私のお母さんは、小さな野花のような人だった。
閉鎖的で、保守的で、
誰かに傷つけられても、それを跳ね返すような人とは真逆の、
自分では決められず、
人に、世間に、従っている人。
私が産まれてわりとすぐ、
おじいちゃんのすすめで、近くに働きに出ていた。
本当は私を育てたかった、見ていたかった、
とポツリと言ったことがあった。
だから私は、主に、おじいちゃんとおばあちゃんに育てられていたんだろう。
小学生までの記憶は、もうほとんどない。
かすかに覚えているのは、
体が弱くて、保育園をしょっちゅう休んでいた。
先生からのコメントには「先生の話をしっかり聞いてくれています」って書かれる子。
そして、思い出すのは、お母さんの悲しそうな顔の場面。
狭い世界しか知らなくて、
それでも、
どんなときも、
ポキッと折れずに
多くを求めずとも
地道にしっかりと、生きてた。
私が、
死にかけても、
ずっと家に引きこもっていても、
何度も何度も、死にたいと言っても、
どうして産んだんだと攻めて、泣きわめいても、
毎日、同じように、生活を、していた。
朝起きて、ご飯を作って、食べて、夜眠って、
約30年同じところに、勤めて、
同じ時間に出て、同じ時間に帰ってきて、
田畑の時期には、朝夕作業して、汗をかいていた。
知恵とか、工夫とか、大きな変化をさせる行動とか、できなくて、
不器用で、
でも
私のことで、どんなに苦しかっただろうに、
毎日体を動かしていた姿があった。
私に多くを言わず
時がくるのをじっと待っていた。
ちゃんと根をはって、
日々を生きる姿を見せてくれた。
そんな人だったな。
ありがとう、お母さん。
私、生まれてきて良かったよ。
出会えて良かった。
ヒマワリが大好きなお母さん。
今はヒマワリに見えるよ。
これからは、一緒に楽しいこと色々しようね。