創価学会は公明党の支持団体です。


「政教分離の原則に反するのでは?」

こんな声をよくききます。


ではなぜ、公明党はなくならないのか。


もし政教分離の原則に反するのであれば、

議員の方も官僚の方も、黙ってはおらず、

即刻おとりつぶしでしょう。


ということは、

政教分離の原則に反していない。

そういうことでしょう。


そもそも「政教分離の原則」とは何か。


政教分離の趣旨とは、

「宗教の自由を保障するため、

国権行使の場面で、宗教団体の介入・関与してはいけない。」

という、国家権力の抑止の原則なのです。


権利に関しての勘違いって多いですよね。

「表現の自由」もそう。

なんでもかんでも表現していいという権利ではなく、

国家に対する表現・意思表示を、国家権力で抑圧してはいけない、

という趣旨だったはず。


義務教育で、何を学ぶべきか。

今一度、考える必要があるのではないでしょうか。

前回の記事にコメントをいただき、

ありがとうございました。


犯罪者は、

除名または永久追放になることも初めて知りました。


ただ、そこに疑問を持ちました。



被害者となった人に支えが必要なのは言うまでもありませんが、

罪を犯した人にも、支えが必要なのではないでしょうか?



いい表現が見つかりませんが、

心を綺麗に戻すにはどうしたらよいのか。


さらには、

周囲はなぜ何もできなかったのか


それは家族・友人も考えなければならないし、

創価学会(地区やブロック)内でも考えなければいけないのでは。


なぜ、その人を切り離してしまうのでしょう。

孤独になってしまった時こそ、信仰が必要なのではないでしょうか。

周囲の支えがいるのではないでしょうか。


企業は、企業イメージを守るため、人を切り捨てます。

宗教が守るのは、イメージではなく、人です。


確かに綺麗事ではありますが…

いると思います。


”悪い人”といっても、

約束を守らない人から、

犯罪を犯す人まで幅広いですが…。



寄付金を着服するために創価学会に入った人もいます。


よく約束を破る人もいます。言い訳ばかりの人もいます。


実際のところは分かりませんが、

犯罪者となってしまった人もいるでしょう。



しかし、

悪い人・犯罪を犯してしまった人 = 創価学会員 = 創価学会は悪!

の図式はおかしいのではないでしょうか。


以前の私なら、

その方が簡単だし、考えなくていいし、

すんなり受け入れていたと思います。

悪い人・犯罪を犯してしまった人 = キリスト教徒 = キリスト教は悪!

悪い人・犯罪を犯してしまった人 = 無宗教者 = 無宗教なのは悪!

なんてことは言われないですもんね。



善い行いをする、悪い行いをする、

この基準を、個々人が、どのように解釈し、どのように使っていくのかは、

どの宗教に限らず、(無宗教でも)

大きな課題ではないでしょうか。