・・・」
海女の顔に青みが差した。
「だからあのことは、俺は忘れたい。なのにお前、よそ者にそんな話、よく・・・」
男は首を横に振って、そのまま道を歩いて行った。元締めは道の真ん中で座り込んでしまった。
(何で、あんな事をしでかしたんだろう?時を、火付けの前に戻したい。)
静まり返った寝所の庭先に、音もなく影が佇んでいた。月はなく、風が吹き飛ばすかのように雲が慌ただしく流れていく、
「どうであった?まだ生きておるか?」板戸の内側から声がした。
「はい」
「どのくらいもちそうか?」
「もって四、五日かと」影が答えた。
「そうか?それで、駿河の動きはどうだ?」
「特に、ありませなんだ」
「そうか」
「治部の方が、動きを見せています」
「治部か・・・」
「越後、加賀へと・・・頻りに」
「越後・・・か」
「それと・・・。お館さまの家に、家臣たちが・・・」
蛙の鳴き声が聞こえてくる。沈黙が続いた。
「ところで、もう一つの件は、どうなった?」
「は、どうも、山の中にいるとの事までしか」
「山の中か・・・。やはり、生きてはいるんだな?」
「直接見たわけではなく、猟師村での噂にすぎませぬが・・・」
「猟師村で、何かがあったのだな?」
「あの火付けは、どうも漁師たちが起こしたものと思われまする」
「ふむ。よそ者が、気に入らぬからか?」
「陰で、糸を引くものがいた節があるようです」
「ふむ。そうか・・・」ひと呼吸の後、言葉が続いた。
「引き続き、探せ」
「はっ」
暫くして、板戸の隙間から行燈の火が見えた。ゆっくりと墨を擦る音がして、筆が紙の上を走る音に変わった。急に板戸が開いた。顔と思しき位置に、白い歯が見えた。
「これを・・・駿河に届けよ」
影は文を懐に入れると、闇の中に溶けて行った。
「さあさ、寄ってお来んなさい」
通りの辻で猿回しの男が荷を降ろした。横で小猿がくるりととんぼを打つ。
「わあー、サルだ」子供たちが目ざとく駆け寄ってくる。町の衆も足を止め、顔を崩して集まって来た。
見る間に人だかりができる。通りかかった四朗次郎は人垣の間に入り込んだ。
「さあさあ、寄って来なはい。寄っとくれ。猿太郎一座の芝居が始まるよ。座長はなんと、此処におわします猿太郎。それがしは下僕の・・・お、おい、何ふんぞり返ってんだ」男が小猿の方を見る。猿は腹を突き出して、眠そうな眼をしていた。男の合図であくびをして見せる。周囲から笑いが起きた。
「座長、頼むからもちょっと身入れてやっておくんなさいよ。礼の一つでも・・・って鼻ほじってちゃダメでしょ。そうそうぺこりと頭を下げ・・・ってそこででんぐり返ししてどうするんだっつーの」
猿は小気味よく動き、それに男がドタバタする。周囲の笑いが次第に連鎖していった。自然に掛け声もかかる。
「お猿大将。そんな動きじゃうちの殿さま、認めてくれないよ。島津の軍に入りたければ、もっと槍はこう」侍の供回りたちが槍指南を始めた。
「ところでお猿大将は、どちらへ戦に行くつもりかな?」猿回しの男が、すかさず小猿の口に耳を当てる。
「は、そろそろ尻がむずむずする?東へ、東へ行きたいと?」
その言葉に、供回りたちが顔を見合わせた。
「お猿大将、東と言っても難しいぞ。そりゃあ今は太閤の世だが、いつどうなるかわからん」
「ばかだなお前、今はそれどころじゃあないだろう」
「そうだよ。お館様と大殿の間で」
「おい、口を慎め」
猿回しの男の眉が上がった。
「そろそろ、仕事に戻らんと」
「またお目玉喰らわないうちにな」
供回りたちは気まずそうにして人垣から離れて行った。
猿回しの男は片目をすぼめた。
ひと通りの見世物が終わり、片付けていた猿回しの男に、四郎二郎は声を掛けた。
「貴殿もお忙しいお人やな。こんな所まで来るとは」
猿回しは笑みを浮かべた。
「旦那も隅に置けない。さぞかし色々見聞を広めたのでは?」
「フフ・・・手前が耳にするのは、他愛もない話ばかり・・・」
「他愛のない?そいつはどんな話で?」
