The Commonsより
政治とカネの本当の話 田中良紹
企業献金は 「 悪 」 だと言う。 なぜなら企業は 「 見返り 」 を求めるはずで、政治が企業の利益に左右され、公共の利益を損ねるからだと言う。 一見もっともらしく聞えるが、なぜ企業献金が全て公共の利益に反すると断定できるのか。 こうした考えは 「 民主主義の根本 」 を犯す事になりかねない。 世界の民主主義国でこんな事を言う国はない。
仮に政治家がA社から献金を受け、A社の要求に応えたとしても、それがA社の利益にとどまらず、広く公共の利益になることであったなら、それでも企業献金は 「 悪 」 なのか。 企業献金を全て 「悪 」 と言うためには、企業の利益が常に国民の利益に反するという前提に立たなければならない。 こうした考えに私は極めて懐疑的である。
まず前提として 「 民主主義政治 」 とは何かを考えよう。 世の中は立場の異なる多種多様の人間が生きている。 男と女、老人と子供、都会と農村、それらの人々の利益は必ずしも同じでない。 立場の違う人間が対立し、いがみ合えばみんなが不幸になる。 そこで立場の違う人間を 「 共生 」 させる知恵を出す事が必要になる。 それが 「 政治の役割 」 である。
民主主義でない政治はどうするか。 例えば王様の政治や独裁政治では権力を持つ者が 「 正しい 」 と決めた 「 政策 」 を全員に押し付ける。 その 「 政策 」 で救われる人間もいるが、命を失う人間も出てくる。 しかし民主主義でない政治は、権力者が 「 正しい 」 と決めた事が全てである。 無視される立場の声は一顧だにされない。
民主主義政治は異なる立場の人間の声に耳を傾けようとする。 だから様々な立場の人間が自分たちの代表を政治の場に送り込み、自分たちの要求を主張してもらう。 政治の場では様々な意見がぶつかり合い、議論を重ね、お互いが相手の主張を理解した上で結論を出す。 話が折り合えば 「 妥協 」 が成立する。 話がつかなければ多数決で決める。 その場合でも、少数意見を尊重し、みんなが少しずつ 「 譲歩 」 する修正を施し、なるべく不満が残らないようにする。 民主主義政治は 「 正しい 」 政策を選ぶ政治ではない。 みんなで話し合ってみんなで 「 妥協 」 する政治である。
国民はそれぞれ自分たちの代表を選ぶ。 そしてその議員を応援する。 応援とは政治活動費を献金する事である。 献金を多く集める政治家は多くの人から支持されている証拠である。 いや違う。 金持ちや企業からの献金の方が多額になると言うのなら、貧乏人は小額でも数を集めて対抗すれば良い。 そして投票するのに金はかからないから、民主主義は貧乏人が不利になる仕組みになっていない。
ところがこの国には 「 政治献金は金持ちを有利にする 」 と不満を言う人がいる。 しかし献金をしなくとも投票の権利はあり、小額でも数を集めればパワーになるのに、それもしないで不満だけを言う身勝手な人間が多い。 そういう人間に限って、他人が献金するのを妬ましく思うのか、妨害する。 それが民主主義を妨害しているとは思わない。
「 利益誘導政治はけしからん 」 と言う人がいる。 これも民主主義を否定する理屈である。 民主主義政治で政治家がやる事は自分を応援してくれる人たちの主張を実現する事である。 言い換えれば支持者に 「 利益 」 を誘導してやる事である。 それを否定してしまったら民主主義政治は成り立たない。 企業の利益を代表する政治家、労働者の利益を代表する政治家、女性の利益を代表する政治家、農家の利益を代表する政治家、それらの政治家がみな支持者のために働くところに民主主義がある。
企業の利益を代表する政治家が 「 企業献金 」 を受けて、企業の利益を図るのは別に問題ではない。 問題となるのは、その企業の利益と公共の利益が相反し、にも拘らず公共の利益にならない事を権力を持つ政治家がやった場合である。 それは贈収賄と言う犯罪に当たるから捜査機関が摘発すればよい。 しかし一般的な企業献金まで 「 悪 」 だとする考えは民主主義政治を否定する考えだと私は思っている。
