正午で79回目の終戦記念日、
ある時期、靖国に通い詰めていた
ご覧の通り、遺書を編纂した冊子も全部揃えてる
ただ、だ
実際は8/15で全てが終わったのではない
それを伝えておきたい
この日が過ぎても北方、樺太の守備隊は戦闘をソ連軍としていた
南方、沖縄でも6月の組織的戦闘が終わったとされるが実際はゲリラが9/7まで、抵抗していた
本土では玉音放送を阻止せんと若い将校らがクーデターを画策、失敗し、
特攻の発案者、大西瀧治郞は8/16、自決
もう一人の発案者、宇垣纏も陸攻の後部に座して8/15、沖縄へ特攻して散華、
北の軍人の妻らも特攻機に同乗してソ連軍の戦車隊に突っ込んで、
長い間、彼女等は慰霊もされなかった
ここまで書いて自分でも辟易する
挙げ句シベリア抑留と
極東軍事裁判で裁かれたのは首脳部のみならず、
わたしも貝になりたい
正直言うと、英霊に失礼だが、
こんな一幕をライブドアに掲載し、
でもって、思うのは
必ず、記念日の裏には絶えず流血があったということ
踏まえて、自分も自決はいけないと
終戦になってそれでも戦った人達は、英霊じゃないの?
問いたいのです
8/15って日付は単なるケジメ、
数字に過ぎません
知らなかった方々、
今日の意味を再考していただきたい
あまた、路地に溢れた傷痍軍人や浮浪児たち
悲しくなります
最早戦後ではない、
本当か?