「うーん。大人のあなたに、こんな話はどうかと思うが、実は手前、化け物に興味がありましてね」
「化け物?それは一体、どんな趣向で?」
「いえね。最近よくこのあたりで耳にする化け物がいるんですがね」
「ふむ・・・。猿回しは、さっきまで顔に張り付いていた笑顔を消した。
「ほう、なんというんです?それ」
「野づち、というんですがね。こいつは山の中に住んでいて、目もなければ、手足もない」
「目もなければ、手足もない・・・?」猿回しは眼を空に向けた。
「そう、あるのは胴体と口だけで・・・」
「ほう・・・」
「化け物だから、何かしら怖いところがあるはずなんだが、特に人を喰らうというのでもないらしい」
「・・・」
「ただ、土を喰うという。特徴があるのは、それがあげる鳴き声で・・・」
「鳴き声?」猿回しの訝しげな眼差しに、四朗次郎は頷いた。
「ブオーブオーと、大きな声を上げる。そして、口から火を噴く」
「口から火を?」猿回しは、四朗次郎の顔を見つめた。
「まあ田舎じゃあよくある、他愛のない話ですがね」四朗次郎は眉を開いて、恵比須顔に戻った。
「ブオーブオー、か」猿回しは遠くの方を見る目つきになった。頭の隅で、何かが閃いた。
(お家騒動に、化け物話か・・・。)
「それで、今から山の中へ、入ろうと?」
四朗次郎は、にっこりと笑って頷いた。
目の前に深い森が広がっていた。四朗次郎は目を凝らして暗い森の中を見た。そのまま独り言のようにつぶやく。
「旦那、化け物ってのは、人にあまり見つかりにくいところに棲みつくもんでしょうなあ。例えばこんな深い森の中とか」
猿回しも前方を注意深く見る。
「今まで化け物というのを見たことはないが、山の中というからには、こんな鬱蒼とした森は絶好の隠れ家でしょう。しかし、一寸踏み込むのが躊躇われますな」
「化け物が、怖いですか」
「いやちょっと、この森がね。なんだか太古から、人の踏み入った事がないようだ」
ふたりは会話の間も、森の中を見据えていた。そろそろ陽が落ちる。
「では、今晩は此処で火でも焚きましょうか?」
「それがいい。火に寄せられて来る物もいるでしょう」
枯れ木が火に爆ぜる音がした。四朗次郎は湯呑を取り出し、猿回しに酒を勧めた。
「お、これはありがたい」猿回しは酒を一息に飲み干すと、湯呑を手に取った。
「こいつは、もしかして銘のあるものですかい?」
四朗次郎は恵比寿の様に笑った。
「なに、その辺で売っているものですがね」
「そうですかい?ところで、この土地柄はどうですかい?領主は二つに分かれているようだが」
四朗次郎は枝を折って火にくべた。
「手前には、お武家のことはわかりませぬが・・・」
「しばらくは、物事をうまく決められないでしょうな」
猿回しは、四朗次郎の顔を見た。炎に照らされたその顔に、一瞬酷薄そうな色が映った。
「それより気になるのは、手前どもの商売の方でして。何せこちらは、半ば大っぴらに抜け荷を行っている」
「抜け荷・・・」
「太閤が亡くなれば、その隙に財を為すことでしょうなあ。こちらのお家は」
猿回しの頭の中で歯車どうしが音を立てた。
「また、業を興そうと、いろいろ試みてもいるようで」
「業を興すか・・・」
「もとより勇猛を以て鳴らしたお国柄。それが業を興し、抜け荷で財を為すとなると・・・」
「ふむ」
「ま、手前には、良いお得意様となりそうですが」
猿回しは、鼻を鳴らして笑った。
「さすがに、喰えないお人よの」
その時、深い闇の中で、枝を折るような音がした。猿回しは音もなく立ち上がった。
「お客様のようです。迎えに行ってきます。目印に木の枝を折っておきますので、ゆるゆるとお越しくだされ」
猿回しは闇に溶け込むように消えた。四朗次郎はその後を目で追った。
(やはり・・・連れてきてよかった。)
森の中を何かが走っている。相手はこちらに気づいていたのだ。相当用心深いが、やはりあれは・・・。
(女だ・・・。)猿回しは、そこではたと気が付いた。
(茶屋が探しているのは・・・?)
