BMW M6 E24

 

本国仕様M635CSi、 日本仕様はM6

 

1970年代に商業ベースで失敗作となったBMWのスーパーカーがあった。名はM1。「BMWらしい」ビックボアの直6DOHCエンジンM88がミドシップに搭載された、現代のBMWからは程遠い成り立ちの2シーター純スポーツ。

 

そのM88をディチューンし、美しいクーペボディの635CSiに搭載したのが本国名M635CSi。トランスミッションは、635CSiのZF製4速ATに対し、ゲトラーグ製の5速MTのみの設定。前後のバッジは控えめに例の3色表記の「M」のみ。日本では少々仕様は異なるが(後述)M6という名称で発売された(前後のバッジも「M6」)。このあたりの史実は、カー雑誌の情報はもとよりウィキペディアにも日本版では正しく記されていない。

 

ベルトーネのデザインに、偉大なるコーチビルダー・カルマンの内装。初代6シリーズのデザインは、現行の6シリーズはもとより過去全てのBMWの中でもベスト3に入るものだと思う。

 

加えてM6には控えめなMスポーツ製のフロント・リアスポイラーといったエアロパーツが装着されていた。フロントとトランクにしかエアロを付けない流儀はアルピナに通ずるものがあるが、同じM88を搭載する同時代のE28/M5ではサイドステップも装着されていた。

 

女性的なエレガントなデザインに、ハイパワー・エンジン、センターコンソールが運転席側に大きくオフセットされた実に硬派なコックピットに5速MTのみの設定という男性的な仕様であった。

 

 

僕のM6

 

6シリーズはアイアンバンパーの前期・中期、ビックバンパーの後期に分類できるが、M635CSiは中期(1984年~)から製造されたものが、当時多かった並行輸入で日本に入っていたように思う。日本仕様M6の正規輸入車は後期(1987年~)からであったと記憶する。

 

正確なことを記載すべく、手許の『BMW COUPES』(G.Farmer著)という洋書で確認したところ、6シリーズは全グレードで1976~1989年の13年間に86,216台が製造され、M635CSi(含むM6)は1984年〜1989年までの間に5,855台が製造されたようだ。

 

僕のM6は、最終製造年の1989年製。当時「ダイブラ(色:ダイヤモンドブラック)、89、ディラー、バッファロー(レザー)」の仕様は業者間では6シリーズの大四喜であるとされ、そういう意味では四拍子揃った車両であった。前述の洋書によれば、1989年式は全世界で55台しか製造されていない(M635CSi・M6合算)。

 

後期型のビックバンパー最終年で、金属パーツも全てエアロ風の樹脂製になり、窓まわりのモール類がブラックアウトされていた。

 

そして後期型は、エリプソイドと呼ばれたヘッドライトLoビームに瞳のようなプロジェクターを持っていたが、こいつは当時目新しく見えたものの、使っていたバルブが小さいため暗く実用的ではなかった。 BMWのプロジェクターヘッドライトの草分けではなかったかと思う。

 

当時雑誌やBMWの広報誌で取材依頼が多かったのは、このクルマと同世代のオーナ氏が所有する中期のアルピンホワイトのM635CSiであったと記憶する。

 

 

インプレッション

 

M1に搭載されたM88/1は、ディチューンにあたりウェットサンプに変更、ダブルカムチェーンをシングル化、6連スロットルバルブはそのままにインジェクション化、そしてボンネット内で30度傾けて搭載されM88/3となった。

 

BMWで初の、当時最高峰のDOHCユニットであり、運転の質感は非常に高かった。低速トルクは太く運転しやすいが、低回転域では大きく重いピストンのマスを感じる回転であり、それが4000rpmを超えカムの音が響き渡る辺りから軽さとスムーズさを増し、レブリミットを超えて淀みなく回る。当時の市販車ではポルシェ911に近い、純レーシングエンジンであった。

 

しかしそこはBMW。街乗りでも扱いやすく、1速で発進後すぐに5速に繋いでもギクシャクすることはなかった。例えば首都高なら2〜5速どこに入っていても流せてしまうような軽くフレキシビリティの高いエンジンだった。

 

現代の可変吸気バルブを搭載したクルマのようなフラットトルクではなく、高回転を好むドラマがあった。高回転域でのカムの音には、心底陶酔することができた。

 

M6最大の魅力はこのエンジンにあったが、もちろん若干のエアロが付加された6シリーズのクーペボディは、当時世界で最も美しいと賛美されたものであり、所有の満足を満たしてくれたように思う。

