訪問していただきありがとうございます
二十歳で小さいころからの夢を叶え
ナースのお仕事を手に入れた私は
希望 しか! なかった
この時は 夢見る夢子 イタイ看護師になるなんて想像もしてなかった
専門学校は これまた推薦枠をいただき 奨学金制度を利用
返済不要の奨学金で学費を出していただく代わりに
もれなく就職先の病院がついてくるというシステム
卒業と同時に 就活することなくお仕事がスタートしました
奨学金という名の人員確保制度・・・
大人はそれを お礼奉公 と言ってたかなぁ
今は そんな言葉残ってないでしょうけど
私の場合 2年契約で
契約期間働いたら 退職も可能に
※もちろん働き続けることも可能
いくつかのグループ施設がありましたが
最初に配属されたのは 慢性期の患者さんだけがいるような病院でした
例えば 脳梗塞後 治療は終了し
あとはリハビリで今を維持しましょう~ とか
寝たきり状態になってしまった方などのケア
看護を学んで実習施設を回ってきた身としては
介護施設にも近い病院
どこにいても 学びややりがいはあるものでしょうが・・・
新人が バリバリ揉まれて学ぶ感じはなく
私は1か月でギャップに滅入る
もう看護師をやめよう
極端な発想
結局2年満期で退職
次に選んだ就職先は
美容整形クリニックでした
寮も出て 本当の一人暮らしもスタート!
も相棒に迎えました
今まで 夢見る夢子で来ていた私は
このころにはなぜ私は看護師になったのだろう・・・
とよく考えていました
そこでたどり着いた答えは
母のためだった
ということ
目が覚め始め・・・
お金が貯まったら
「看護師以外の自分が得意なものをみつけて仕事をしたい!」
と思うようになっていました
しかし・・・
ここは1年ほどで退職することになりました
仕事内容は
オペ室の簡単な看護と 医師へのオペ介助
余ほどのことがなければ 同じことの繰り返しだったので
業務的には 私には向いていたのかもしれないです
・・・が
ここでまた 辞めたい病のスイッチON
理由は 思った以上にお金もたまらず
やりがいのない業務内容
対象者が・・・
なんといいますか・・・
まだ今ほど
美容整形が世に認められていない時代でしたので・・・
若い私には 特殊な世界に映ったのかもしれません
結局1年ほどで退職し 少し医療機関から離れ
バイトなどをして色々社会を見てみることにしました
そんな時期に 看護師という職業が 社会の中での評価が高いことに
改めて気づきました
不純ですが
「もう一度戻ってみたい!やり直してみよう!」
という気持ちになり
次に規模の大きい病院へ移りました
配属は急性期の小児病棟でした
スタッフのみんなは 本当に!!!いい人ばかりだったんだけど
ADHD思考が どんな環境でも 結局邪魔するんです
ミスもたくさん
自信喪失
辞めたい病のスイッチON
またまた1年ほどで退職し
次に総合病院の外来に移りました
私の配属は
救急外来と処置室
脳の構造上とっさの判断に弱いので
なんなら一番向いてない場所だったのかも
自信喪失
辞めたい病のスイッチON
ですが ここで一つの光が差し込んだんです
それは 旦那との出会い
結婚前提で一緒に住むことにしたということを理由に
退職し
ダンナの住む県へ転がり込み
同棲開始
新天地で再就職
配属は 外来 検査部門
ミスもたくさん
自信喪失
救急外来同様 向いてる部署ではなかったかもしれません
ここでは2年ほど働き
長男の出産前まで働きました
出産を機に退職したんです
改めて振り返って思うこと・・・
めっちゃ転職してる
ADHDに看護師という仕事は
適職ではなかったのだろう・・・
個人差はあると思います
そして ADHDらしく(笑)
仕事が長続きせず
転職を繰り返していた・・・
もしこの時に ADHDの知識がわたしにあれば
もしこの時に 自分がADHDかもしれないと気づいていたら
もしこの時に 定型と発達の考え方の違いがわかっていたら
もっと適応できる行動がとれていたのかもしれません
今私は 自分を受け入れ
発達と定型のことについて学びはじめたばかりです
この知識をもとに
もう一度看護職に挑戦してみたい
と今は思うんです
定型の人のように 地に足をつけ働けるのか
自分を使って 実験してみたいと思ってます
今日も最後まで読んでくれて ありがとうございました
ではまたね