走っている足元に縄が見えた。猿回しは地面に足をつけず、木の枝を掴んで空を飛んだ。地面に落ちた小枝を網が襲った。網は袋状になって高い木の枝に吊り下がった。
三方向から人が近寄って来た。暗い森の中でその姿をよく見極められない。男の一人が口を開いた。その言葉は異国の物だった。
その刹那猿回しの頭に、おぼろげだった像がはっきりと映った。
(これは、思った以上の収穫だったな。)
男たちの陰から、女が現れた。空の網を見て、あたりを見回す。男たちの問いかけに、首を横に振った。一行は暫く辺りを探したが、諦めたように、森の奥へと進んでいった。猿回しは気配を殺して、その後を追った。
辺りが徐々に明るくなり始めていた。森の端に到達すると、視界が開け、目の前に湿原が広がっていた。その湿原を抜けたところで、あたりの景色が変わって来た。木々の数が少なくなり、岩肌があちこちで現れる様になった。道は次第に急な勾配になって来る。その斜面の途中に、何かが貼り付いているのが見えた。その時、それが音を出した。先の部分から煙が上がっていく。
(野づち?)
巨大な芋虫のようなものが、斜面にあった。近づいてみると、小さな家が連なっているようにも見える。戸口の前に子供がしゃがみ込んでいた。中から火が見える。男たちが笑いながら、少年に近寄った。前方を注視していた猿回しの視界の隅に、人影が映った。茶屋四郎次郎が姿を現し、「野づち」に向かってつかつかと歩いてゆく。猿回しはにやりと笑い、四朗次郎に追いついた。
「ご苦労様です。おかげで早く見つかった」
猿回しも笑顔を見せた。
「あれが、旦那にとっての福の神ということですかい?」
「ははは」四朗次郎は朗らかに笑った。
その声に男たちが気づき、行く手を遮った。その中の一人が進み出た。四朗次郎はつとその男に近づき、笑いかけながら手を取った。
(まるで兵法者のような、間合いの詰め方だ。)隣にいた猿回しの眼が光った。
「ほう、この手が宝を生み出して・・・いやこれはとんだ失礼を。手前、京のあきんどで、茶屋四郎次郎と申しまする。韓土より陶匠が来られたと知り、是非御目文字したく、まかり越しました。実は麓で茶碗を見たのですが、こいつで・・・」と碗を背嚢より出して見せた。
「これはあなた様の作ったものでは?」
男は黙って茶碗を見た。その眼は深い色を湛えていた。横から子供が顔を出した。
「何の用ですか?」
四朗次郎は子供の頭を撫でた。
「一緒に商いをしたいのだよ」
韓人達は、突然話し始めた。その仕草から、警戒しているのが見て取れる。何度も四朗次郎たちの顔を見ては、興奮した様子で手をひろげて見せる。
やがて、その中の一人が静かに言葉を発した。
すると、他の人間たちは言葉を収め、考え込む風になった。しばらく、沈黙が続いた。
言葉を最後に発した韓人が、四朗次郎に向き直って言った。
「あなたを、どうして信じられるのですカ?」
猿回しは目を見張った。
四朗次郎は、束の間思案顔になった。視線を相手の体に彷徨わせ、最後に目を凝らして顔を見た。
「それではこうしましょう。まず手付として、米十俵お持ちしましょう。それからこれは・・・」と懐に手を入れて、
「こちらで、当面の衣食にご用立ていただければと思います。もちろん、焼き物の代金は、別にお支払い致します。そちら様の言い値にいたしましょう」
聞いていた韓人達の表情が変わった。
俵を積んだ牛車が、重い音を立てて坂道を上っていった。轍が石を弾き飛ばし、牛の尻に当たった。牛が大きな声で叫んだ。その声が木霊のように山々に響き渡る。草を食んでいた兔が首を上げ、耳を立てた。その瞬間銃声が響き渡り、猟師が熊笹から姿を現した。猟師は牛車の上って行った方向に目をやった。
(あれは、化け物山の方だな。あんな所に、何の用だろう?)
