つらいとか


助けてとか


我慢しようと思えば


どこまでも我慢できるものです。




でも


どこまでもの限度が人によって違います。




わが家では、


物事の善悪や、


我慢の程度、


行動の頃合い、


その辺の感覚が、


娘とわたしが女同士しっかり一致しています。




娘が自分で悩み考え行動することには、


いつも感心を通り越して感謝しています。


私としては子どもたちを守ろうとしている。


でも、娘もまた、


家族のために自分に何ができるか、


常に気にしているようです。


もっと安心して過ごさせてやりたい。


でも、


昔のわたし(しかも中学生の頃)にそっくり。



昔のわたしの家庭環境は、


父の暴力が酷く、母が限界でした。


兄たちは怯えていたし、


怖いもの知らずの妹(わたし)はいるし、


いつも危険でした。



ちょっとませていたわたしは、


子どもながらに兄たちに相談を持ちかけ、


子どものために耐えている母を早く逃がそうとしていました。




子どもの中で末っ子のわたしが


「一番幼いわたしが大丈夫なんだから大丈夫。もう大丈夫。父さんと離れた方がいい。行っていい。」


と母に訴えたのは中学3年生のときでした。




そう。


子も、親を守りたい思いがあるんです。





身をもって知っているので、


娘の感覚がわかります。





先日夫が子どもたちの前で暴言を吐きまくったので、その直後から子どもたちは当然元気がありません。


学校で、娘の担任が動いてくれました。


どうしてもおかしい。と。




明らかに元気がない。と。


それもそのはずです。


子どもたち、とりわけ、物事がよくわかる娘のほうは、家庭で心をすり減らしているので、学校を心の拠り所にしてたくさん笑いたいはずですが、


家庭で緊張して、疲れています。

つらい思いをしたので、どこか尖っていて、どこか冷めていて。


早くなんとかしたい。


でも、わたしにはこれ以上どうにもできない。


そんな思いでいっぱい。



学校で同年代の笑い声を聞いても、


娘の心の中はそれどころじゃないわけです。


なので、


差し伸べてもらった手をしっかり掴んで、


信頼できる先生に話せた。


それがどれだけ大きいことか。




子どもも、家庭のことを話すことで、


家庭がどう思われるか、家族がどう思われるか、


どこまでどう伝わるのか、


最初に伝えた自分を家族がどう思うのか、


頭に置いた上で勇気を出しています。




勇気もなにも、SOSだ。


という見方もできるけど、


大ピンチを迎えても、


自分が言うという勇気がなかったり、


言ったら困る誰かをかばって言えなかったり、


大事なときにどうしてもSOSが出せなかった人もいる。




だから、


娘の勇気をきちんとわかっておいてあげたい。



わたしも何か行動を起こそうと考えていたところでした。



警察は残念ながら暴力事件が起こったその時にお世話になるところ。


でも


一度だって家庭内の暴力で子どもがケガをするようなことにはなってほしくない。


それに体は無傷でも心をすごく傷つけていること。そこに未だ目を向けない父親を、母親が説得できない。大声で脅すことと罵ることが状態化してきている父親をなんとかしなければならない。


そんなとき、ここに繋げてくれることがわかりました。



児童相談所。



みんながお世話になるところじゃない。


困って頼ることになるのだけど、


その事自体が情けなかったり恥ずかしかったり、


他人に知られたくないこと。


なのに学校にも要チェックされることに当然なります。




そうなるのは嫌だから、


そうならないように、


そちらのほうが大事なひともいるでしょう。




でも、


起きている事件や


大事なひとの心から目をそらしていると



きっと取り返しがつかなくなる。




取り返しのつくところで行動するには


勇気が必要なんだ。




これで本当によかったかなんて


分からないけど、


わが家は児童相談所の監視のもとで、


これからのことを考えていこうと思います。