喜怒哀楽
喜ぶ気持ちや楽しいと思う気持ちは良いとして、哀しみや怒り、苦悩、憎しみ・・・。 誰でもそんな 『 マイナス感情 』 に自分自身が翻弄されたことは少なからずあると思います。 怒りを抑えられない自分、哀しみを抑えられない自分、誰かを、何かを赦すことのできない自分・・・、色々な自分の感情と人は日夜共にあるでしょう。
買った本にある一節に妙に心を惹かれました。
それは、
「 感情を飼いならす 」 というものでした。
もともと感情というのは自分のもの、つまりその主は自分なのだから、主に仕えるべき感情の奴隷になってはいけないという内容でした。
これは非常に難しいことですが、できるようになれば生きるのが楽になるでしょうね。
『 ゆるす 』 ということについては以前、私が読んだ本の内容、
『 ゆるせないのではなくて、ゆるさないだけ 』 という文を書いたことがあります。
自分を赦せない人は、他人も赦せません。 (甘やかすのとは違います) 自分を愛せない人が、他人を愛せないのと同じです。
喜怒哀楽
その想いの主、それは自分自身であること。
これを忘れずにいたいと思っています。
以下に、下で紹介している 『 ゆるすということ 』 の中の著述を少しだけ書き留めておきす。
ゆるすことで、私たちは自由になります
ゆるしによって、自分の本当の姿がわかります
ゆるしは癒しをもたらします
ゆるしは自分も他人も癒します
「 ひとはみな、幸せでいるのが、当たり前 」 ほんの一瞬でいいですから、こう考えてみてください。
人生にはさまざまな出来事がおこります。 しかし、ゆるすことによって、どんな状況にあっても恐れではなく愛を、争いではなく平和を選べます。
ゆるしについて書く前に、なぜ不幸になるのか、少し考えてみましょう。 不幸の原因を探れば、世の中をまるで違った目で見ることができます。 まず、幸せを外に求める自分の心から探究してみましょう。
現代社会では、お金や物を所有すれば幸せになれると考えがちです。 しかし、困ったことに、お金や物は集めれば集めるほど、もっと欲しくなります。 どんなにたくさんお金があっても、充分だと感じることはまずありません。 このような価値観で人生の方向を決めると、「 いつか永久の幸せをもたらす何かを見つけられるだろう 」 と思いこんでしまいます。 しかし、こうした幸せの探求は、多くの場合、失望、怒り、不幸、絶望という結果に終わるだけです。 虹の向こうに幸せを探しているせいで、自分自身が虹であり、黄金の宝物であるということが、解らなくなってしまう・・・こんな簡単なことにも何故気づけないのでしょう。
世の中には 「 私は不幸だ 」 とか 「 お金が足りない 」 とか、不満の種はいくらでもあります。 見回せば、自分より多くのものを持ち、ずっと幸せそうな人たちがたくさんいます。 そこで、魂にぽっかり空いた穴を埋めようとして、周りの人達にすがりつき、その関係に頼ろうとします。 モノで幸せになろうとする話から、誰かによって幸せなろうとする話に移るのは、理論の飛躍と思われるかもしれません。 しかし、これには密接な関係があります。 「 物があれば幸せになれる 」 と考えながら、同時に 「 周りの人のせいで幸せになれない 」 と考えているのですから。 「 私にふさわしい人さえ見つかれば人生はバラ色になるんだ!! 」 と。
そうこうしているうちに、心理的な悪循環にはまってしまいます。 お金も物も人間関係も幸せをもたらしてくれず、失望を味わい、不幸をかみしめます。 幸せだなぁと思う瞬間もありますが、それはすぐに去っていきます。 人生の罠にはまったと感じるかもしれません。 「 だけど、他にどんな生き方があるのだろう 」 とあなたは自問します。