好奇心にかられた猟師は、牛舎の後を追った。
「だあらよ。あれわ化け物らないんらって。人が住んでいたんらよ」猟師はどぶろくを呷りながら、海女の元締めにしなだれかかった。
「あんら山の中に?」元締めも呂律の回らない舌で答える。
「んら。んれ、あれら、ふつうろ人らないんら」
「ん?らに言ってんろ?」
「そうら、らに言ってんのか、わからんらった。和人らないんら、唐人らね」
「唐人?」海女は急に吃逆をした。猟師を突き放して立ち上がる。背筋が震えた。
(奴らの・・・亡霊・・・?)
その様子を横で聞いていた男は、碗を置くと暖簾の奥に声を掛けた。
「姐さん、勘定」
月が雲に隠れようとしていた。あたりが急に暗くなる。蛙の鳴き声が止まった。
板戸の中から、声がかかった。
「見つかったか?」
草の葉が揺れて、黒い影が現れた。
「は、山の中に」
「そうか、では連れて参れ」
「一つ問題が・・・」
「何だ」
「京の商人が、出入りしておりまする」
「京の・・・商人か」
「いかが、しますか?」
「ふん・・・始末しろ」
「は」
裃姿の武士が、大廊下の板を踏み鳴らして、城主の居室へと突き進んでいった。
「ご注進、ご注進でござりまする」
武士は襖の前で手をついた。
「お館様」
襖が開いた。老人が手招きをする。
「ほっほっほ。左膳、お主は相変わらず、声がでかいのう」
「は、失礼仕った。では、お耳を」
武士は耳元で声を出した。
「大殿が、動かれる由にござりまする。例の韓人の陶工が、生きていたらしく・・・」
「これこれ、耳元でそのような大声を出すでない。鼓膜が破れるわ」
「はっ」
「耳元で話すというのは、こうするのじゃ・・・」老人は声を絞って指示を伝えた。
「は、わかり申した。そのように致しまする、それにしても、お館様。大殿をどのようにされるおつもりで?」
「ふふ。弟は戦はうまいが、政はできん。暫くはまだ戦に使うこともあろう。だが陶工はこちらで預からねばならぬな。奴は礼儀を知らぬで、問題を起こすことは目に見えておるでのう」
眩しい日差しが庭に注ぎ込んでいる。陶弟子は鳥の啼き声に耳を傾けた。
(今日は暑くなりそうだ。)
訳官が息を切らして駈け込んで来た。
「ナ、ナウリ」
陶弟子は眉を顰めた。
(どうしていつも穏やかな時に、突然何かが起きるのだ。)
「ナウリ、大変ですヨ」
「どうした?」陶弟子の声は低く響いた。
「あ、あいつらが、陶工たちが生きていたんで」
陶弟子は思わず立ち上がった。訳官の声が鼓膜に留まって木霊した。足がちゃぶ台に当たり、茶碗がひっくり返った。茶が畳に零れる。それがじわじわと広がり、陶弟子の足元に近づいた。陶弟子は後退した。
「ナウリ・・・ど、どうしましょう?」
陶弟子は真っ白になってゆく頭の中を探った。
(生きていた・・・生きていたのか。)
眉間の奥にむず痒い感情が沸き上がった。口の端が上がっている。
(ばかな。何故喜ぶのだ?)
「ナウリ、既に大殿が、陶工の許に人を送ったそうですヨ」
「な、何と?」
記憶を手繰り寄せる。
(自分たちが関わった証拠は・・・ない・・・はずだ。)
「村主に・・・口止めをしておけ・・・これを持て」懐より巾着を取り出しかけ、
「いや、どうせ村主はしゃべらんだろう」と呟いた。
(それよりも、大殿が陶工を呼び寄せたら・・・?)