 

しかし弱点もあるクルマだった。

 

故障の面では、ステアリングギアボックスをフレームに固定するクロスメンバーが脆く、溶接修理や交換をしてもすぐにクラックが入ってしまった。クラックが入るとステアリングを最大限に切った時にギアボックスが動いてしまい、ゴンゴン大きな音をたてる。音よりもステアリングの故障は危険極まりない。

 

その他は大きな故障はなかったように思う。「ドイツは寒い国だから、ドイツ車のエアコンは効かない」などという間違った雑誌の記事の受け売りの意見もあったが、エアコンなどはむしろ日本車よりよく効いた。

 

そして、これはお恥ずかしいことに僕は購入するまで知らなかったことなのであるが、、、実は本国のM635CSiに搭載されたものと、日本仕様M6ではエンジンが異なっていたのである。

 

結論を書くとM6のエンジンは、M88/3をさらに排ガス対策でディチューンしたS38と呼ばれるものなのであった。M635CSiはM88/3搭載で欧州仕様、M6はS38搭載で北米仕様・日本仕様ということになる。


特に残念だったのが、エンジン音と排気音だった。これはボンネットを覗けば一目瞭然。M88/3に採用されている手曲げのいわゆるタコ足形状の等長エキゾーストマニホールドが、S38ではノーマル635と同じ鋳物製(俗称:イカ足)になっていた。

 

それに続くマフラーの径もノーマル635と同じもので、日本仕様なのでもちろん触媒が付き、巨大なサブマフラー、さらにもう一つ巨大なメインのタイコと続き、音は全くつまらないものになっていた。

 

鋳鉄製のカムカバーのマークも、M635ではプロペラのエンブレムとM Powerの文字が刻まれていたが、M6はBMW M POWERと刻まれていた。

 

M635CSiとM6のカタログスペックを比べると圧縮比も10.5:1から9.8:1に下げられ、馬力とトルクはM88/3の286ps/35kgmに対しS38では260ps/34kgmに抑えられていたようだ。トルクはほぼ同等、馬力の差は約10%あるが、性能よりも「音」に影響を与えていたように思う。

 

そんなS38でさえ前述のパフォーマンスであったから、本国仕様のM88/3はさぞすごいものに仕上がっていたに違いない。

 

そして足回りもノーマル635と全く同じで少々残念であった。フロントのショックはボーゲ製、リアショックはレベライザーの付いたザックス製。車高も高め。乗り心地重視だったのだ。

 

エキマニやサスのレベライザーの件に限らず日本仕様はスポーツ仕様というよりもラグジュアリークーペ635CSiのさらなる上級バージョンとして企画されたフシがあり、本革シートはもとより、サンルーフ、後席エアコン付でグローブボックスが冷蔵庫になっていたりもした。

 

時折しもバブル期であり、1,050万円の635CSiではなく「もっと高いBMWは無いの?」ということで1,300万円のM6を所望する上客も多かったのだろうと思う。

 

M635CSiは、欧州仕様で純スポーツクーペ。本革シートの車両もあるが基本的に内装は樹脂多用の簡素で軽いもの。

 

対してM6は、北米仕様・日本仕様で豪華GTカーという位置づけのようであった。

 

 

 

モディファィ

 

当時から僕は、クルマのオリジナリティにはさほどこだわらない、気に入らない部分はモディファイ・チューニングする主義だった。

 

まずタイヤホイール。

BMW純正のBBSホイールにあの悪名高きミシュランTRXが組まれていた。否、カー雑誌によれば性能は折り紙付きでフェラーリなど一級のスポーツカーも採用していたらしい。しかしTRXはインチではなくミリ基準の専用ホイールにしか組めず、パターンもかっこよくない。しかもTRXはあまり他車種に装着されないからBMWのディラーでしか手に入らなかった。

 

現代のBMWのランフラットタイヤといい、バッテリー交換ですらコンピューターのコーディングを要する仕掛けといい、この当時からBMWはメンテナンスを独占し利益を得ようとしていたフシがあるように思う。BMWがマーケティングに特化し、ドイツのトヨタと揶揄される所以だ。

 

純正のTRX用BBSの外径は415mmでありインチ換算すると16.3インチ、それをダントツで人気のあったACシュニッツァーの18インチに交換した。635用のホイールとしては、他に定番のBBS、高価なアルピナ、地味なMK、新興メーカーでオシャレ感のあるレーシングダイナミクスが多かったように思う。

 