ところが日本では企業献金を 「 悪 」 だとして禁止している。 そのため何が起きているか。 企業が政治団体を作ればその献金は認められるという、 「 まやかし 」 と言うしかない制度が作られた。 その政治団体が企業の利益と反する要求をするはずがない。 企業そのものと考えておかしくない。 それなのに企業は駄目で政治団体なら良いという不思議な仕組みの中に官僚支配のからくりがある。
官僚が国民を支配する要諦は 「 守る事が難しい法律 」 を作る事である。 車の法定速度を守ったら渋滞が起きる。 誰も守っていないのが普通である。 警察は普通は見逃している。 それで国民生活に支障はない。 しかし時々警察は捕まえる。 運転手は 「 運が悪かった 」 と思う。 この時々警察の都合で捕まえるところに官僚の 「 裁量 」 が働く。 官僚は法律違反を常に見逃しながら、都合で取り締まる。 警察に歯向かう人間は取り締まられ、警察にゴマをする人間は見逃される可能性がある。
スピード違反だけの話ではない。 公職選挙法も 「 厳格に守った人間は必ず落選する 」 と言われるほど 「 守る事が難しい法律 」 である。 「 お目こぼし 」 と 「 摘発 」 は警察の思いのままだ。 税金も 「 何が脱税 」 で 「 何が節税 」 かの区別は難しい。 政治資金規正法も 「 守るのが難しい 」 法律である。 みんなで同じ事をやっていても、取り締まる方が目をつけた相手は 「 摘発 」 され、同じ事をやっているその他は 「 お目こぼし 」 になる。 これで政治家はみな官僚に逆らえなくなる。
政治資金規正法を厳しくすると、最も喜ぶのは官僚である。 これで政治が官僚より優位に立つのを抑える事が出来る。 政治が力を持てばいつでも 「 摘発 」 して見せ、メディアに 「 政治批判 」 をさせ、国民を 「 政治不信 」 に堕るようにする。 「 政治不信 」 こそ官僚にとって最も都合が良い。 政治家を官僚の奴隷にする事が出来る。 それに協力してきたのがかつての野党とメディアである。
「 政治は汚い 」 と国民に思わせるように官僚は仕組んできた、それに応えてメディアは 「 政治批判 」 が 「 権力批判 」 だとばかりに、口を極めて政治を罵倒し、官僚と言う 「 真の権力 」 にゴマをすってきた。 国民はこの国の権力の本当の姿を見せられないまま、政治に絶望してきた。
アメリカには個人献金もあるが企業献金もある。 日本ではオバマがネット献金を集めた話ばかりが伝えられているが、オバマを勝たせたのはウォールストリートの企業献金だと私は聞いている。 政治献金は透明性が大事であって、裏金は問題にすべきだが、表に出ている政治資金で捜査機関が政治の世界に介入する事は民主主義国では許されない。 そして金額の多少を問題にする国も民主主義国家ではない。 それを問題と考えるのは、政治に力がつくと困る 「 官僚の論理 」 である。 これを私は 「 民主主義 」 と対立する 「 官主主義 」 と呼んでいる。 「 小沢代表の金額が突出して多い 」 と問題にするのは官僚か、その奴隷に成り下がった政治家とメディアだけだ。
眉間にしわ寄せキャスターの番組は、昔から 「 もっともらしい嘘 」 を振りまくのが得意なのに何故か 「 報道番組 」 と称している。 この前も某名誉教授が小沢秘書逮捕事件の感想を聞かれて、 「 政治に金がかかるのが問題だ。 政治家はお金を使わずに節約をして生活することが出来ないのか 」 という趣旨の発言をしていた。 そしてスタジオみんなが頷いた。 「 おかあさんといっしょ 」 程度の番組なら許される。 しかし 「 報道番組 」 での発言である。 これでは日本の政治は救われないと暗澹たる思いになった。
政治家の仕事は 「 国民の財産と安全を守る 」 ことである。 日本人の財産を狙い、安全を脅かす他国から日本人を守るのが仕事だ。 オバマ、プーチン、胡錦涛、金正日らと互角に渡り合って日本を守らなければならない。 庶民のような生活を心がけるのも結構だが、そんなことを政治家に期待する感覚を他国の人間は持っているだろうか。 それよりも政治には大事なことがあると思っているのではないか。 オバマやプーチンや胡錦涛に庶民のような暮らしを期待する学者やジャーナリストが他国にいるとは思えない。
