「ニーズ」と「ウォンツ」の違いが正確に分かる人は少ない。

 

マスコミや経済評論家を名乗る人、マーケティングを本業としているはずのコンサルタントや広告代理店の人間でもだ。

 

だから「この製品(ソーダ水製造機)にはニーズがある」「かっぱ寿司は現代のニーズに合わなくなってきている」などと平気で書く。

 

家電製品や回転寿司にニーズなど無い。顔洗って出直せ、である。

 

米国のマーケティングに特化した広告代理店Y&Rの創業に携わったレスター・ワンダーマンは、ニーズ=生活の根源に関わる心の底から湧き出る欲望、ウォンツ=ニーズを満たすための欲望という定義をしている。その理論を学んだであろうフィリップ・コトラーもほぼ同様。

 

そうなるとさしずめ、生活を豊かにしても生活の根源にはかかわらないクルマや時計を欲しがることは、もれなく「ウォンツ」に基づく行為ということになる。

 

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英国は敗戦を経験したことがない、戦勝国である。戦勝国には植民地から人材や豊かな物資が集まり、生活は潤う。必然的に生活のニーズは満たされ、高次元のウォンツが生まれる。

 

趣味の聖地・ロンドンで、究極の趣味はハンティングだという。

 

オールドボンドストリートの中央にある銃砲店H&H(誰だ?ヘリーハンセンと思ったのは)、ホランド・アンド・ホランド。入り口にはちょっと品が良い、しかし高めのプライスのアパレルなど並んでいるショップであるが、本業は銃砲店。奥の商談ルームで紳士が秘密裏に職人に発注しているのは、オートクチュールのライフルだ。

 

そのお値段、安いものでも20万ポンド(3000万円)は下らないというから、僕が欲しがる程度のクルマや腕時計など可愛いものだとも思う。

 

あるいは、世界最大の時計の祭典バーゼルワールドで各マニュファクチュールが試作品的に制作した一点物を裏で商談しながら数千万円で手に入れること。

 

雨天時走行禁止の荷物も詰めない二人乗りの古いスポーツカーに億単位の金を出すこと……。

 

究極に近い、趣味のウォンツの世界である。

 

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究極のウォンツは、モノに対する対価だけではない。

 

最近、僕の親友に只ならぬ趣向の家を建てた男がいる。

 

彼は生まれ故郷の新潟県で古民家を買い付け、その部材を解体し九州へ輸送。その部材で骨格を組みながら、現代の資材と住器を使い設計。快適な生活を確保しながらも、見た目はどこか懐かしい最新式の家を作るという古民家再生である。

 

彼いわく、200年もの間積雪に耐える木材は「欅(ケヤキ)」だけであり、新潟と北陸の一部にしか欅を使用した古民家はないのだという。

 

しかも著名な高級旅館を設計した建築士に設計を依頼するという懲り様である。

 

マーケティングは概念であり、市場限定することや時代背景によって、法律のように援用が起こる。

 

本来「屋根の下で雨露をしのぎ安全に生活したい」というニーズに対してのウォンツである「住まい(住宅)」であるが、ホームレスがスタンダードではない社会においては、家に住まうことはもはやニーズとみなすことができる。

 

少なくともクルマや時計よりは生活の根源に近いと言える。どんな家に住むのかがウォンツとなるが、それは賃貸物件から豪邸まで幅が広い。

 

件の彼のように様々な想いの集大成として、時間と手間と費用をかけて自分の望む住まいに棲みいたいという欲望は、建築費の多寡に限らず究極のウォンツの世界だ。

 

そして衣食住というニーズが満たされると、それが分譲マンションであっても中古の豪邸であっても、今度はそれに釣り合うオーディオやクルマなど、新たなウォンツが生まれ出るのである。

 

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人間はどこまで欲深いのか?


結論が出ない難しい話はどうでも良い。

 

時刻を知りたいというニーズを満たすだけなら、手許にスマホがあれば事足りる。

 

クルマが欲しいだけであれば、沢山の人が乗れ荷物も沢山積めるマルチパーパスなSUVやワンボックスがこの世にあれば事足りる。

 

しかし、、、

クルマや時計であっても、その他のモノであっても、本物が放つオーラに気づけば、その人の心はなんとも形容し難い満足感・充足感に包み込まれる気がする。

 

そしてそれが脳内にα波を生じさせ、ドーパミンを溢れさせる。身体の健康に悪いわけはない。

 

だから長生きのためにも、不幸にも沼にハマってしまった人は、その道を迷わず邁進しウォンツを満たすべきではないだろうか?

 

我慢はストレスそのものなのだから。

 

そしてもうひとつ大切なこと。英国を例に出すまでもなく、ウォンツに端を発する本物に触れることはモノの大切さ、新旧だけが価値の軸ではないことに気づかせてくれる。


今の日本では、100円ショップやユニクロに代表される低価格使い捨て文化は、もはや建築物や文明そのもの、大衆の考え方にさえ及ぶ。

 

新しい高いタワーができたら東京タワーは解体したい……

 

伝統芸能の歴史の重みを捨て、劇場を商用施設やオフィスビルと合体したビルに作り直す愚行……

 

鉄道会社が肝いりで作る駅ビルもせいぜい3〜40年で解体されまたリニューアルされる繰り返し……

 

こういうことに疑問を抱かないのが日本人であるように見えるが、果たして同様のことをしても欧米で反対意見は出ないものなのか? 英国やドイツではどうか?

 

僕にとって非常に興味のあるところだ。