「〇〇」依存のサイレント初期
マカロンとサイレントの入って3年目になる。
改めて「自分軸」の定義ってなんだろう?って最近考え始めた。
今は多分サイレント中期らへんにいると仮定して…
「依存」に的🏹を絞ってみようーかなーって
「マカロン」依存
サイレント入に入る1カ月前ぐらいからマカロンのことだけを考える時間がめっちゃ増えた。でもそれと裏腹にマカロンからのコンタクトは減る一方。不安でしかなかった。自分でもおかしいと思いながらも暴走(?)が止められなかったの。でもね、ちゃんと心にその感情を冷静に見る私もちゃんと認識していた。
例えば朝起きてマカロンからの「おはよう」があればわりと1日気分良く過ごせるんだけど、ない日とか私が「おはよう」と送っても既読が付かないときは1日中ブルーだったし、超不安だった。今思うと何でそこまでマカロンとコンタクトを取らないと不安だったのかが分からないんだけどそこまで余裕がなかったのかなって思う。マカロンの会社の駐車場まで行って会社に出社しているのかを確認したり(ストーカーだな)、ずっとLINEを見てないと不安だったり。
今までの私じゃ想像できないくらい依存していた。それを「おかしいよ!やめなよ!」と冷静に注意している私も同時にいるけど、どうしても体が勝手に動いてしまうのだ。
私の中のネガティブ感情が噴出しまくっていて、自分ではもう止められなかったのだ。
淋しい
嫌われた
冷められた
遊ばれた
構ってほしい など。
自分の中の今まで封じ込めていた感情が当時の私の心を支配していたの。そしてね、この感情はしばらく1人で処理(我慢)できていた。今までもそうだった。我慢してマカロンにバレなければきっと乗り越えられる。マカロンと会う時までに自分で処理をしておけば大丈夫!いつものようにマカロンとLINEや会うときは平然を装った。マカロンもまさか私がネガティブ感情に汚染されているなんて思っていなかっただろう。それくらい元気に明るく振舞っていたの。
でも…。
今回ばかりはダメだった。心のコップが溢れてしまった。それでもだいぶ自分では抑えていたつもりだった。
土曜日にせっかく休みが取れたのに、マカロンに用事があって会うことができなかった。
ただそれだけのこと。余裕がある私だったら残念な気持ちはあるけど仕方がないことだと自分の時間に充てるだろう。
だが、私は余裕のなさからマカロンを疑ってしまったのだ。
もちろんマカロンには「そっか~、しょうがないね、頑張って」とLINEをしていたのだが、せっかくの休みなのに心はざわついたままだった。
土曜に用事って何?
もしかして婚活行ってる?
何で休みを取るってわかってたのに用事を入れるの?
私、捨てられるのか?
私の他に女がいるのか?
そんな被害妄想を1日中していたら頭がおかしくなったのだろう。私はその日の夜、マカロンに電話をかけた。
もしかしたら熱が出てたりとか?しんどくてのたうちまわっていたら?
なんかもう、どんどんネガティブ思考で最悪な事態まで考えてしまった。
結果は「1人にして」。それはマカロンの気質の問題なのだが、私は自分が愛想つかされたと思ってしまったのだ。この頃の私の常識は「1人して」=フラれるだった。結果フラれてしまったのだけど。
ここで電話をせずに放っておけたら今頃違う結末になっていたかもしれない。力になりたかった。何とかしてあげたかった。
でも、その「おせっかい」がマカロンにフラれる原因だったのかもしれない。
そして「私が何かしたから落ち込んでしまった」と自分を責めるクセも出てきていた。よく考えてみると分かりやすくACの特徴が出ている。
「占い」依存
マカロンとサイレントに入る前のプチサイレントの時期から占いに依存するようになった。
…というか、不安が強くて何かにすがりたかったのだと思う。
1週間に1回が2回になり、3回になる。
1回3000円ぐらいだけどそれをサイレント初期が終わるまでやっていたらかなりの金額になるだろう。
家ではスマホで占い動画をYouTubeでずっと見ていた。
自分でも「おかしい」と思いながらもマカロンの行動の意味と私への気持ちの変化など何回も聞きに行った。
でも、聞いても聞いても答えは同じ。
「彼、あなたのこと大好きよ」
でもさ、現に「1人にして」って言われているし、LINEも来ないし、既読スルーよ!?
どうやって信じればいいの?