「ナウリ、それが一番の心配で・・・」
陶弟子は口を押え、じっと訳官を見た。
「何としても、それだけは阻止せねば・・・だが・・・どうやって?)
頭の隅で火花が見えたように思った。
「そうか。感動の再会を果たせばよいのだ」
(そして、隙を見て始末する算段をすれば良いのだ。)
「今から陶工に会うぞ。道案内セヨ」
茶屋は窯の前にしゃがみ込んで、割れた陶器の破片を両手に取って見比べた。
「これは、どこが気に入らなかったので?」
陶工は、ろくろを回しながら、ポツリと言った。
「模様だ」
「ほう・・・これで?手前には、十分に斑が見えまするが・・・。
時に先生は何故、黒い焼き物ばかり造られているのですか?」
陶工はろくろを回す足を止めず、正確に手を動かしていた。
「此の地で、初めてまともな言葉を聞いた」
「ほ、これはお褒めに預かり恐縮でござりまするな」
茶屋はそっと陶工の横顔を見た。
「何やら、仔細あるのでござりましょう。これまでのご苦労と、関係があるのですか?」
「・・・」
「もしや、この地では、二度と白磁を作らないという訳ではございますまいな?」
「・・・」陶工は目の前の碗を糸でろくろから切り離した。
「仕事の邪魔だという事、わかっているのだろう?」
「これは、とんだ失礼を」茶屋はにやりと笑った。
竈から白飯の炊きあがる匂いがしてきた。ブン蜂は鼻をひくひくと動かした。頬肉が削げ落ちた仲間の顔を見回す。人の顔というより、髑髏といった方が近い。
「飯の匂いだ。いーい匂いだなあ」
「もう、忘れていたなあ」医生もごくりと喉を鳴らした。
「だが、本当に奴らは信用できるのか?」職人眉根を寄せた。その言葉が終わらないうちに、腹が鳴った。
「姉ちゃん、まだかい?」海女の弟が椀を箸で叩いた。
海女は目で弟をたしなめた。釜の蓋を開ける。白い蒸気が家の中を漂った。
「飯だーめしだーめしめしめしだー」
「パブダー、パブダー、パブパブパブダー」ブン蜂も少年に応じた。
「あ、そうか。最後に”ダ”をつけるのは同じなんだよね」
「坊ヤ、そうダー」
「あ、それに、呼びかけるときに”ヤ”を使うんだっけ。なんかー、習ってみると、すごく良く似ているね?なんでだろ?」
陶工の頬が緩んだ。
(ああ、ずっと忘れていた。飯を囲んで笑い合うこんな光景が、昔は当たり前のように思えていた・・・。)
天井の煤が、少女の顔の様に見えた。
(今、どうしているのだろう?)
(どこか怪我してはいないだろうか?)
(熱を出したりは、していないだろうか?)
その時、頭の中に何かが入って来た。
(この白じゃあないの。こんなの白と言えない。ウリナラの白じゃないわ。ダメダメ。これじゃあ、あの人に会わす顔が無い。)焼き物の割れる音がして、陶工はふと我に返った。
「姉ちゃん、大丈夫?」弟が竈に駆け寄り、割れた破片を拾う。海女の視線は、陶工の頬に向かっていた。陶工は海女から目を逸らした。
「お前、大丈夫か?『ウリナラの白じゃない』って、今言っていたが・・・」医生は陶工の顔色を見た。
「あの商人からの注文で、此処のところ働き詰めだからな」職人が陶工の肩を叩く。
「もしかして、思い出したのか?クニョル・・・(彼女を)」ブン蜂が言いかけて、口を閉ざした。
「クニョ?ヌグ?」聞きかけた職人の袖を、医生がそっと引っ張った。
陶工はその晩、窯の火の前で何かを書いていた。
翌朝、海女は窯の前に挟まれていた紙を見つけ、ブン蜂に差し出した。
「うん?何々?しばらくの間、山に入る?おいっこれ」ブン蜂は大声を上げて仲間を呼んだ。
その時坂の下から、大勢の武士たちが上ってくるのが見えた。医生が喉を鳴らせた。
「あれは、俺たちに向かって来ているのか?」