ACカウンセリングで号泣
私はACと認めてからカウンセリングを受けている。
今日は3回目のカウンセリングについて書きます!
ACカウンセリングって毎回号泣なんだけど、今回は特別なにせ、「マカロンが結婚してしまったかもしれない!」というショックで思考停止した直後のことだったから。
あの衝撃なことから早1カ月。
ブログが書けるまでに回復するまで1カ月かかってしまった。
今回のカウンセリングは前回に出た課題の成果の確認とインナーチャイルドの癒しをやる予定だったが、あまりのショックで課題をやるどころか自分の気持ちが堕ちていた。
カウンセリングの先生もインナーチャイルドよりも今の状態を何とかしないといけないと思ったのか、すぐに話を聞いてくれた。
もうね、カウンセリング始まる前からずっと泣いてて、先生に「どうしたの?」とビックリされたほど号泣しながらzoomに入った。私は号泣の一部始終を先生に話した。占いでたくさん聞いてもらって、アートセラピーの先生にも聞いてもらった後だったけど、涙が止まらなくてなかなか自分から話したくても言葉が追いついていかないぐらい感情が出てきた。
サイレントに入って3年。自分の中ではマカロンに対する執着もとれてきて、自分の時間を生きれるようになったと思っていた。でも、現実の私はその1つの出来事でグラングランに揺れて会社を休むほど反応している自分なのだ。
先生に「まずは強がらなくていいからマカロンが好きって自分を否定せず、悲しい、悔しい、怒りをこの時間を使って出していこう」と言ってくれた。でも私はその前に散々いろんな人に聞いてもらって泣いて悩んでを1週間繰り返していて、心も体もヘトヘトだった。そしてサイレント初期に匹敵するぐらいの感情の爆発(涙)!自分でもまだここまでの感情があることを知らなかった。泣いても泣いてもどんどん出てくる涙…本当にしんどくて苦しくて…。そしてマカロンを「どうでもいい」とか「あんな奴知るか!」とか黒い感情も出てきていたけど、でも最後は「やっぱり大好き
」で終わってしまう自分の心にも怒りがあった。
何で私はここまでされてもマカロンが愛おしいんだろうと…。
「先生、何でこんなに愛おしいのかな?絶対に他の人と恋愛をした方が楽だし、楽しいのに…」
私は先生に泣きながら「もう、マカロンを諦めたい!しんどい…」と言った。
私の本音
先生は私の話をただ聞いていた。
でもね、同時に私の本心を見抜いたのだ。
「Eちゃん、本当に諦めたいのかな?ただ、今は自分の心と現実が付いていかないからしんどいと思うだけなんじゃない?マカロンが好きって言っているEちゃんが何で諦めたくなるのかな?現実と自分の心は別なんだよ。自分の気持ちに嘘をついてまで現実を受け入れるのはそれは手放しじゃなくて諦め。でも私はそうは言っていないの!手放してって言ってるの!」
泣きながら私は先生が言ったことの意味を一生懸命に考えていた。占い師さんと一緒に自分の醜い感情をたくさん出して手放すこと(好きでいて相手をコントロールしないこと)ができたと思っていた。でも、それは本当の意味では違うことだったのだ。
マカロンは結婚した(かもしれない)から好きでいてはいけない
自分の中でそういう気持ちがあってそれがずっと疼いていたのだ。でもこの思考はツインレイの「無償の愛」とは正反対。それでも彼を受け入れられるかを宇宙から問われている、それがこの出来事の課題なのだ。
なかなか自分の気持ちと価値観を大きく揺さぶられる出来事。でも、私はこの状況の中でそのことを手放す時期に来ているのかもしれない。
自分の気持ち「好き」を大事しながら、マカロンの選択を受け入れる。
これはなかなかの修行だな~と思った。
でもね、この日を皮切りにそのことで号泣することはなくなった(複雑な気持ちは現在進行形だけど)。
自分の中でそれを受け入れる準備が徐々にできてきているのかもしれない。
だってさ!それでもマカロンへの「愛」って変わらないから、仕方ないなって…自分の気持ちにサレンダーした感覚だ。もちろん「結婚したい」がなくなったわけじゃない。でも、確かに前と違うのは「マカロンと結婚しないと私は幸せになれない」という感覚がなくなったことだ。だから、手放したのは「マカロンじゃないと幸せになれない」という部分。
心にいるマカロンはいつも私の隣にいてくれるだったら、私はきっとどんなシチュエーションだとしても幸せになれるのだ。そう思うと今嫌々やっている婚活を楽しめるようになってきた。
その場を楽しめる人が幸せを制する
結局、これが自己統合の本質かなって思う。
マカロンがいなくても私は幸せ
マカロンがいないと楽しくないし、幸せじゃないし、生きる意味が分からない…。今までずっとそう思って過ごしてきた。でもその在り方でいる限り、ずっと心が元気にならないし、幸せを受け取れないんだと思う。
「マカロンがすべて」、その在り方そのものが執着なのだ。そりゃ、いつまでたってもランナーだよねって
私がずっとこの状態だったから、マカロンが喝を入れてきたのだろう。おかげでめっちゃ落ち込んだけど、良い気づきがあった。ありがとう、マカロン