この現実を占い師に伝えても、占い師を変えても答えは同じなのだ。
そう、ここから私のサイレントの課題は始まっていたの。そして信じられなかったから、引き離された。
私の価値観「好きならコンタクトがある」。
これを最初に手放すことができなかったのだ。今まで連絡が来なくなったら脈なしだったし。
占い、外に答えを求める日々。確かに何日間かは心が落ち着く。少し執着もなくなって穏やかに過ごせるからまた行ってしまう。でも、何日か過ぎるとまた不安になって答えをもらいに行く。その繰り返しを半年ほど続けていた。
自分でも辞めたいのに辞められない。止まらないのだ。🦐
そこでこのブログにたまに出てくるMさんに質問をしたのだ。
「占いを辞めたい気持ちはある。でも答えを聞くと安心するから聞きに行ってしまう。Mさんはこんな時にどうしていますか?」と。Mさんの答えは「自分の心に答えはある。あなたは答えを知っているよ」だった。
その時、こんなことも教えてくれたのだ。
占いに行くってことは自分が何か言ってほしい言葉がある、それを自分で自分に行ってあげること。
ごもっともだ。私は「彼に愛されているのか」とずっと聞いていた。自分の中に確かに好かれているような感覚はあるのだが、それがなかなか信じられずに占いに依存をしていたのだ。そして現実は、未読スルー、連絡来ない、会ってくれないという絶対に好かれていない事象が起こっているんだけど全然嫌われている感覚がなかったのだ。そこの感覚も訳が分からなくて…。
でも、聞きたい答えはすでに自分の中に湧いてきているのは知っていた。ただ「(自分を)信じられない」それだけだったのだ。
「ツインレイ」依存
マカロンとの完全なる沈黙(サイレント)が始まった。別れてからというもの何度もこのブログに書いてきたが、生きる気力や生きる意味、私が何で今存在しているのかが全く分からないところまでメンタルが堕ちてしまった。
そんな中、ずっとプチサイレント中から気になっている2つのワードがさらに気になってきたのだ。
ツインレイ
サイレント期間
この2つのワードは、なんのことかわからないけどめっちゃ気になるし、でも意味を知ってしまったらダメなような…。
パンドラの箱を開けてしまうような気がして、すごく怖かったことを今でも覚えている。
でもね、そのワードを避ければ避ける程、マカロン本人に出くわしてしまったり、誕生日の数字の追いかけられたり、マカロンの苗字を見たり。それが苦しくて休みの日は家から出ずに部屋でひたすら泣いていた。
何で忘れさせてくれないの?
何で追いかけてくるの?
何で本人に会ってしまうの?
そんなこんなで逃げても逃げても追いかけてくることに疲れ、私はパンドラの箱を開ける決意をしたの。
実際にこの2つのワードを調べてみるとみるみるうちにその世界にどっぷりと浸かってしまうようになった。
だって調べれば調べる程、私とマカロンの境遇にそっくりなんだもん‼
それでも半信半疑。
サイレントに入ってから半年ぐらいずっと
ツインレイかツインレイじゃないのか? とか
サイレントなのか? とか
正解を外に求めるようになっていったのだ。
そのことで半年間ずっと心を忙しくしていたからか、ちょうどライオンズゲートの時期に39℃の高熱が出た(3日間)。
もう虚しくて、マカロンに会いたくて…。
でも「別れてる」という現実から連絡もできない。こんな自分がすごく情けなかった。
この高熱のおかげでちょっと自分の気持ちが整理できたんだけどね。
ここで最初のブロックが完全に外れたんだよね。
「別れたから好きでいちゃいけない」
私の心はマカロンのことが大好きなのに、現実は思い通りにマカロンと一緒にいられない。彼氏じゃないもん‼諦めなきゃ!
そのことが自分の心を傷つけていたのだ。
じゃあ、好きなままでいんぢゃね⁉
って高熱にうなされながら号泣しながら結論付けた。
でね、それからが面白いんだけど
そうやって自分で納得した次の日、あんなに下がらなかった熱が平熱に戻った。胸の痛みも格段に減ったしね。
そして、今までマカロンを見るとしんどくて忘れなきゃ!って思ってたからしんどかったけど
「好きでいいじゃん!」って思ったら不思議とお互いに認識できる距離で再会することが多くなったの!
あんなに心を痛めていたのに、幸せな時間に変わったんだよね
「ツインレイ」依存は根深くて執着をはずす上で一番厄介だった。
「依存」を断ち切る唯一の在り方
今回は「依存」について恥ずかしい過去を語ってみた。
でもこの「依存」って結局"外側"に答えを求めていたから(他責)起こったことだった。
自分が解決できないことを自分で勝手に妄想してしまうことでさらに悪い方向に物事が進んでしまっていた。
相手(マカロン)にしか分からないことをずっと自分の価値観で結論付けてしまっていた。
そして外側に答えを求めてしまう原因は自分の自信のなさからきていると思ってるの。
私の場合はAC気質も相まってさらに奥深い傷を自分で作ってしまっていた。
要は自分を信じられない、人の顔色を窺ってしまう、自分の意見に自信を持てないなどが原因だった。
いつも答えは内側にある!(自責)
私には特に大事なことで今でも教訓として自分の心の中に刻み込んでいる。
あっ!でも、自分のことを責めることではないよ!自分がやったことに責任を持つってことだからね!
○○さんがこういったから私は××した!
↑これは他責。
私はこう思う。だから○○した!
↑これは自責。
すべて主語は私(自分)!
他人を主語のしたら、自分のやったことに責任を持っていないことなる。
(お説教じみたことを言ってるけど私もマカロンに出逢ってサイレントにならなかったら他責の人生だったよ)
他責の方が楽だもんね、人生って
でも、それをすると自分の感情すらも自分で感じられず他人のせいにしちゃう…
自分のことをまずは認めてあげて
自分のしたことに責任(自信)を持って生きてみよう!
どんな自分でも自分のことを認めてあげよう!
それが「依存」体質から抜けるファーストステージ私は今ACセッションを受けながら自分を認めることを勉強中長年のクセもあるし、そう簡単には自分を認めることはできないけれど、「私は自分を責めるクセがあるよね、責めちゃうよね~」ってそれすらも認めていく♪そうすることでネガティブな自分もポジティブな自分も認めて両方とも私として受け止められるようになる!…そう信じて
「自分の人生を生きていく!」