よく 「 選挙に金がかかりすぎる 」 と言う人がいる。 そう言う人がいるために日本の選挙は民意を反映されない形になった。 「 金がかかりすぎるから 」 と言う理由で選挙期間は短くなり、お祭り騒ぎをやめさせられ、戸別訪問は禁止され、選挙カーで名前を連呼するだけの選挙になった。 名前を連呼されて候補者の何が分かるのか。 何も分からない。 要するに 「 金がかかりすぎる 」 を口実に、国民に判断をさせない選挙になった。 現職議員にとってその方が再選される可能性が高まるからだ。
選挙期間が充分にあり、戸別訪問を認めて候補者と有権者とが会話をし、国民を選挙戦に参加させるためにお祭り騒ぎをやれば、国民に政治に参加しようという意欲が生まれる。 「 それだと自分たちに不利になる 」 と世襲議員や年寄り議員は考える。 より若く、情熱があって、意欲的な議員が選ばれる可能性が高まる。 政権交代も起きやすい。 それをさせないための仕掛けが 「 金のかからない選挙 」 という名目で行われた。
だから日本で選挙に金をかけるのは 「 悪 」 である。 それに賛成したのが55年体制の野党だった。 初めから政権交代を目指さない社会党にとって現状維持で何の問題もない。 憲法改正をさせないために三分の一の議席だけを確保すれば良い。 過半数は要らない。 それが 「 金をかけない選挙 」 という思想と共鳴した。 そして政権交代をさせたくない自民党と官僚とも利害が一致した。
学者などがよく言う 「 金のかからない選挙 」 とはイギリス型の選挙である。 これは日本の選挙と全然違う。 候補者が後援会を組織して金を集め、有権者に名前を売り込み、 「 選挙区のために働きます 」 と訴える選挙ではない。 政党が選挙を行う。 候補者は政党から選挙区を指定され、自分の名前ではなく政党のマニフェストを売り込む。 戸別訪問で政党の政策を説明して歩く。 「 候補者は人間でなく豚でも良い 」 と言われるほど候補者は重視されない。 だからお金はかからない。 と言うか、すべてを党で面倒見る。 日本共産党や公明党のやっている選挙がこれに近い。
しかし日本でやっている選挙はアメリカ型だ。 アメリカ型はマニフェスト選挙ではない。 候補者同士が競い合う。 アメリカでは 「 選挙区のために働きます 」 と言って支持を訴える。 支持者から献金を集め、多く集めた方が当選する。 だから選挙は金集めの競争である。 そのためにはお祭り騒ぎをやって有権者を政治に参加させる。 選挙期間も勿論日本より長い。 日本と違うのは選挙カーでの連呼ではなく戸別訪問が主体である。
大統領選挙は長期戦である。 1年間の戦いを制するのは金の力である。 候補者は企業からも個人からも団体からも金を集める。 オバマはそれでヒラリーに勝った。 ヒラリーは最後は私費まで投じたが、選挙を続けることが出来なかった。選挙民はその様子を見ながらリーダー足りうる素質を見極める。 「 政策の競争 」 などでリーダーの素質は見抜けない。 資金集めとスキャンダル攻撃をどう乗り切るかの対応力でリーダーの素質を見分ける。
自民党の選挙はアメリカ型に近いのだが、日本で 「 金集め 」 は 「 悪 」 である。 日本とアメリカ政治の何が一番違うかと言えば、政治と官僚の力関係である。 アメリカは政治が官僚より優位に立ち、官僚をコントロールしている。 日本では官僚が政治より優位にいて、政治が官僚にコントロールされる。 官僚が最も嫌がるのは政治が力を持つことだ。 そのため力の源泉になりかねない要素をことごとく封じ込めた。
メディアと野党を使って 「 政治が汚れている 」 キャンペーンを張り、自民党の力ある政治家を次々 「 摘発 」 した。 今では自民党も官僚の言うことを何でも聞く 「 おとなしい子羊 」 になった。 官僚の言うことを聞かない政治家を許さない。 それが霞ヶ関の本音である。 政権交代が近づいた今、その矢が民主党に対して放たれた。 政治資金規正法と公職選挙法は警察と検察がいつでも気に入らない政治家を 「 摘発 」 出来る道具である。 政治とカネの関係を見誤ると日本の政治は何時までも混迷を続けることになる。
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「 霞ヶ関には化け物が住んでいる 」
政治家がバカ過ぎなのか・・・、官僚があくどいのか・・・。
答えは両方かな・・・。
今度の総選挙は投票率どのくらいになるんだろう。
これで何も変わらなかったら、日本はアウトだな~。