次にサスペンション周り。

レベを殺し、ビルシュタインのショック+アイバッハのサスに交換。車高をフロント5cmリア3cm程度落とした。

 

当時のビルシュタインは現在のようにラインが分かれておらず、純正形状スポーツ仕様の一種類のみしか手に入らなかった。インターネットなどない、本国から部品を取るのも情報がない時代だった。

 

BMW用のサスペンションとしては、値段の高いアイバッハの他、値段は安いが質の良いフィンテック、あまり評判が良くないジャメックス、少数派のH&R等が手に入りやすかったように思う。

 

またMTミッションのストロークの大きさも気になった。日本人の体格では、ドライビングポジションに座ると3速ですら遠く、5速はものすごく遠い。シフト時にシートから背中が離れてしまうのである。

 

R、1−2、3−4、5、相互間の横の距離は近いがそれぞれニュートラルからの縦のトラベルが大きすぎたのだ。これはクイックシフトを入れて解消したが、残念ながらメーカーは失念した。

 

クイックシフトを入れてもシフトフィーリングはさほど重くはならなかったが、ゲート感の節度感が多少弱まったと記憶する。

 

そして件の排気系。当時Youtubeなどない時代であったが、ビデオで見たM635CSiの走行音が忘れられず、ついに清水の舞台から飛び降りた。当時、勝どきにあったBMWディラーで本国仕様M88/3用の等長エキマニを取り寄せてもらったのである。

 

取り付けはそこで行わなかったと記憶するが、それは触媒付きのS38には付かないと言われたからなのか、加工を要したためなのか、詳細は失念してしまった。

 

取付は、江東区にあったF3マシンなども製造する工房で行った。

 

同時にD&Wのステンレス製のマフラーも装着し、やっとクルマの成り立ちに見合う音を手に入れたように思った。もちろん性能も触媒付バージョンのM88/3に多少は近くなっていたはずであると思う。

 

音はもちろん、6シリーズ特有の逆に開くボンネットを開けてタコ足を眺めるのが好きで、用もなくボンネットのラッチに手が伸びた。そして普通の人はまずやらないであろう奇行、、、タコ足を磨いて光らせたりもした。一般の女性からしたら曲がった水道管にしか見えないパイプを眺めて興奮できるのだから、人間は奥深い。

 

オーディオは当時の王道であったアルパインのカセットデッキに6連装のCDチェンジャーを装備。スピーカーもトレードインタイプに交換し、アンプも設置したがこれらのメーカーは残念ながら失念した。

 

その他、スポーティではなかった純正マットをカロ(現在のカロイズム)のシザル 黄色と黒のチェックに交換した 。これはカレンダー紙で型紙を作りメーカーに持ち込んでオーダーしたから、その後メーカーに型がレギュラー商品として保管され、635用をカロで作ったオーナーの方に少しは貢献できたのではと思う。

 

 

そして売却へ

 

愛車に手を入れ不満がなくなり、この世の春を謳歌していたが、惜別は突然やってきた。

 

当時の僕は、BMWジャパン主催のミーティングやサーキット走行にも進んで参加していた。

 

ある日のFISCO(富士スピードウェイ)の走行会でのタイムアタックでのこと。

 

詳細は割愛するが、僕の一応チューンドM6は、軽く一台のノーマルのメルセデス・ベンツにタイムの上で敗れ去ってしまった。

 

そのクルマ300CE-24。当時ミディアムクラス(190とSクラスの中間)と呼ばれた、Eクラスのボディを2ドアクーペにしたものに、高性能版3LのDOHC24バルブエンジンを搭載したクルマ(SOHC版の300CEもあった)。

 

300CE−24のオーナーのご厚意でサーキットを運転させていただき、一気にこのクルマの虜となってしまった。と同時に自分のBMWが急速に色褪せてしまったのである。

 

当時ヤナセと仕事上の付き合いがあり、ヤナセのトップセールスマンであった練馬営業所のI氏に言われたことがある。

 

「あなたはメルセデスはエレガントで中高年向け、BMWはスポーティで若者向けだと思っているでしょ? それは間違いです」

 

この言葉にその時は心底驚いたものだが、300CE−24のハンドルを握った後にその意味の一端が体感できたような気がした。

 

クルマに関する自分の哲学など一瞬にして瓦解することを知った初めての経験かもしれない。

 

*

 

……というわけで、僕はメルセデスのクーペを購入するために初代M6を四半世紀も前に捨て値で売却してしまったが、M6は保管場所さえあれば永遠に所蔵しておきたかった一台である。