外面的なことに気をとられている自分を 「 エゴ 」 と呼ぶことにしましょう。 エゴは 「 あなたのためを思って 」 といって、自分を正当化します。 「 エゴがなくなれば、暴走するトラックの前に飛び出したり、食事をとるのを忘れたり、危険から身を守ることを忘れちゃうよ 」 と。 エゴはまた、お金では幸せは買えないと信じている人を 「 買い物が下手なだけだよ 」 と説得します。 エゴは繰り返し、「 世の中は不公平だよ 」 と文句を言います。 だから、いつも警戒していないとひどい目に遭うよというわけです。 私たちが 「 私はひどい目に遭っている 」 と考えれば、エゴは大喜びです。 なぜなら、そう考えることで、力がすべてエゴに集まるわけですから。
逆に 「 私には選択権がある 」 と信じるとエゴにとっては最悪の事態です。 自分は犠牲者ではない考える自由がある、恐れではなく愛を選べる、恨みや不平や裁く気持にしがみつくのをやめ、ゆるすことができる・・・などと考えられては、エゴは困ってしまいます。 最悪の場合にはエゴのこんな声が聞こえます。 「 ずっと幸せでいるなんて不可能だ。 だから、本当に長い間続く幸せがほしいなら、物質的な現実に頼らなきゃだめだよ 」 しかし、やがてすべてがバラバラに崩れます。 必ず何かがおかしくなります。 誰かが、あるいは何かが、私たちの幸せを邪魔するに違いありません。 だから、そんなときに備えて、悪者を探しておく必要があります。 エゴは 「 さあ、欠点を探せ 」 と忠告します。 そうすれば、私たちは常に正しく、間違っているのは常に他人であることが、保証されるからです。 つきつめると、幸せか不幸せかは、どのエゴに耳を傾けるかで決まります。 他人を裁いたり、恨み続けたり、非難する気持ちや罪悪感にしがみついている自分を想像してください。 そんなときは愛も安らぎも幸せもどこかにいってしまいます。 不幸せな気持ちでいっぱいになり、幸せでないのは誰のせいだとか、この状況のせいだとか、夢中であらさがしを始めます。
ゆるしはあなたが変わるためのプロセスです。 本当の幸せは、自分の外にあるという思い込みはほんの一瞬で手放せます。 心の持ち方をちょっと変えるだけでいいのです。 「 犠牲者としてふるまい、守りを固めないともっと傷つくよ 」 とエゴは言います。 しかし、ちょっと見方を変えるだけで、自分が不幸せなのは他人や状況のせいだと考えずに済むのです。
ゆるしは自分も、他人をも癒します
ゆるせば、自分を見る目が変わり、他人を見る目が変わります。
世界観が変わります。 四六時中の心の葛藤に終止符を打てます。
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少々宗教じみた感がありますが、私が最近思うのは、生きていくにあたっては、結局のところ
『 “ 悟ること ” ができれば、心穏やかに幸せを感じながら生きていけるということか・・・ 』 ということです。
『 悟り 』 と聞くとやはりどうしても宗教めいてしまい、引きがちになりますが、実はそんな高尚で難しい話などではなくて、要するに、すべてにおいて、
『 こんなもんだ 』
と、思えるかどうかだということです。
これだけ理不尽なことに溢れ、不条理のオンパレードの世間ですが、それでも
『 こんなもんだ 』 と思えればさほど世の中は生きにくいものでもないだろうということだと思います。
昔、本だったか、誰かの話だったか忘れましたが、
『 相手に対する最大の愛情表現は、“ あきらめる ” ということだ。 』 という言葉を聞いた記憶があります。 その当時は 『 えぇぇ~っ!? 』 と思いましたが、今はそれがどんな意味を持つのか、何となくわかってきたような気がしています。
『 発展的・建設的諦観 』
以前私が、これと似たような記事を書くために創った言葉です。 前向きに諦める気持ち、これこそまさに 『 人を赦すこと 』 であると思います。
毎日毎日、様々な感情の種に心を乱されがちですが、できるだけゆったりと、自分にも他人にも大らかでいられる自分でいたいと思っています。
